憧れの青銅壁 お題:「憧れのしきたり」

「早く、あの青銅壁に、おれの名前を刻み込みたいものだなあ……」

 ガンマ之市の中央付近に建っている、自社ビルの最上階にある社長室で、ジー野は、壁のコルクボードに貼られた写真を見ながら、そう呟いた。

 それは、彼が小学一年生の頃に、今は亡き父親と撮影した物だ。市役所の一階ロビーの中央に、青銅で出来た、巨大な長方形の壁が設置されている。

 そこには、さまざまな人物の姓名が刻み込まれていた。その下には、彼らが具体的にどのような偉業を成し遂げたのか、が詳述してある。

 ガンマ之市において、飛鳥時代から続くしきたりだ。名誉市民として認定されれば、この青銅壁に、それらの情報が記録されるのだ。ジー野の一族の姓名は、その、飛鳥時代から、父親に至るまで、すべて彫られていた。

「おれは、この歳になって、まだ、名前を記録できていない……父は、おれの今の年齢より、十年くらい若い頃にはもう、刻み込めていたというのに……」彼はどうしようもなくそわそわした。「早く、偉業を打ち立てて、名誉市民に選ばれないと!」

 その後、ジー野は、仕事に対し、励みに励んだ。とにかく自社の利益のみを優先し、他人の幸福はもちろんのこと、場合によっては自分の幸福まで、例外なく犠牲にした。資金が不足すれば、さまざまな人間や団体から、強引に奪った。資源が不足すれば、日本じゅうから、どんな手段を使ってでも調達した。労働力が不足すれば、あらゆる法律を駆使し、最低賃金すら下回る給料で、たくさんの人を雇い、こき使った。

 数年後、ついに、彼の念願が叶う時が来た。ガンマ之市の名誉市民に選ばれたのだ。

 その翌日、ジー野はリムジンで、市役所に向かった。久しぶりに、青銅壁を、写真越しではなく、直接見て、どこに自分の姓名を配置するか、どんな偉業を記録するか、決めておこう、と思ったのだ。

 しかし彼は、市役所に入るなり、あんぐり、と口を開けた。一階ロビー中央から、青銅壁は消えていた。代わりに、よくわからない植物の花壇が設置されていた。

「きっ、きみいっ!」ジー野は唾を飛ばしながら、半ば怒鳴るようにして、付き添いの市職員に尋ねた。「ここにあった青銅壁は、いったいどこに行ったのかね!」

「あれなら、撤去されました」市職員は無感情に答えた。「ジー野さまの会社が、不足していた金属資源をかき集めていた時に、供出しまして……」

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