【第一幕】 大きくなれなかったダイヤモンド

何かの音で目が覚めた。あの独特の、背筋が伸びるような音。

 例えばそう、ホイッスルみたいな音――

「……ん」

 体を起こす。ふむ、どうやら帰宅した後すぐに寝落ちしてたみたいだ。ベッドには自分のスマホが落ちており、ディスプレイには19:05と表示されている。

 しかし、また過去の夢か。

 なんだろう、でも何か今までと共通点がある気が。

「冬也ー、ご飯買ってきたわよ。って、あら、寝てるの?」

 返事をするより前、晩飯のため母親が俺の部屋をノックも無しに開けて、こちらを不思議そうに見た。

「あんた、どうして泣いてるのよ」

 茫然とする俺。泣いてる、だって? 恐る恐る自分の頬に触れて、その感覚を確かめる。伝わるのは、生暖かい何かの後。なんだこれは。もう一度手で拭おうとする。今度はぽとりと落ちる何か。

 涙だ。

 なんで、俺は、泣いてるんだろう。

「……母さん」

 掠れてしまった声に咳払いをする。ぽかんとした様子の母親に、俺は尋ねた。

「昔さ……車椅子に乗った女の子、友達でいなかった?」

「なによ急に」

「夢で見てさ」

 意味が分からないと言いつつ、しばらく考える素振りを見せる母親。俺の過去について、あの夢が本当なら、この人なら何か知ってるかもしれない。……けど、出てきた言葉は至ってシンプルなもので、肩を落とす結果だった。

「覚えてないわよ」

 まあそうだろう。俺の周りに居た人間の事を全部覚えてる訳ない。俺だって記憶が消えてるんだ。夢に見たものが全て過去とも限らないのだ。

 が、母親は続けた。

「でも、小学校の時にうちにあきちゃんがいきなりお友達連れてきた事があったのよ、二人くらい」

「二人?」

「確か、朱野さんの家の子は居たわよ。ほら、サッカーやってた頃にキャプテンの男の子いたでしょ。あの子の妹さん。で、あともう一人の子は……ちょっと覚えてないけど、なんか皆でサンドウィッチ作ったのよね。ほら、昔からあんたもあきちゃんもサンドウィッチ好きでしょ? それでサプライズで試合に持って行ってあげたらどうだって話になったみたいでね。懐かしいわ。その時に車椅子がどうって、話をした気がするわね」

 そこまで言って母親が話を切り上げて、台所に向かっていった。その背中に、俺は当時の記憶を思い出してみるが、やっぱ分からなかった。サンドウィッチが好きなんて言った事あったけな。別に嫌いじゃないけど。それに、そもそもそんな女子会いつ執り行われていたんだろう。

 まあ後であき辺りに訊いてみりゃいいか。

 そう思いながら、食卓へと俺も行く事にした。

 晩飯はどうやら、近所のパン屋で売ってるホットサンドらしい。


 ◇


 翌日。ゴールデンウィーク初日。

 昼寝のせいで寝れずにダラダラして、いつもより三時間遅くベッドから出た俺は、特に予定もないので、自室のテレビを見ながら適当に時間を潰していた。

「訃報です。昨夜未明、ハリウッド俳優のイオリーウッドさんがカーシス病のため亡くなりました。二十二歳でした。ウッドさんは、同病で父親である大手IT企業アイティス社の社長――」

 しかし、どこのチャンネルを掛けても同じニュースばかりやっていて、うんざりしてしまう。有名人が最近流行りの病気で死んだらしいが、そんなの俺に関係ないし、何回も報道する意味も分からない。寝っ転がり、今度はダラダラとスマホを眺める。目についた新リリースのゲームアプリの情報を読み始めていると、未だに繋がりのある小学生時代のサッカー仲間からメッセージが飛んできた。

「うわ、これ……」

 早速その内容を見てみると、彼の親が撮ったであろうサッカーをやってた当時の試合の様子が、動画で送られてきていた。アプリを整理してたら見つけたらしく、そこには地元のコートで、ボールを必死になって追っかけてる小さな選手たちが映っており、当然俺の姿もあった。ゼッケンの番号は4だ。時系列的には小学校五年生になる。相変わらずキックフォームが乱暴なままだ。

「あれ、こいつもしかして……あきか?」

 試合を見守る親たちに混じって、あの眠たそうな顔がそこにいた。今と比べると幾分可愛らしいが雰囲気はやっぱそのまま。ああ、確かあいつ、ちょくちょく俺の練習見に来るんだよな。毎回じゃないけど、試合の時は向こうの親と一緒に帰ってたっけ。

 便乗して動画をあきに送ってやろうと思い、あいつが映っているところをトリミングしていると、俺はもう一つの発見をする。ゴール裏で見ているあきの隣、そこに一人少女がいた。ちょうど影で分かりにくいが、小柄な少女であった。手には大きい弁当箱のようなものを持っている。少女はあきに楽しそうに話しかけて、それにあきも笑って答えている。たぶん、あいつの友達かな。

 そのまま二人のやり取りを見てると、また別の女の子が現れて、二人に加わった。ニコニコした笑顔が可愛い、活発そうな空気が漂う。女の子は小柄な少女と談笑すると、続けてあきにコートの方を指差されて、それにわーわー言ってる。どうやら試合が終わったようで片付けに入ったようだ。俺が誰かと一緒にあきの方へと向かって行ってるのが映る。背の高い、年上と思われる人……ああ、ゆうきさんだこの人。一動画を進めると、ゆうきさんらしいその人は、俺の背中を押して、行ってやれよみたいな事を言ってるっぽく、俺はそれにちょっと恥ずかしそうにしている。察するに「皆片付けしてるし」みたいな事を言ってるが、結局押し切られてるみたいで、渋々付いていってる。そうして三人の前に着くと、何やらゆうきさんがさっきのわーわー言ってた女の子の髪をわしゃわしゃし出して……。

「見なかった事にしよう」

 そこまでで終わった動画を、俺はトリミングするのをやめ、メッセージアプリを閉じた。うん。思いっきり知り合いがいた。知り合いというかセカンド幼馴染み。まあ予想出来てたけどさ、昨日からなんなの本当。

 うん。こっち指差されてわーわー言ってたのが分かるのが嫌だ。

「それにしても」

 あの、あきの友達の子、察するに俺とも面識があるのか。小学校って言うと、猪瀬とか黒江さん、あと白岩とかが試合見に来てたな。クラブの何人かに知り合いがいるみたいで、見かけた時に挨拶されたのを覚えてる。特に猪瀬はツンデレ女だから、よくからかって殴られたのを覚えてる。まあ、あの辺りなんだろう。

 動画の端に映る馬鹿デカい電波塔に、こんなのあったっけなんて違和感を覚えながらスマホを置き寝っ転がると、再びスマホが震えて、思わず落としそうになった。

「またメッセだ」

 軽快な通知音が鳴って、画面を見る。そこには動画を送り付けてきた友達の方ではない、不明な宛先と書かれた人間からのメッセージ。

 一応アプリを立ち上げて内容を確認してみる。


 宛先不明『へろう、だーりん。どうもわたしです』


 そんでもって……どう考えてもあいつだった。なんで俺の連絡先知ってんだよ。電話番号は確かにもらったけど。


 宛先不明『なんでって? そりゃ先程なっちゃんに教えてもらったんですよ』


 おい、俺の独白をスマホ越しに読むんじゃない。こえーから。

 あとなつきさん、ちゃっかり人の情報教えないでください。漏洩だぞ。漏洩。

 俺は渋々、宛先不明の電話番号を"ハドソン川の女児"と登録して、何の用だと書いて返信した。返事はすぐに来た。


 ハドソン川の女児『実は昨日の事でちょいとお話しが』


 昨日、っていうと、やはりあれか。過去夢を見る俺の脳内に関する事。はぁ、どうしてこうも俺ばかりなのか。そう思いつつも、断わる理由もないので、一応話を聞いてやる旨を返信してやる。すぐに了承の文字と、直接会いたいとの連絡。あの機械を使って色々やんだろうか。ダメージくらいそうで、あんま行く気にはならんな。またキスされそうだし。


 ハドソン川の女児『しませんよw』


 心読むな。


 ハドソン川の女児『つーことでよろしくです。場所は学校で構いませんので、着いたらメッセよろしくですー』


 なんだか一方的に話を切られ釈然としないが、まあどうせこのままダラダラしててもアレだな。やる事ないし、なんか連休に家にずっと居るのもむず痒い。俺はスマホの画面を消して、外に出る準備を始める事にした。

 しっかし、今日もこの時期にしちゃ、やたら暑いな……。

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