【第二幕】 太陽が目指した遥か

分かってきた事がある。

 それは、確実に、俺と――俺達とあの車椅子の少女の過去。

 忘れてしまった少女との過去があったという事。

「……さて、どうでしょう、思い出してきましたか? 過去夢を見ていたのは紛れもなく、"ある共通点"を忘れないようにと脳が抗ってるためなんです。だーりんだけではなく、なっちゃんも、今までは夢に反映されてなかっただけで、記憶の断片は残存してるのに、忘れてしまった記憶と認識されてる記憶が……あるんです。もちろん、"助手くん"にも」

「あきにも?」

 振り返る。見慣れないけど妙に様になっている白衣を着て、眠たげな双眸が僅かに頷いた。こいつもまた、あの車椅子の少女について知っている。それは俺も――知ってる、いや、知っていた人物だった。

 青ヶ氏も含めて。

「"助手くん"は――あきちゃんは、なんで研究助手なんて面倒な仕事を引き受けてくれると立候補したと思います? 賃金だって安いのに、わたしの名前を出した途端すぐに手を上げてくれたそうですけど、なんでだと思います?」

「…………」

「もう皆、なんとなく気付いてますよね。理由は"わたしだから"です」

 頭の中にノイズが走る。頭の奥底、青ヶ氏のその言葉に、表情に、こみ上げる見えないもの。僅かながら浮かぶ、夕焼けの中に映る少女の姿。

 渦巻いたのは、寂寥感。

「とーや」

 薄暗がりの怪しい室内、先ほど後ろの方で弄っていた機械をもう一度操作して、あきは眼前のモニターを示した。

「あんたさ、"初めて"あたしと会った時、何したか覚えてる?」

「唐突だな」

「いいから。覚えてる?」

 質素な天井を見ながら俺は考える。あき――白元あきあとのファーストコンタクト。随分前の話だが、たぶん、親同士仲良かったから子供達だけじゃなくて、親も含めた全員で何かしたような……。

「あ、俺の家で昼飯作った」

 思い出させる、俺とあきとの初めての出会い。

 あれは、まだ小学生に入ったばかりの時だった気がする。

「何作った?」

「あれだろ、ガキでも出来るようにって、耳の無いパン買ってきて、ハムとレタスと……」

 そう。俺ら、サンドウィッチ作ったんだ。

 あきと、向こうの親と、エプロン着けて、好き勝手に具材入れて、不格好になってしまった歪なサンドウィッチ。


 ――ほら、昔からあんたもあきちゃんもサンドウィッチ好きでしょ?


 母親が言ってた事が、分かった。

 だから試合の時に、サンドウィッチの差し入れを。

「なっちゃん。あたしと"初めて"何話したか覚えてる?」

「へ?」

 話を振られてビクッとしてから、あきの方を見て、さらに横目で俺を一瞥したなっちゃん。まださっきの映像を引きずってるんだろうか。手をモジモジして恥ずかしそうにしている。

「その……いつも試合観に来てるのは、"そういう事"なんだねって、言われて……」

「ん? "そういう事"ってなんだ?」

「にぶちんは黙ってて」

 あきに蹴られた。その名で呼ぶな。

「で、私はあきちゃんに、そっちは"そういう事"ないの? って訊き返したら、どうだろうねって」

「合ってるよ。じゃあ、どこで話したか覚えてる?」

「ねえなつきさん、"そういう事"ってなにさ」

 俺の質問を無視して黙々と考えるなっちゃん。いつにもなく真剣な様子である。対して女帝の如く風格ある立ち方をしてるあき様。仕舞いには俺の座ってる椅子を蹴ってきやがる有様。この暴力女め。

「病院、だよね? 兄ちゃんの付き添いに行ったら、あきちゃんと、その、この人が……」

 考え込んでたなっちゃんの人差し指がこちらに向く。病院? そこでなっちゃんと俺と出会ったんだっけか。病院……病院ねえ。うーんと唸りながら記憶を辿ってみた。なんか入院とかした事あったっけな……もしくは、あきと病院に一緒に行くような用事とか……

「ああ、小四の春休みのか」

 思い出す。俺が小学四年の時だ。確かサッカー始めて二年くらい、大会の大事な試合で味方とぶつかり骨折させてしまったんだ。しかも俺の判断ミスで、試合にも負けた苦い思い出だ。あの時俺、骨折させたそいつのお見舞いに隣町の病院まで行ったんだっけか。そこにクラブのキャプテンも来てて、その人の妹――なっちゃんと出会った……。

 不意に、こっちに向いてたなっちゃんの指が俺の頬を一瞬突いた。今まで忘れてたのかよって意味らしい。

「覚えてんじゃん二人とも。じゃあ最後の質問ね。なんであたしもそこの病院に居たと思う?」

「そりゃ、俺と一緒にお見舞いに来て……」

 違う。

 そう実感した。

 あきの質問に――そのこちらを窺う表情に、姿に、俺は沸沸と浮かび上がる痛みに似た感情を感じとる。

 ああ俺、分かった気がする。

 出会ったんだ。なっちゃんだけじゃなくて、その人とも。

「春の良い天気だったよね。とても」

 唐突に、あきが言う。

 ゆっくりと、おもむろに、噛み締めるように、目を瞑って、質問の答えを。

「だから、その人にピッタリだと思ったの。当時のあたしは。だから一人で」

「会いに来てくれたんですよね」

 青ヶきはるは、あの甘ったるい声で優しく笑った。小学生にしか見えない時を超えない少女は、あまりにもあどけなく、あまりにも儚い。どこか自分にある懐かさを思い出させるような……いつかは消えてしまうような、寂しさを宿らせてくる。俺が過去の夢ばかり見るように、彼女の時間もまた、進まずに止まっている。そう思わせる。

 俺は頭を掻いた。

「いや、なんであんたがあきの事情を知ってんだ」

「あはは。ついつい出しゃばりたくなってしまいまして。でも、本当の事ですよ。あれもこれも、全部ね。どうですか、彼女に言われた事によって、少しずつ記憶が蘇ってきましたよね? なら、あきちゃん、ならそろそろ、本題のお話をしましょうか」

 部屋の灯りが一気に消え、すぐにモニターだけが点灯する。無意識に吸い寄せられた映像には、何かの映像が流れていた。

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