憧れの鐘 お題:「憧れのしきたり」

 ガンマ之寺は、ビー華の生まれ育ったデルタ之市にある、大きな寺院だ。かなり昔に造られた建物で、歴史的な価値はとても高く、世界文化遺産にも登録されている。ギネス記録として認定されている、世界一巨大な梵鐘なんかもあった。敷地の中は、急な坂道のような斜面となっていることでも、有名だ。

「でも、まさか、あのガンマ之寺で、結婚式を開くことができるなんてなあ」ワイ隆は、今日四回目の台詞を言った。「最初、ここで結婚式を行いたい、っていう、きみの話を聴いた時は、正直、そんなのできっこない、って思ったよ」

「ワイ隆くんの知ってるとおり、わたしのパパは、この町の有力者なの。もともと村だったデルタ之が、市にまで成長できたのも、パパの会社のおかげ」ビー華は、ふんす、と鼻を鳴らした。「だから、こんなことが実現できたのよ」

 二人はすでに、住職の法話を聴き終え、本堂を退いていた。僧侶の後について歩き、鐘楼を目指す。辺りには、たくさんの招待客がいて、こちらに祝福の言葉を投げかけてきていた。しばらくして、目的地に到着する。

「ガンマ之寺で式を開いた新婦は、梵鐘を撞いて、ごーん、と鳴らす、というのが、このデルタ之村、いやデルタ之市での、昔からのしきたりでね」鐘楼内部の階段を上りながら、ビー華は、うふふ、と笑った。「幼い頃からの憧れだったのよ、ここの鐘、撞くの」

 やがて二人は、鐘楼の二階部分に到着した。天井には、太い梁が一本、横方向に通されている。巨大な梵鐘が、空間の中央に吊り下げられており、間近でみると、とても迫力があった。

 ビー華は、付き添いの僧侶の指示に従って、太い丸太のような撞木に巻きつけられている縄を持った。ぐぐぐ、と力いっぱい後ろに引っ張る。

「それじゃあ、行くわよっ!」

 ビー華はそう叫んで、気合を入れると、撞木を前方に、思いきり押し出した。

 撞木の、円い底面が、梵鐘の側面に直撃した。

 ごーん、という音が鳴り響いた。

 それだけではなかった。突然、ぼきっ、という音して、天井から梵鐘を吊り下げている、フックのような形をした金具が、真っ二つに折れた。

 梵鐘は、まっすぐに落下すると、床にぶつかった。そのまま、ばきゃばきゃあっ、と突き抜けると、べきべきべきべきべきっ、と鐘楼の内部を落下していった。

 数秒後には、一階の地面に衝突したらしく、ごーん、という音が鳴り響いた。

 梵鐘は、傾いた地面の上を転がり始めた。ばきばきいっ、という音を立てて、鐘楼の壁を破壊し、外に出てきた。

 阿鼻叫喚の騒ぎとなった。ビー華の親友の女子は、梵鐘に両脚をへし折られ、ビー華の勤め先の上司は、梵鐘に撥ね飛ばされ、ビー華の愛する祖母は、梵鐘に押し潰された。その他にも、六、七人の招待客が、それの襲撃を食らった。

 梵鐘は、山門をくぐると、直後にある階段を、ごろんごろん、と転がり落ちていった。それから、すぐそばを通っている車道に進入すると、二車線のうち、奥側にあるほうのレーン上で停止した。

 次の瞬間、左方から、ステーキ丼のキッチンカーがやってきた。それは急ブレーキをかけたが、とうてい停まりきれず、衝突した。

 どぐしょーん、という、ボディのひしゃげる音と梵鐘の鳴る音が混ざった音が鳴り響いた。自動車の運転席・助手席部分が、ぐちゃぐちゃに潰れ、フロントタイヤ二輪が、車軸を外れて、ぽーん、と前方に飛んでいった。梵鐘は、車にぶつかられた衝撃で、再び、ごろごろごろ、と転がり出すと、対向車線に進入した。

 ちょうど、右方から、ガソリンを積んだタンクローリーがやってきているところだった。それは、障害物を避けようとしたらしく、右に急ハンドルを切ったが、曲がりきれず、ぶつかった。

 どごーん、という、さきほどと似たような、しかしそれよりも大きくて鈍い音がした。自動車は大きくよろめくと、対向車線に進入して、キッチンカーに正面衝突した。

 梵鐘にぶつかった拍子に、ドライバーが、気絶でもしたのだろうか。タンクローリーは、いっさい減速することがなく、むしろ、心なしかスピードを上げていっていた。キッチンカーを、ずずずずず、と押しながら、走り続ける。

 やがて、その自動車は、歩道に乗り上げると、その向こう側にあった絶壁に、どがあん、と、ほとんど垂直に衝突した。キッチンカーも、タンクローリーのキャビンも、ぐしゃ、と紙細工のように押し潰され、タンク部分も、ぐにゃ、と歪んだ。

 車二台が、ぱああ、と、太陽のように明るくなった。ビー華は反射的に、目を瞑った。

 次の瞬間、どおおおお、という爆発音が轟いて、鼓膜を劈いた。彼女は思わず、両耳を塞いだ。

 うっすら、瞼を開ける。タンクローリーがあった地点を中心として、とても大きい、真っ赤な炎の塊が生じていた。それは、どんどん膨張していっていた。

 爆風が、ごおおおお、と、鐘楼に襲いかかってきた。建物は、がたがたがた、ぎしぎしぎし、と激しく揺れた。

 ビー華は、立ち続けるどころか、座り込むことすらできなかった。半ば、弾き飛ばされるようにして、どたっ、と俯せに倒れる。

 やがて、めきめきめき、がらがらがら、どさどさどさ、というような音が鳴り響き始めた。次の瞬間、彼女は、伏せたままでいるにもかかわらず、ふわ、と自由落下のような感覚を味わい始めた。体が床から、数センチばかり、浮いた。

 浮遊体験は、数秒と経たないうちに終了した。どしゃっ、と床に叩きつけられる。上から、大量の木片が落ちてきて、べしべしべし、とビー華の後頭部や背中、脚の裏側などを打ち始めた。

 しばらくして、殴打の雨はやんだ。背中に力を入れてみると、なんとか、体を起こせそうだった。彼女は、両掌で地面に突くと、おそるおそる、上半身を持ち上げてみた。

 鐘楼は、倒壊していた。ビー華の近くでは、僧侶が、俯せの状態で、瓦礫の下敷きになっていた。遠くに、ワイ隆が、仰向けで倒れているのを見つけた。彼の首から上は、天井を構成していた太い梁に押し潰されていた。

 そこまで認識したところで、視界の上半分に、黒い影が入り込んできた。彼女は、それに目を向けようとした。

 しかし、それよりも前に、爆風によって飛んできた梵鐘が、彼女の体に直撃して、ぐちゃり、と押し潰した。

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