贖罪の会話 お題:「贖罪の会話」
ジー野は、精神病棟の四〇四号室に入ってから、十分ほどが経過したところで、廊下に出てきた。
「ジー野くん」室外で待機していた、主治医の精神科医は、彼に話しかけた。「エイチ野くんの調子は……どうだったかね?」
「伯父さん……待っていてくれたんですか。……相変わらずですよ」ジー野は、はは、と力なく笑った。「ぼくが、一方的に会話をするだけ。エイチ野は、返事をするどころか、相槌すら打ってくれません。間違いなく生きているし、植物状態というわけでもないのに。あれが、ただ単にぼくを嫌いなだけ、というオチなら、どれだけ救われるか……」
「そうか」主治医は、わずかに目を伏せた後、もう一度、視線をジー野に向けた。「今後は……どうする? まだ、エイチ野くんとの会話を続けるのかい?」
「もちろん、続けます」ジー野は力強く頷いた。「エイチ野が、返事をしてくれるまで、何日でも、会話します。そもそも、彼がこんな状態になってしまった原因である、あの、バスの転落事故。彼は、ぼくのせいで、あれに巻き込まれてしまったのです。ぼくがあいつを、遊園地なんかに誘うから……。これは、ぼくの贖罪でもあるのです」
その後、ジー野は、それでは、と言うと、すたすた、と廊下を歩き去っていった。主治医は、はあ、と溜め息を吐くと、がらり、と、四〇四号室の扉を開けた。
中には、何もなかった。患者がいないどころか、ベッドの類いすら置いていない。正真正銘の、空っぽだ。
「先生」看護師が、主治医に話しかけてきた。「また、ジー野くんですか」
「ああ」主治医は頷いた。「彼はまだ、妄想に囚われたままだ。エイチ野くんは、今も生きていて、四〇四号室にいる、という妄想に。実際には、事故で死んでしまったにもかかわらず」
「もう、ジー野くんを四〇四号室に入れてあげるのを──彼の言うところの、エイチ野くんと会話させてあげるのを、禁止したらどうですか?」
「いや」主治医は首を横に振った。「それは駄目だ。ジー野くんは、妄想の中とは言え、エイチ野くんと会話をすることで、かろうじて、精神を安定させていられるんだ。それを禁止なんかしたら、あっという間に、彼は発狂してしまうだろう。
それに、二人があの事故に巻き込まれたのは、わたしにも責任があるんだ。ジー野くんに、遊園地の入場チケット二枚分をあげた、わたしにも……。ジー野くんの、エイチ野くんとの会話を許可してあげることが、わたしにできる、せめてもの贖罪だ」
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