第7話 ランダムダンジョン

 鳩美は休日を利用して本屋へ足を運んでいた。普段は勉強の参考書や料理本など買っていたが、この日は例外でライトノベルコーナーに用があった。ノベライズ版のプラネットソーサラーを買うためだ。

 プラネットソーサラーオンラインには過去作がいくつか存在しており、それらはサイバースペース技術が発明される以前に家庭用ゲーム機でリリースされていたという。ノベライズ版はその過去作を原作としているとのことだ。

 物語としてはプラネットソーサラーオンラインと過去作は完全に独立しているものの、基本的な世界観は共有しているので興味があるなら読んでみると良いとスティールフィストに進められたのだ。

 ノベライズ版は複数巻に分かれて出版されていたので、ひとまず第1巻を鳩美が手にとった。


「あれ、鳩美じゃない。奇遇ね」


 声がしたほうを見れば、鳩美と同年代の気が強そうな女性がいた。


「津音子さん」

「高校の卒業式以来ね」


 彼女は青木津音子。中学高校とずっと付き合いのあった友人である。

 


 互いの近況を話し合おうと言うことになり、鳩美は津音子と一緒にレストランで昼食を取ることになった。


「津音子さんは大学生になってどうですか?」

「悪くないわね。新しい友達は出来たし、講義も高校よりも刺激があってやりがいがあるわ。でも太郎さんが、ね」

「市川さんに何かあったんですか?」

「太郎さんが独身だからって単身赴任に行かされちゃって、全っ然っ逢えないの! 長距離恋愛って想像以上に辛いのね……」

「それは、なんといいますか……」


 がっくりとうなだれる津音子に鳩美は掛ける言葉が見つからない。

 太郎こと市川太郎は、津音子の恋人……というよりは婚約者だ。津音子よりも五歳年上で、会社員をしている。

 これは津音子から聞いた話だが、津音子と太郎の両親は親友同士で、お互いの子供が生まれたら将来に結婚させようと約束していたらしい。

 親が決めた婚約ではあるが、津音子にとっては特に不満はないらしい。太郎に対しては物心ついたときから好意を持っており、子供の時からずっと彼と結婚したかったという津音子の心情を、鳩美は数え切れないほど聞かされていた。

 そういえば高校のときに、将来に向けての下見にと津音子の結婚式場巡りにつきあわされたことがあったと鳩美は思い出す。


「まあ、私と太郎さんのことは置いといて、鳩美の方はどうなの? その……もう大丈夫なの?」


 津音子が尋ねているのはあの事件についてだろう。あの事件のせいで鳩美は家族友人を含めたすべての他人を恐ろしいと感じてしまっている。


「完全に立ち直ってはいませんけど、良くはなっています。少なくともアルバイトが出来るようになった程度には」

「良かった。本当に良かったわ」


 津音子の言葉は心から正直に発せられたものだと鳩美は理解できた。今でもしっかりと繋がっている友情に胸が暖かくなるのを感じる。


「それで、良くなったのは何かきっかけでもあったの?」

「ええ。叔父さんに、サイバースペースなら人に怯える必要はないと、サイバースペース型のオンラインゲームを勧められて、それで始めたところ、想像以上に効果がありました。とても楽しくて、ゲームの中でお友達も出来ましたよ」

「へー、オンラインゲーム! なんてタイトルなの?」

「プラネットソーサラーオンラインといいます」

「あ、だからさっき本屋でプラネットソーサラーのノベライズ買ってたんだ」

「ええ。シリーズの過去作がどんなお話だったのか興味が出てきまして」

「ゲームはどんなプレイスタイルでやっているの? 今、レベルいくつ?」


 前のめりになって聞いてくる津音子に、鳩美はもしやと思った。


「プレイスタイルはSW型で、レベルは63ですけど……もしかして津音子さんもプラネットソーサラーオンラインを?」

「ええ、私もやってるわよ。寂しさを紛らわすためにサービス開始時から太郎さんと一緒にね。」

「まあ、奇遇ですね」

「奇遇ついでに今夜一緒にパーティー組みましょうよ。私と太郎さんと鳩美で」

「え、良いのですか?」


 恋人と一緒にゲームを遊んでいるところに第三者が入ってよいのかと鳩美は尋ねた。


「良いって、良いって。久しぶりに鳩美と一緒に遊びたいの」

「でしたら、よろしくおねがいしますね」

「じゃあ決まりね! 集合時間は太郎さんの都合を確認してからメールで教えるから」


 こうして鳩美は津音子と約束を取り交わした。

 


 夜。プラネットソーサラーオンラインにログインしたピジョンブラッドは、メニューデバイスの電話機能を使って津音子と連絡を取る。

 向こうは連絡を待ち構えていたらしく、1コールで応答してきた。


「もしもし?」

「今ログインしたけど、どこに行けばいいかしら?」

「セーフシティ・ネストの大黒柱広場に来て頂戴。私は白桃で、太郎さんはグラントって名前よ」

「わかった。すぐ行くわね。あと、私はこっちではピジョンブラッドって名前だから、よろしく」

「え、ええ」


 向かった先のセーフシティ・ネストは、Mエネミーの被害から逃れるために地下に作られた街という設定だ。

 待ち合わせ場所に指定された大黒柱広場は、ネストのちょうど中心部に位置し、そこにはネストの天井を支えている文字通りの大黒柱がそびえ立っていた。

 柱というよりもむしろ巨大なタワーというべき大黒柱の上部からは、魔法によって太陽と変わらぬ光が放たれて都市内を暖かく照らしている。


「おーい、ピジョンブラッド! こっちこっち」


 看護服の上に軍用ベストを着込んだ、戦う看護師と言った服装をした定命族の女性がこちらの名前を呼びながら手を降っている。

 彼女の隣には、小麦色の肌をした不老族の男がいる。鎧を身にまとって盾を持っている姿はいかにも騎士といった風貌だ。


「おまたせ、二人とも」


 ピジョンブラッドは手招きに従って駆け寄る。

 戦う看護師の名は白桃。騎士の方はグラント。この二人こそがプラネットソーサラーオンラインでの津音子と太郎のプレイヤーキャラクターだ。


「や、久しぶり」


 グラントこと太郎がにこやかに笑う


「お久しぶりです、市川さ……じゃなくて、グラントさん」


 サイバースペース内ではプレイヤーとしての名前で呼ぶのがマナーだ。それに、彼は市川太郎という書類の記入例みたいな名前に少しコンプレックスを持っていたのをピジョンブラッドは思い出す。


「それじゃ早速パーティーを組もうか」


 ピジョンブラッドはグラントから送られてきたパーティー招待を受諾する。視界に表示される白桃とグラントのレベルはともに65であった。


「それで、今日はどうするの?」


 ピジョンブラッドは予定を津音子こと白桃に尋ねる。


「実はこの間、この近くでランダムダンジョンを見つけたの。今日はそこを攻略するつもり」


 ランダムダンジョンはプラネットソーサラーオンラインの特色の一つだ。毎月初めにゲーム内のいずれかの場所にダンジョンが設置される。場所が決まっている通常のダンジョンとは異なり、どこに配置されるか告知されないので、ダンジョンの場所の更新日を境に多くのプレイヤーが入り口の捜索に出かけるのだ。

 ゲームの世界観的には全盛時代の遺跡が新たに発見されたというシチュエーションとなる。


「案内するわ、こっちよ」


 白桃が先導役となってパーティーはネストの外へと出る。

 外はネストが地下資源を採掘するための坑道となっており、フィールドエリアでありながらダンジョンのように入り組んでいる。

 フィールドはいわば公共エリアでありパーティー外のプレイヤーと遭遇することはよくある。ここはレベル上げの場所として結構人気があるようで、道中で見かけるMエネミーは必ずと言っていいほど、誰かが戦っていた。こういうところではまるで花見の場所取りのように、プレイヤーは狩場を取り合っている。


「ここよ」


 白桃が案内したのは坑道内にいくつもある行き止まりの一つだ。周囲にはMエネミーがいない上に、かといって何らかの素材アイテムを収集できるわけでもない、プレイヤーにとっては全く意味のない場所だった。


「この壁のところ、よく見て」


 白桃が懐中電灯で照らす場所は、一見するとただの壁のようであるが、よく見ると色が若干他と異なっている場所があった。


「あ、もしかして」


 ピジョンブラッドが色の違う場所に触れようとすると、彼女の手が壁の中へと入っていった。


「やっぱり。この色が違うところ、すり抜けられのね」


 魔法による幻か、あるいは高度な立体映像によってダンジョンへの入り口が隠されているのだ。

 みせかけの壁を通り抜けると目の前には両開きの大きな金属扉が姿を表した。


「先頭は僕が行くよ。たいていの敵は僕を攻撃してくるからね」

「どういうことです?」


 理由を尋ねるピジョンブラッドに、グラントは腰の剣を抜いて答えた。


「こいつの効果さ。このどす黒い剣は呪われた魔剣って設定で、持ち主は敵から集中攻撃を受けてしまうデメリットがある」


 グラントの持つ剣を見れば、刃が名前のとおりに真っ黒だ。完全に光を反射しないため不自然に感じるほど黒く、黒い剣というよりも剣の形をした暗黒と表現したほうが正しく、いかにも不吉な雰囲気がある。


「大丈夫なんですか?」

「うん、大丈夫。むしろこのデメリットは逆にメリットになるんだ。僕は味方を守ることに特化した主流盾ってプレイスタイルだからね、自分に攻撃が集まるってことは、その分味方が安全になるんだ」

「あ、なるほど」

「グラントさんはガチガチに防御力を上げているし、ヒーラーの私もついているからね。大丈夫よ」

「そういうわけで、SW型のピジョンブラッドは攻撃役をやってほしい」

「まかせて!」


 ピジョンブラッドは自信満々に応えた。


「出発する前に、呪文こみで防御魔法をみんなにかけるね」


 安全地帯で呪文込みの支援魔法を使うのはヒーラーにとっての定石だ。


「白き衣をまといし癒し手よ。苦悩する誰かのために戦うまことの天使よ。我とその同胞に、害あるものへ立ち向かう力を授け給え!」


 白桃の守りの魔法が発動し、全員の防御力を上昇させる。


「これでよし」

「いつも助かるよ、白桃」

「そのかわり、未来のお嫁さんをちゃんと守ってね、グラントさん」


 白桃とグラントの様子を見てピジョンブラッドは懐かしさを覚えた。おしどりのような二人を見るのは久しぶりだったからだ。

 同時に、ふいに寂しさのようなものが襲いかかってくる。


「どうしたの? ピジョンブラッド」


 白桃が怪訝そうに尋ねる。


「二人共かわらずに仲良しだなって思ってた」

「いつかあなたにも私にとってのグラントさんみたいな人が現れるわよ」

「ええ……そうね。そうだと、良いわね」


 笑みを浮かべつつも、鳩美の心の中では「そうならないだろう」という薄暗い結論しか出てこない。

 どれほど素晴らしい人が現れたとしても、鳩美はその人から心からの安息を得ることはないだろうと諦観していた。他人に対する怯えはだいぶ和らいでいるが、しかし怯えそのものが跡形もなく消えることはないだろう。

 もしかするとこの人の心はある時を境に変わってしまうかもしれないという疑い。心に突き刺さったそのトゲが、鳩美を安息から遠ざけているのだ。

 馬鹿馬鹿しいと人は言うだろう。考えすぎだと人は諭すだろう。だが、本来ならありえないことが鳩美の身に起きたのだ。誰にとっても想定外、たとえ想定しても非現実的であると思うような出来事が現実に起きてしまった。それがあの事件なのだ。


「それより、早く行きましょ。魔法の効果時間が切れちゃうわ」


 嫌な考えを振り切るようにピジョンブラッドはダンジョンへと足を踏み入れた。

 パーティーがダンジョンに侵入した途端に、ガシャガシャと慌ただしい機械音とともに複数の敵が姿を表した。

 その姿は蜘蛛を連想させた。下半身が4本脚の多脚式で、上半身は腕がレーザー銃となっていた。大きさは大型犬程度。数は3。

 ピジョンブラッドが注視すれば攻性セキュリティ・レベル64と名前をレベルが視界に表示される。

 攻性セキュリティは全盛時代に使われていた警備ロボットであり、許可なく施設内に立ち入った者を発見したら、警告せずに即射殺する危険な相手だ。


「早速敵が出てきたな」


 グラントが盾を構える。

 攻性セキュリティたちは魔力レーザーを発射して侵入者たちを殺害しようとするが、そのすべてがグラントの盾によって弾かれた。

 グラントの防御は鉄壁だ。頑丈な鎧に加えて、盾で頭や心臓などの致命的弱点を守っていれば決して一撃で倒されたりしない。ダメージを受けたとしてもすぐに白桃が回復する。。

 グラントは盾を構えながら駆け出し、手近な一体にどす黒い剣を振り下ろすと、電子音の悲鳴が鳴り響いた。

 残る2体の攻性セキュリティはグラントを左右から挟み撃ちにしようとする。

 グラントは右からの攻性セキュリティに盾を向ける。左側には背中を向ける形になるが、問題はない。

 そちらはピジョンブラッドが対処した。グラントの背中を攻撃しようとする攻性セキュリティを一刀のもとに切り伏せる。

 そして、グラントも目の前にる敵を難なく撃破していた。


「ピジョンブラッドはすごいな。その動き、動作補正技能を使っていないんだろう?」

「それはそうよ、グラントさん。だってピジョンブラッド、現実世界じゃ剣の達人だもん。昔、真剣を使っているところ見せてもらったけど、巻藁が豆腐みたいにスパスパと斬れていったわ」

「へぇ!」


 褒める白桃と大きく感心するグラント。ピジョンブラッドは照れくさかった。


「いや、それ程でもないわよ」

「またまた、謙遜しちゃって」


 ピジョンブラッドは、「あははは」と少し困ったように笑ってお茶を濁した。

 しかし、実際のところそれ程でもないのは確かだ。たしかに剣の腕は素人ではない。少なからず才能があり、それに対して恥ずかしくないと胸を張れるだけの努力もした。

 けれども自分が「強い人」であるとは微塵も思えなかった。あの事件のときに受けた心の傷を、今になっても完治出来ていないのだ。

 そもそも自分に剣の才能があったばかりに殺されかけたので、心から誇らしいと思えなかった。


「それより早く進もう。立ち止まっていると敵がやってくるかもしれないわ」


 そういって、ピジョンブラッドはその話を止めた。あの事件のことを思い出さないようにするというのもある。

 それからパーティーはランダムダンジョンの探索を開始した。道中で何度も敵と遭遇するが、さほど大きな障害ではなかった。

 ランダムダンジョンの敵の強さは、パーティーの平均レベルから算出されるので、相手は常に自分たちと互角となる。とはいえ、このゲームでは「どれだけ強いか」ではなく「どう戦うか」が勝敗を決める。

 盾役のグラント、回復役の白桃、そして攻撃役のピジョンブラッド。齟齬なく噛み合った歯車は数値では表現できない強さを発揮する。


 気をつけなければならないのは、襲いかかる敵よりもむしろダンジョンそのものだ。ランダムダンジョンは入るたびに毎回中の構造が変化する。通常のダンジョンならば、罠の位置などは予め暗記しておけば簡単に回避できるが、ここはそうも行かない。

 ランダムダンジョンにおいては、敵のレベルだけではなく、罠の凶悪さも挑戦するプレイヤーのレベルに比例する。

 落とし穴や地雷などのありきたりな罠は、むしろ温情なほうだ。高難易度であれば四方八方からレーザーが襲いかかってきたり、部屋に閉じ込められた上で毒ガスを注入されたりすることもある。

 罠にかかる、すなわち即死という意識で、ピジョンブラッドたちは慎重に探索する。

 ある部屋に入ると、そこにはコンテナが置かれていた。


「あ、アイテムボックスがある」


 ピジョンブラッドは思わず弾むような声を上げた。


「入り口は僕が見張っておくよ」


 敵がやってこないか、グラントが入り口の見張りに立つ。

 その間にピジョンブラッドはコンテナにあるパネルを操作して中身をメニューデバイスのインベントリに転送する作業に入る。


「うーん、弾薬しかないわ。ハズレね」


 銃を使わないピジョンブラッドにとっては完全に外れだった。ハイカラに使ってもらうということも出来るが、強力な弾薬ではないので、ないよりはマシ程度だ。


「白桃はどう?」

「私も外れ。回復アイテムだけだった。ヒーラーが回復アイテムいっぱい持ってもなぁ。グラントさんは?」

「僕は武器の素材だね。けど自分が使うものじゃなかった」


 結局全員がハズレだった。

 このゲームにおいて、アイテムボックスの中身はプレイヤーごとにランダムとなっている。そのために、3人がアイテムボックスから得たアイテムが全てバラバラなのだ。


「まあ、道中の小部屋にあるやつじゃその程度ね。ボスを倒したあとのやつに期待しましょ」


 わずかに落胆したピジョンブラッドだが、すぐに気持ちを切り替える。

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