【第二幕】 太陽が目指した遥か

――その頃少年は、一人病室で絵に奮闘中である。お手本があれば簡単にやれるだろうと思ったが、なかなかどうして勝手の分からない世界で、書き出した桜の木の輪郭線は濃くなっていく一方だ。そのうちどれが正しい線なのか分からなくなった。消しゴムを探す。

「あれ、冬也じゃん」

 空いていた部屋の入り口から少年の名を呼ぶ声があり、振り向く。見れば、そこにはサッカーの練習着を着た自分より背の高い男の子がいた。

 後ろには、女の子も伺える。

「あ、ゆうきさん」

 声をかけて来た男の子は、クラブのキャプテンであった。自分と同じポジションでプレーする、小学五年の先輩。

 聞けば、どうやら彼も、骨折した例のチームメイトのために、お見舞いに来たらかった。病室に向かう前に偶然少年の姿が目に入ったのだと言う。

「一応キャプテンだしな、オレ。で、あいつはどうだった?」

「ええ。全然元気でしたよ」

「お、そりゃ良き良き。じゃあオレも今から行ってくるわ……つうか、お前ここ誰の部屋? あいつの病室もっと先だよな?」

「んー。……ちゃんの?」

 誰だそれー、と付き添いの事情を適当に答えていると、今度は様子を伺ってた女の子が少年の方へと走って寄ってきた。前髪を上げておでこを出している、少年と同い年くらいの女の子だ。どうやら手元の絵に興味を持った様子だった。

「うわぁ、すっごい! 絵上手んだね、君って」

 可愛らしい八重歯を見せて微笑み、隣に並ぶ女の子。少年が寝そべったまま見上げる。

「俺の絵じゃないっすよ」

「え、そーなの?」

「そーなの」

「そーなんだ」

「そーなんよ」

「へー」

「えー」

「あははっ、なんか面白くなってきちゃった」

 ニコニコと満開の笑顔をして、女の子は少年の真似するみたいに、一緒に床に寝そべった。なんだこの子、と少年が訝しげな目を向けると、その表情すら「むー」と真似される。

「似てた?」

「全然」

「あはは。だよねー」

「つうかそんなに」

「"可愛くない"って?」

「言ってねー」

「言ってみてー」

「やだね」

「えへへ」

 すっかり女の子のペースに巻き込まれて困ってる少年に、彼女はなおも積極的に接してくる。やりずらいので兄の方へ助けを求めようと少年は入り口を向いたが、いつの間にかいなくなっていて、ああ、上手くやられたなと、事情を悟った。

 ――この子、この前言ってた妹だな。押し付けやがって、ゆうきさんめ。

「でもこれ本当に上手だよねー。誰が書いたの? さっきの……ちゃんって人?」

 無言で妹の相手を任せられた少年。とりあえず首を横に振り、さっき兄に説明した付き添いの、と言おうとしたところで、またも少年の格好をまねようと、女の子が近寄ってくる。近い近いと悩んでいると、廊下から足音が近付いてくるのに気付く――と、足音が止まった。入り口の前に人影が現れ、やがてその双眸がこちらに向いた。

「うるさいけど、なにしてるの、さっきから」

 開けっぱなしだったため病室から声が漏れていたのであろう、図書コーナーで本を読んでいた、その絵を描いた張本人がいた。

 目が合った途端、冷ややかな視線をこちらに向けて。

「誰その子」

「……い、い、妹?」

 間違ってはない。

「とーやって妹いたんだ。初耳だよ」

「お、俺のじゃない。俺一人っ子だし」

「知ってたよ」

 なんかいつもと違う彼女。明らかに不機嫌……というか怒ってる。

 とにかく、一緒に寝転がる女の子に視線で促してみる。お前なんとかしてくれ、と言う意味合いを込めて。

「照れ」 

 通じてなかった。

「えーその、こいつは、ほら、ゆうきさんっているじゃん? あの人の妹で」

「ゆうきさんって、サッカーの?」

「そうそう、その人」

「ふうん。で、なんでその子がここであんたと仲良く――」

 冷たく吐き捨てるような口調の彼女の視線と、床に寝そべってた女の子の視線が混じり合う。数秒の間。そして同時に「あ」っと口を揃えて、そっぽを向く。

 それも同じ方向に。

「……姉妹か、お前ら」

 なんだなんだと様子を窺うと、寝そべってた女の子がどこか気まずそうに前髪を下ろして、小さくため息を吐いた。力が抜けたかのような、か細い声が漏れる。

「やっぱり付き合ってたのかぁ」

 意味の分からない言葉が。

 焦る少年。

「ちょっ、ちげーよ。どうしてそうなった」

「え? あっ、違うの? えっ」

 聞こえてたのかと顔を上げた女の子。どうやら勝手な勘違いをしてる様子だ。否定の動作を繰り返し、そんな事実関係は無い事を訴えた。

「だって、毎回一緒にいるから、てっきり……」

「は? 毎回?」

「うーん、私が見に行く時は毎回? この前もいたし」

「……それはどういう」

「えー、気づいてないんかい。そっちの方が辛いや」

 落ち込んだのを勢いで誤魔化すため、少年に肩をぶつけて「ばーか」と小さくやってやる。反応に困った顔を浮かべられ、ちょっと面白くなる。女の子からのスキンシップに困っている彼。そこに入り口付近に佇んでた彼女が近くの壁に寄りかかり割り込む。呆れたその表情の彼女は、まるで浮気が発覚したのを問い詰める妻、といった雰囲だった。

「とーやさ、人の病室に女引き連れるとか頭おかしいんじゃないの。迷惑だからやめて」

 鋭い言葉が少年に飛ぶ。思わず女の子を振り解いた。

「ちょっ、俺は引き連れた訳じゃねーぞ」

「ふーん。勝手に引き付いてきたと。まあ、あたしあんたの彼女でもないし、誰とイチャイチャしよーが関係ないけど、公共の場でのマナーくらいわきまえろって話。見ててムカつく」

 髪を掻き上げたあと、手で「離れろ」の合図をする彼女。明らかに少年にイライラしている。一方、女の子の方は二人を交互に一瞥してから、少年に小さく尋ねてきた。

「お、鬼嫁?」

 頭を抱えた。

「なんでそうなるんだ……だからまじで付き合ってもねーって」

「そうなの?」

「そうなの!」

「……ならさ」

 そして、女の子は少年の耳元に顔を近づける。佇む向こうの彼女に見せつけてる格好になったが、女の子からの行動には特にイラつく様子は窺わせなかった。

「去年、兄ちゃんの誕生会来なかったでしょ? うちでやったやつ」

「え? あー、そう言われてみれば……行ってないな。けど、それがどうした」

「来るよね、今年は」

 ふわりと女の子の髪の香りが漂う。思わずドキドキした。

「待ってるから、私が」

 最後の言葉に、頑張って乙女の悪戯っぽさを乗せる女の子。下ろした前髪を整え終え、立ち上がり、そしてさっきのニコニコ笑顔に戻る。

 そこで彼は気付く。目にした事のあったその姿に。

「……前髪のせいで全然分からんかったわ。お前、試合の時に来てたやつか」

「にぶちんかっ。試合以外の時も来てるから」

「へえ。仲良の良い兄妹なんだな」

 その言葉に、女の子もムッとした表情になったが、逆に開き直るように胸を張る。もうどうにでもなれ、というような勢いで。

「そーだね。兄妹でおんなじ男の子と仲良いしっ」

「お、おう?」

「仲良いしっ」

「何故二回言った」

「君が分からず屋だからさ」

 ぺしっと、背中を叩かれ「もー」と笑われる。その一部始終を見ていた彼女の方は、少年への視線に今度は不穏なものを宿らせる。なんかもっとやばくなったと直感する。

「ないわー、ほんと」

 独り言のように呟く彼女の声は、明らかな不快感を含ませる。

「とーやって人生楽しそうだよね」

「なんだいきなり」

「はぁ。なに、まあ……お元気で?」

「怖い怖い!」

 少年を見たまま、彼女は平坦な口調で言うと、こちらを窺う女の子に軽く会釈して一応それらしい笑顔をした。

「まー、あれでしょ。"そういう事"って感じでしょ。試合に来てたのって」

「へ?」

「ほら、察し察し」

「う…………うん」

 話を突然振られてちょっと驚きながらも意味を理解したのか、恥ずかしいそうに彼女の言葉に頷く女の子。少年には怒ってるようだが、やはり女の子への敵対心は無さそうだ。女の子もおずおずと彼女へ目線で訴える。

「じゃあそっちは……"そういう事"は本当にナシなの? えーと」

 女の子が彼女へと指差す。

「あきでいいよ」

「あき、ちゃんは」

「どうだろうね」

「え。えー」

「あーそいつとはただの近所なだけだから大丈夫、えーと」

 さっきと同じように今度は彼女が女の子へ指をさし、それに「なつき」と女の子が自分の名前を答える。

「なっちゃん」

「……そうなんだ。あ、安心してもいい?」

「うーん、今んところね」

「なにそれー!」

「恋は短し、戦え乙女だよ」

「た、戦うの?」

「戦お」

「無理ー」

「まじか」

「まじだよう」

 なんだかよろしくやってる二人は、チラチラ少年を見ながら盛り上がり始める。乙女同士気が合うものがあったようで楽しそうである。ちょっと付いていけない。というか、付いて行ってはいけない空気だ。こういうのは例え自分の事を言われてるとしても、簡単に反応出来ない。少年は女子トークを聞かないようにするため手元を見る。書きかけの下書きと、彼女が描いた桜の絵。続きをやろうとするにも、気になる向こうの話。集中できない。どうしたもんかとあの妹を放った兄を恨む。今度練習の時に思いっきり文句言ってやる、と心に決めて。いや、もうこの際本人の元へ向かおう。まだ友人の病室にいる筈だ。勢いよく立ち上り入り口付近の女子二人をかき分けた。

 その時――

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