【第一幕】 大きくなれなかったダイヤモンド
◇
「なんでなつきがさんが居るんですか」
三十分後。
到着した我が高校の下駄箱にて青ヶ氏を待っていると、半袖ピンク色のTシャツと制服のスカート姿の女生徒が突っ立っていた。
なっちゃんだった。手には自前のトランペットを持っている。
「え、あ、とーやくん……! ほ、本当に来たんだね、あはは」
「?」
しかし様子が変である。目も合わせないし、声も上擦り気味で顔も赤い。どことなく焦ってる感じなのもいつもと違うし、さっきまで俺にバレちゃいけない事をしてた雰囲気である。
「どうした、好きな人がいるのに、ちょっと前に他の男と良い雰囲気になっちゃって気まずいみたいな顔して」
「おいっ、今も昔も好きな人は同じだし、心変わりなんてしてないから!」
あ、はい。すんません。
「で、何してんの」
ようやく落ち着いたのを見計らって尋ねると、なっちゃんは校舎の上の階を示す。
そこにさっきまで居たって事のようだ。
「朝からちょっと用事あってね。で、さっき解放されたから、部活まで自主練しようと思って」
「ふうん……ってか吹部ってゴールデンウィークも練習あんの?」
「午後だけだよ。明日は一日あるけど」
見ての通りだが、なっちゃんは中学から吹奏楽をやっている。楽器はトランペットで、我が総轍の受験もこれで受かった現役の吹奏楽部員。だからこうして休日に学校にいるのは知ってはいるのだが。
なんかこう、仕向けられたかのように遭遇したよな、と思う訳だが。
「とーやくんこそ、どうしたの」
「実はよ」
俺は今日青ヶ氏に呼ばれた旨を伝える。ついでに誰かさんがヤツに連絡先教えた事も言っておいた。青ヶ氏の名にちょっとビクッと反応されたのが気になるが、それよりセキュリティ遵守の徹底をお願いしたい所存である。
「あ、いや、だって先生だから断れなくてね…………でもガチで呼んじゃうとは……」
「何ぶつぶつ言ってんだ。後で髪わしゃするぞ」
「え、やだやだ」
「大人なしくするんだ、なつこ」
「"き"だから。間違えんなよう」
結局いつものやり取りになってるところ、廊下を歩くスリッパの音が聞こえ、その音の方向を確認してみる。カツカツカツと軽快な音を響かせ、すぐにそいつが姿を現した。
「おー、出迎えに来たら早速イチャコラしてましたよ。わたしも混ぜてください」
例のハドソン川系女子だった(ちなみにハドソン川は英国の航海士ヘンリーハドソンにその名を由来する米国ニューヨーク州とニュージャージー州の境に流れる川であるのだが別にこの話いらなくね)
そんなこんなで、相変わらず甘ったるい声を響かせるヤツは一丁前に白衣を着ており、印象が若干違う。ぶかぶか過ぎてただのコスプレ失敗してる感じになってるけど、なんとなく決まってる、気がする。
「なんで白衣なん」
「おや? そういうプレイを御所望なんでしょ?」
やだこいつ。
「帰るわ」
「わー! 嘘ですよ! わたしの正装なだけで特に意味ないですから。マジで冗談ですから!」
踵を返してやると右腕をぐいぐい引っ張ってきた見た目小学生。結構力強いな。あとやっぱ声でけえ。
「とーやくん」
そして服の裾を摘んできて、上目遣いのセカンド幼馴染み。またさっきみたいにもじもじとし出す。
「……先生とちゅーしちゃダメだよ」
お前なんて事を。
「ちょっと待て。しないから。無理矢理にでも振り解く覚悟だから」
「ほ、ほんとかな」
そして俺の言い分を聞かず、そのまま俺の左腕が奪われる。え、なに。こんな事する女だっけ。思わずドキッとしてしまう。
「……そういう事はさ、私とすればいいじゃん」
「お、おう?」
「……まあでも、付き合ってから、だけど」
言ってる内に恥ずかしくなっていつものに戻ってたけど、また違う感じでちょっと焦る。どうしたんだ突然。それほど昨日の一件を引きずってんのかな……って、腕痛い痛い! 強く掴むな! トランペット当たって痛えって! つうかお前も力つえーな!
そしてそれに負けじと青ヶ氏に引っ張られる右腕。両腕にこもる力がすごい。わぁ、アニメの主人公みたい。ヒロインに取り合いに巻き込まれる構図ってこんな感じなんだな。
「い、痛いから二人ともストッ――あ」
で、頑張って抵抗した時だった。俺の両の手を柔らかい感覚が当たった。
見て気付く。うん。両手におっぱいがあった。なんてベタなんだ。角川のラブコメかよ。
で、まず右。
「小学生のくせに意外にあるという事実」
「はれんち」
蹴られた。臀部へ衝撃が走った。いってぇ。反動で左腕の柔らかい方に押される。なっちゃんの方である。
ふむふむ。
「Cカップだっけ?」
殴られた。
「何で知ってんだっ」
「あれ、正解だった?」
「…………」
手を御用とされる。それ以上はさすがにキレられそうなので言及はやめとく。青ヶ氏はともかく、なっちゃんが敵になるのはダメだ。色々と。
さて、と本題に話を戻す。未だ足を蹴ってくる張本人がうざいが、ここに呼ばれたのは食堂で話してた事をするからだろう。
それこそ、記憶を強制的に思い出す"ある方法"ってやつとか。
「せんせー。そもそも俺をこれからどうするつもりなのか教えてくださいよ。学校でなんかするんですか」
「まず先に謝ったらどうです」
「おっぱい触ってすまん」
ドコッ、とまた蹴られた。くっそ痛いケツの衝撃に耐えていると、「まあいいですが」と青ヶ氏は白衣のポケットから、さっと鍵――車のキーを取り出してそれを見せてきた。なるほど、ここから移動してって事だな。
「わたしの研究室……いえ、とある場所にお連れしようかなと。ここからだと車で三十分程度で着くんで、是非とも楽しいドライブを。運転しますよ」
「なるほどね……ってか免許あるんだな」
「身分証無いとやってけないんですよ。この見てくれだと」
自嘲気味に戯けた真似をすると、さっさと下駄箱に履き物を置いて駐車場に向かっていく青ヶ氏。なんか本格的に事が進み出した気がする。俺もケツをさすりながら回れ右の格好をした。
「あ」
その時、ふと思い出した。
「そういや、なっちゃん。昔、車椅子の女の子と仲良かった?」
ちょっとムッとしてた顔が疑問の色を帯びる。何か今のワードで知ってる事はあるのだろうか。しばらくこちらを見て、首を傾げた。
「え、どうして?」
「あーいや、過去夢、また見たんだよ。そしたらそこに居たからさ、車椅子の子」
「私と?」
首肯するとなっちゃんは天井を見上げて考え出した。無意識なのか、手元のトランペットのピストンをかちゃかちゃ動かしていた。
「うーん。それ、いつくらいの時だっけ」
「え? たぶん小学四年かな。試合見に来てた」
「小四……」
そうしてると、校舎から運動部のマネージャーらしき女子二名が、俺らの横を通り過ぎる。手には水分補給用のドリンクの入ったカゴと、部員たちの軽食用なのか惣菜パンやおにぎりが入った袋を持っていた。特に気にする事なくそのまま外へと出て、グラウンドへと向かっていく。
それを見て、俺は昨日の母親の事を思い出す。
「そうだ。なんか俺の家に来て、あきとなっちゃんとその人で、サンドウィッチ作って試合に駆けつけてくれてたんだよ。母さんが言ってた」
「あきちゃんと……あ、うん? 待ってそう言われると、なんとなくさっき……」
トランペットのピストン部をさらにかちゃかちゃいわせて、マウスピースに口を付けて考え込まれる。ぶくぶく何やら音を鳴らして、唸りながら。
そろそろ昼時という事とあり、なっちゃんの同じ吹奏楽部の連中が俺の背中越しに彼女に挨拶してるが、それにすら気付いてないみたいだった。
「……恋は短し戦え乙女」
漏れた言葉。随分と真剣な面持ちで、噛み締めるかのように頷いている。
なんなのか、その言葉は。
「そんな事を、教わったんだよ。あきちゃんも知ってる」
「へえ? それが今俺が訊いたのと関係あんのか」
「たぶん」
そこまで言うと「頭使ったー」と一気に脱力し、廊下に座り込むなっちゃん。だらしない格好だ。こんな思い出す作業でなんでそこまで疲れるか? 勉強苦手なのは知ってるけど、ちょっと変。
「ねえ、とーやくんさー」
トランペットを足元にあった楽器ケースに入れて、なっちゃんが伸びをして昔みたいな、元気な笑顔を向けた。
「どうした急に」
「私、部活サボるよ」
「は?」
俺が首を傾げてると、なっちゃんは行儀悪く胡座をかいて、生徒玄関の方を指差した。なんなんだこいつ。
「ちょっと思い出してきたの。だからさ、連れてって」
「いや、お前、どこに――」
狼狽した俺の視線が、なっちゃんが指差す方向に向いた瞬間、その意図を察した。校門に軽自動車が止まってた。運転席から青ヶ氏が顔を出して俺らに呼びかけている。「行きますよー!」とバカでかい声で。
そうか。なっちゃんの言ってた今日の午前中の用事って、青ヶきはるとの予定か。俺の連絡先を"先程なっちゃんから教えてもらった"とメッセがあったのもそういう事か。加えてこの感じ、
俺という午後の部活をサボらせる理由をつけるために、マッチングさせたと。
……小賢しいというか、なんというか。
「行ってみよ、一緒に」
「おい、ちょっと待っ」
今度彼女に取られた俺の左腕には、小学生時代を思い出すようなあの感触があって、少し懐かしかった。
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