第20話 友の支え

 鳩美は必死に走っていた。

 顔のない人が鳩美を追いかけている。その手には刀が握られていた。

 鳩美が逃げ続ければ逃げ続けるほど、顔のない人が増えていく。

 一人が二人に。

 二人が四人に。

 四人が八人に。


「お前は生まれてくるべきではなかった」

「親はお前を捨てたのだ」

「捨てられたのならば、そのまま死ぬべきだった」


 増殖する顔なき者どもが邪悪な言葉を鳩美に投げつける。


「お前が死ななかったせいで夢を踏みにじられた者がいる」

「お前がいたせいで、過ちが生まれたのだ」


 鳩美は両耳を塞ぐ。しかし呪いの言葉は変わらずに聞こえてきた


「何故生まれたのだ」

「何故死ななかった」

「何故あのまま殺されなかった」


 顔なき者どもは数えきれないほど増えている。

 激痛が鳩美を襲う。突然彼女の肩に刀傷が現れて血が噴き出す。

 予想外の痛みで足をもつれさせた鳩美は転んでしまった。


「お前の何もかもが過ちだ!」

「殺してやる!」

「死ね!」

「死ね!」

「死んでしまえ!」


 顔なき者どもが刀を振り上げる。

 そして鳩美の全身に刃が突き刺さった。

 駆け巡る激痛。噴き出す鮮血。


「ああっ!」


 鳩美はベッドから跳び起きた。


「夢……?」


 痛みを錯覚するほどの悪夢。それを思い返して強烈な吐き気を催した鳩美は、トイレに駆け込んで胃の中を全て吐き出してしまう。

 体が汗だくになっておるのは単に今が夏というわけではなかろう。体に良くないものがまとわりつく感覚があった。

 じっとりと湿った服を脱いでシャワーを浴びる。

 ふと肩の傷痕に触れる。それほど目立っているわけではないが、それでも決して消えない刀傷。あの事件を完全に忘れたいと鳩美が願っても、この傷痕を見るたびに現実を叩きつけられてしまう。


 風呂場にある鏡で鳩美は自分の顔を見る。いつまでも被害妄想に囚われている陰気な女の顔だ。

 気持ちが谷底まで落ち込み、その場でうずくまってしまう。

 降り注ぐシャワーの湯が、まるで責め立てるかのように鳩美の体を打った。

 鳩美は自分で自分を責め立てる。

 これがピジョンブラッドの正体だ。サイバースペースでは英雄のように賞賛されていても、いざ現実に舞い戻ればたった一つの過去を乗り超えられない惰弱な人間だ。

 湯に混じって涙が鳩美の顔を濡らす。


 プラネットソーサラーオンラインでの振る舞いはあくまでサイバースペースの中だけで、現実ではこんな人間なんだと仲間たちに知られたら失望されるかも知れない。

 失望されるだけならまだいい。極端な話、殺意さえ向けられなければそれで良いのだ。

 鳩美にとって更に恐ろしいのは、現実世界でスティーブフィストと仲間たちに出会った時、彼らの事を恐れてしまう事だ。

 せっかくできた新しい友人たちに対し、何よりもスティールフィストに対して、自分を殺そうとするのではないかと恐れてしまうことが、鳩美にとって最も恐ろしかった。

 オフ会を辞退し、現実の自分をひた隠しにし続けるべきか。そうすれば今の関係を維持できる。

 そうするべきか? と鳩美は自らに問う。


「でも、彼に会いたい」


 スティールフィストとただのゲーム友達のままでいたくなかった。繋がりを、もっと深めたかった。

 覚悟を持って臨むしかない事は理解している。今ここで逃げてしまったら、そう遠くない将来にスティールフィストとの繋がりは立ち消えてしまうと鳩美は理性では理解している。

 その覚悟をどうしても持てない。見えない鎖が鳩美の心をがんじがらめにしている。

 シャワーを終えた後も鳩美は自らの心を奮い立たせ覚悟をもたせようと努力したが、時間だけが無為に過ぎていく。

 電子音がなる。驚いた鳩美は小さく悲鳴を上げてしまった。

 スマートフォンに着信が入ったのだ。相手は津音子だった。

 鳩美は恐る恐るスマートフォンをとって応答する。


「どうされました津音子さん」

『今度のオフ会のことで話があってね。鳩美はスティールフィストと現実世界で会いたいと思っている?』

「えっ!」


 自分でもつい最近気づいたばかりであるはずの感情を友人に見抜かれ、鳩美は驚いてしまう。


「ど、どうして……」


 言葉がうまく出てこない。


『友達のことだもの。わかるわよ。プラネットソーサラーオンラインの中であなたはスティールフィストと一緒にいるときが一番楽しそうだったから』


 津音子は思ったことをストレートに言う性格だが、かといって他人の感情に疎いというわけではない。むしろ他人の気持ちに対する理解力は高いほうだ。


『それで、どうするの?』

「それは……」


 鳩美の中でスティールフィストに会いたい気持ちと会いたくない気持ちがせめぎ合う。


『大丈夫、心配しないで。オフ会で何かがあったとしても、私が鳩美を守るわ』

「そんな、どうしてそこまで」

『それはあの時、鳩美が私を守ってくれたからよ』


 鳩美と津音子はなんとなく気が合うから自然と友だちになったわけではない。一つの大きなきっかけがあった。


『高校の時、私は同じクラスの男子から付き合ってくれと言われたけど、私には太郎さんがいるから断ったわ。でもそいつは女子たちに人気があったから、私は嫉妬心を買ってひどいいじめを受けた』


 鳩美はあのときのことを思い出す。あれは今思い出しても怒りを覚える出来事だった。


『その時あなたはみんなの前でいじめの首謀者に面と大声で向かって言ったわよね。いじめなんて卑しいことをするな。恥を知れって』


 悪意に踏みにじられている者を助けるためとはいえ、当時の鳩美は今からでは信じられないような行動力を持っていた。


『鳩美は自分もいじめの標的にされてもめげずに、首謀者たちに向かって恥を知れと言い続けた。業を煮やした連中は鳩美に襲いかかってきたけど、あなたそれを一人で返り討ちにした』


 津音子は楽しそうに笑った。


『あのときほど痛快なことはなかったわ。連中、間抜けなことに監視カメラがある場所であなたを襲ったもんだから、証拠がバッチリ残って全員退学。それでいじめはすっかりなくなったわ』


 あのときの相手は三人。いじめ首謀者の女子は後ろで高みの見物を決め込み、彼女の取り巻きの男子三人が襲いかかってきたのだ。しかもそのうちの一人は鉄パイプを持っていた。

 最初に攻撃してきたのは鉄パイプ持ちだ。おそらくそいつが鳩美を叩きのめした後、残る二人が袋叩きする算段だったのだろう。

 だからまず鳩美はそいつを無力化した。赤木流には自分が無手で相手が刀を持っている時を想定した技がある。

 刀を振り下ろそうとする瞬間、柄頭を下から抑えてつけて攻撃を中断させた後、みぞおちと下顎に打撃を加える鳩美の一番得意な技だ。それを使ってまず一人目を倒した。


 予想外の展開に残る二人は唖然としたが、すぐに慌てて襲いかかってきた。

 攻撃するタイミングを完全に合わせていれば鳩美に勝ち目はなかったが、相手にそれをする知恵など無い。順番に殴りかかってくる敵を対処すればよかった。

 相手の腕を掴んで足を払って転倒させ、続くもうひとりはあえて鳩美から踏み込んでみぞおちに肘を叩き込んだ。

 それで勝負は決まった。相手は自分たちなどでは鳩美に決して勝てないと悟り、いじめ首謀者ともども脱兎のごとく逃げ出した。


「あれは、運が良かっただけですよ」


 素人から見ればあっさりと返り討ちにしたように見えるだろうが、実際は違う。


「相手がもっと多いか、刃物を持ち出されていれば私は無事では済まなかったでしょう」


 刃物を持った相手と素手で戦う技があるとはいえ、ただの鉄パイプと刃とでは心理的には大きく違う。斬られる心配がなかったらこそ、技をよどみなく繰り出せたのだ。

 その時はまだ他人からの敵意はそれほど恐ろしくなかった。そもそもからして他人を傷つけるのをよしとするような者は一握りだと思っていた。

 しかし父と信じていた者から殺されかけ、実の親は自分を捨てたと知ってもなお毅然としていられるほど、鳩美の心は強くない。それが出来るのは人を超えた人のみだ。

 最近はどうにか他人への恐怖心を克服しつつあるが、かといって意中の相手に自らの不備や欠点をさらけ出す勇気を出せるかは全くの別問題だ。


『ともかく、私は救われたわ。あんな連中に負けないと思っていても、たった一人では心細くて屈していたかもしれない。鳩美がいてくれたからこそ心が折れなかった。だから私もあなたを助ける』

「津音子さん……」

『スティールフィストのことが好きなんでしょう? 会いたいんでしょう?』

「……はい」


 鳩美は自分の中にある恋心を認めた。自分は彼を好いていると。

 彼は特別だ。ゲームを始めた初日に彼と出会わなかったら今どうしているだろうか? もしかすると今ほど他人への恐怖は小さくなっていなかったかもしれない。


「でも、私とピジョンブラッドはあまりに違いすぎます」

『そうね。だいぶ違うわ。でも鳩美とピジョンブラッドが全くの別物と私は思わない。どちらもあなた自身よ。とはいえ、今まで見せていなかった自分の一面を、相手に受け入れてもらえるか怖くなってしまう気持ちは分かるわ。だから勇気を出せとは言わない。私があなたの勇気の代わりとなってあなたを守るわ』


 全ての他人に怯えている鳩美は津音子も恐れていた。彼女も父のように豹変して自分を殺そうとするのではないかと。にもかかわらず津音子は決して鳩美から離れず、今もこうして寄り添おうとしてくれる。


「ありがとう、津音子さん。私、あの人に会います」

『その一言が聞けてよかった。それじゃあまたね』


 津音子との通話の後、鳩美は涙が出てきた。

 悲しみによるものではない。それは感謝の念によるものだった。



 鳩美との話を終えた後、次に津音子は太郎へ電話をかけた。

 最近の太郎はそこそこ忙しいらしく、多少とはいえ残業もあると聞いている。流石にこの時間帯ならば単身赴任中の住まいに帰っているはずだ。津音子は未だ彼が仕事中でないことを願いながら応答をまつ。

 数コールの後、彼の「もしもし」という声が聞こえてきた。


「太郎さん、今大丈夫?」

『ああ。もう仕事から上がってる。どうしたの?』

「今度のオフ会のことなの。鳩美に何かあったら私と一緒に彼女を守って欲しいの」

『わかった』


 太郎は即答した。


「ありがとう太郎さん」


 津音子は自分の願いを叶えてくれるのに一切迷わない太郎を嬉しく思った。


「流石に良くないことが起きるのはそうそう無いと思うけど、用心しておきたくて」


 考えすぎかもしれない。だが、ある日父親と思っていた人に殺されかけた挙げ句、自分が捨て子だと暴露されるという、「そうそう無い」どころか「ありえない」と言えるほどの事件が鳩美の身に降り掛かったのだ。


「でも、クロスポイントの人たちを疑うのは少し心苦しいわ」

『ゲームとはいえ苦楽を共にしたんだ。仲間が赤木さんにとって害になるとは思いたくない。でも君は友達のことを一番に考えてるからそうするんだろう。なら僕も同じ気持ちだ』


 津音子は彼との心のつながりを改めて実感した。自分たちはまだ結婚していないが、心のつながりは紛れもなく夫婦であると感じた。


「問題は鳩美ね。今日、彼女と話してオフ会に参加する意思は確認したわ。けど彼女は自分を偽って仲間たちを騙していたと思い込んでるかもしれない」


 確かにサイバースペースと現実世界での彼女は別人のように違う。

 しかし


『昔の彼女を知らない人からすればそうかもしれないけど、そうじゃないことを君は知ってるだろう?』


 津音子は太郎の言葉に「ええ」とうなずいた。


「ピジョンブラッドは鳩美が作った偽物の人格ロールなんかじゃない。本人は気づいてないけれど、あれは事件が起きる前の本来の彼女よ」


 ピジョンブラッドと初めて会った時は驚いた。まるであの事件がなかったかのように元気な友達の姿を見られたからだ。


『こういうゲームでは大なり小なり現実の自分とは違う自分を演じるものだけど、彼女の場合は逆だね』

「そうね。ゲームの中では決して他人に殺されたりしない。そういう安心があるから、本来の鳩美がピジョンブラッドという形で出てきたんだと思う。後ろめたく感じる必要は無いわ」


 ピジョンブラッドとしての振る舞いが本来の鳩美なのだ。自分を偽って他人を騙していることにはならない。


『そもそもクロスポイントの人たちは騙されたとは思わないよ。とくに権兵衛さんとハイカラさんは、若いときからネットゲームやっているから、ゲームと現実で違いがあることくらい常識だよ』

「そうなの?」


 津音子は二人共年長者であることは知っていたが、そこまでのヘビーユーザーとは予想外だ。

 高齢者がサイバースペースの娯楽に興じるというのはよくあることだ。再び若い体に戻れるという事が、年老いた者を惹き付ける魅力となっている。権兵衛とハイカラも、そういった理由でプラネットソーサラーオンラインを始めたと思っていた。


『うん。前に二人と話した時があってね。タイトルは何だっけな……たしかUOって略称のネットゲームで知り合って、ゲームと現実の両方で結婚式を上げたとか言ってたよ。そういう人たちなら現実とのギャップなんて知ってるだろうし、他のメンバーも同じだと思う』


 ならば、なおのこと鳩美が後ろめたく感じる必要など無いだろう。


『だからクロスポイントはピジョンブラッドだけでなく、現実世界の赤木さんも受け入れてくれると信じよう』

「そうするわ。でも、一人だけ話をつけてこようと思うの」

『スティールフィストだね? 彼は赤木さん、というよりもピジョンブラッドに好意を寄せているようだ』

「しかも鳩美の方も彼のことを意識してるわ。そのまま良い関係になれば、きっと彼女が立ち直れるチャンスになると思う」


 しかし津音子は「でも」と言う。


「二人の関係が酷い終わり方をすれば、きっと鳩美は二度と立ち直れないかもしれない。そのままずっと他人に安心感を持たないままになってしまうわ」


 彼女の心が再び傷つけば、今度こそ致命傷となる。それだけは決して避けなければならない。

 仮に本格的な恋愛に発展しなかったとしても、うまく感情に折り合いをつけて良き友人という関係になってほしいと津音子は願っている。


『今からログインして彼と話すというのなら、僕もついてこようか?』


 太郎の好意に津音子は感謝しつつも断る。


「ううん。こういうのは一対一のほうが良いとおもうの。それに明日はいつもより早く出社しないと行けないのでしょう?」

『わかった。でも、手を貸してほしいことがあったらすぐに連絡してくれ』

「ありがとう」


 それから津音子はスティールフィストと話をするためにプラネットソーサラーオンラインにログインした。



 この日は他の仲間達とパーティーを組む都合がつかず、スティールフィストは一人で実装されたばかりの重要クエストを受けていた。

 クエストの舞台は極道会ドラッグ製造工場。

 元々はごく普通の薬品工場なのだが、極道会を名乗る犯罪組織に乗っ取られて今は危険な薬物を製造している。

 極道会は全盛時代に日本から第3地球に進出してきた暴力団が母体であり、多数の犯罪組織を吸収して今に至り、その規模は一組織には収まらない巨大な犯罪帝国であるという世界観設定を持つ。


 この工場は極道会若頭三人衆の一人、朽ちぬ花のサユリが支配している。不老族の彼女は優れた錬金術であり、ここで製造されているドラッグは全て彼女が開発した。

 重要クエストは極道会のドラッグを撲滅するためにサユリを倒すという内容だ。

 無論、最新の重要クエストだけあってかなりの高難易度だ。スティールフィストは一人でクリアしようとはせず、後でクロスポイントの仲間たちと挑戦するための下調べをするつもりだった。



「どこのもんやテメー!」

「いてまうぞコラー!」


 工場内を探索していたスティールフィストの前にいかにもヤクザ風な男たちが現れた。

 彼らの手にはロングロッドが握られている。

 そう、彼らはただのヤクザにあらず。魔法を使う魔法ヤクザなのだ。

 スティールフィストは拳を構える。


「死にさらせー!!」


 魔法ヤクザ達がロングロッドから火球や電撃を放ってくる。

 この手の攻撃は遮蔽物に身を隠すのが定石だが、スティールフィストあえて前から突っ込んでいった。

 前進しながらスティールフィストは魔法攻撃を次々と避けていく。回避と防御を動作補正系技能に頼っていた頃ではできなかった芸当だ。

 スティールフィストは最も近くに位置する魔法ヤクザに肉薄する。


「タマとったらー!」


 魔法ヤクザは腰に刺したドスを引き抜こうとするが、スティールフィストは柄を押さえつけて抜刀を妨害する。

 直後にスティールフィストは魔法ヤクザの下顎を下から殴りつけた。


「ぐわーっ!」


 自分の身長以上に高く打ち上げられた魔法ヤクザは受け身を取れずにアスファルトに叩きつけれ、HPはゼロとなった。

 表現レーティングの関係上、プラネットソーサラーオンラインにおいて死体の描写は写実的には行われない。倒された魔法ヤクザは他の敵キャラクター同様、黒い塵となって消滅する。


「よし」


 スティールフィストは自分の上達を実感する。

 先ほどの敵の抜刀を防ぐと同時に攻撃するのは、ピジョンブラッドから習った技だ。

 残る魔法ヤクザもスティールフィストは次々と撃破していった。

 工場内を歩き回り、トラップやアイテムボックスの位置を調べる。


「おかしいな、どうも気が乗らない」


 しかし30分もしないうちに、スティールフィストは早くもモチベーションの低下を感じていた。


「どたまかち割ったらぁ!」


 不意に聴こえてくる怒声。スティールフィストは新しい敵の姿を見る。

 魔法ヤクザではない。一段階上位の敵、魔力を宿した長ドスを使うヤクザ魔法剣士だ。

 ヤクザ魔法剣士は遠距離から攻撃してこない代わりに一撃の威力が高い。グラントのような防御特化でない限り、回避重視の立ち回りをすべき相手だ。

 魔力の輝きを放つ長ドスの刃が襲い掛かる。それは大振りな上段からの振り下ろし。威圧的だが振りかぶりすぎだ。しっかりと動きを見ていれば対処はそう難しくはない。

 スティールフィストは半歩横に動く。それだけでヤクザ魔法剣士の一刀を避けた。

 攻撃が空振りになったヤクザ魔法剣士は前のめりに体勢を崩す。スティールフィストは無防備な首筋に手刀を振り下ろした。

 後ろから手刀を受けたヤクザ魔法剣士は顔面を地面に打ち付け、それが追加ダメージとなった。


 しかしまだ敵のHPは残っている。

 ヤクザ魔法剣士は起き上がりながら長ドスを振るう。

 スティールフィストは後ろに下がって回避。

 ヤクザ魔法剣士は接近しようとするが、スティールフィストは腰のホルダーから手裏剣を取り出してそれを投擲する。

 魔力を消費せず、また銃弾よりは安価であるのが手裏剣のメリットだ。遠距離攻撃手段は電撃の魔法・ジャベリンの型で十分と思っていたが、状況次第では魔力消費のない遠距離攻撃が必要かもしれないと思って、大会の後から使い始めた。

 敵は足を止めて長ドスで手裏剣を弾く。現実に手裏剣術の達人でもなく『投擲』を取得していないのならこの程度だがもとより牽制目的。時間稼ぎができればいい。


 十分な間合いをとった後、スティールフィストは電光雷鳴拳の構えを取る。

 ヤクザ魔法剣士が突進してくるがすでに向かうつ準備は出来ている。

 単調な振り下ろしをサイドステップで避けたスティールフィストは敵のみぞおちに電光雷鳴拳を叩きつけた。

 電気の爆発で敵はふっとばされる。HPがゼロとなったその体は地面に落ちる前に消滅した。

 ヤクザ魔法剣士を倒した後は周囲にまだ敵がいないか警戒する。

 見落としがないかとかなり注意深く周囲を見渡したが、敵の姿はなかった。


「やっぱりピジョンブラッドがいてくれないとな……」


 以前はクエストの下調べだけじゃなく、レベル上げやら素材集めのような地道な作業を一人でずっと続けられるモチベーションを持っていたが、今はないをやるにしてもピジョンブラッドと一緒でないとあまり楽しくなかった。

 ネットで集めた情報によると、基地の奥では危険な自爆行動をする鉄砲玉ホムンクルスや強力なフルアーマーヤクザが登場するらしい。それらの敵は実際に戦うとどうなるのかを確かめたかったのだが、あまり気が乗らない。


「戻るか…」


 プラネットソーサラーオンラインは楽しむためにやっているのだ。苦行をするためではない。

 帰還アイテムを使って最寄りのセーフシティに戻ってきたスティールフィストは、メニューデバイスからギルドメンバーたちのログイン状況を確認する。誰かいればパーティーを組むつもりだった。

 真っ先に目が行ったのはピジョンブラッドだ。しかし、無情にもオフラインの文字が表示されている。

 思わずため息が出てしまう。彼女とパーティーを組めないことが想像以上に残念で仕方なかった。


 いつしかスティールフィストにとってプラネットソーサラーオンラインは単なるサイバースペース型オンラインゲームというだけではなく、ピジョンブラッドに合うためのツールという意味合いが大きくなっていた。

 ここ数日、ピジョンブラッドはゲームにログインしていない。

 今は8月。夏休みシーズンなのだ。旅行や帰省でログインできる環境にないのだろうと思っていても、スティールフィストはピジョンブラッドと会えなくて寂しかった。

 不意に持っていたメニューデバイスから着信音がなった。画面に表示されている相手の名前は白桃だ。

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