第4話 重要クエスト
市庁舎の入り口をくぐった二人はエレベーターで市長の執務室がある最上階を目指す。
最上階では両開きの木製扉が二人を待っていた。ピジョンブラッドが近づくと、剣術道場のときと同じようにメッセージが表示される。
『重要クエスト:『最初の敵役』を開始しますか? はい/いいえ』
ピジョンブラッドが「はい」を選択すると執務室の扉が開かれる。
部屋には二人の人物がいた。
一人は手前の応接用ソファーに座っているスーツ姿の不老族女性だ。彼女は怪我をしていた、腕を骨折しているのかギプスをして吊っている。頭にも包帯を巻いていて、掛けている眼鏡にはヒビが入っている。見ていて痛々しかった。
もう一人は部屋の奥、窓を背にした執務机に座っている老人だった。彼が市長だろう。
「よく来てくれた、魔法使い」
市長は思わず立ち上がる。その表情はかなり緊張していた。
目の前にいる人物はプログラムによって動くキャラクターに過ぎないが、そのリアリティは見るものに対し、今が抜き差しならない状況であることを伝えてくる。
「さっそく依頼の話をしよう。座ってくれ」
市長はスーツ姿の女性の隣に座り、ピジョンブラッドとスティールフィストはその対面に並んで座る
「こちらの女性が今回の依頼人だ」
「はじめまして、アイナ・モーリスと申します」
怪我をしているせいか、彼女の声は疲れ切っていた。
「私はここから東に50キロ離れたホワイトエッジ山脈にある、ストロングワークスというセーフシティからやってきました。
ご存知かと思いでしょうが、私達の街は全盛時代の兵器メーカーを母体とし、その企業が統治しておりました。また、科学を信仰し、魔法を否定するあまり、地理的に近しいながらもプラネットソーサラーを支援しているエーケンとはほとんど交流しておりませんでした」
企業が統治し、科学が信仰の対象となっている街。ピジョンブラッドは改めてここが異世界であると実感する。
同時に、魔法を否定する文化を持つ街の住民が、魔法使いに何を依頼するのかが気になった。
「私たちはMエネミーから街を守るための新型兵器を開発しておりました。ですが、その新型兵器が暴走してしまったのです。混乱の最中、弊社の社長は秘書の私を街から脱出させ、エーケンに助けを求めるよう命じました」
アイナは申し訳なさそうに深く頭を下げた。
「自分たちの都合で交流を断っておきながら、図々しいお願いであることは承知しております。ですが……ですがどうか助けてください」
「わかった。私に任せて」
ピジョンブラッドは即答した。ゲームである以上、依頼を受けなければ話が進まないのが理由だがそれだけではなかった。
これはロールプレイングゲームだ。自分が演じているピジョンブラッドという人物は、己の良心に反することは決してしないと思っている。即答したのはそれに従ったからだ。
「ありがとうございます」
アイナの瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「ストロングワークスの生存者救出のため、すでに市長権限で軍隊を派遣している。向こうつながるポータルは設置済みだから、現地へ向かい底にいる現場指揮官から状況を確認してくれ」
市長の言葉の後、メニューデバイスからクエスト状況更新を知らせる通知音が鳴る。画面には次の目的として、『現場指揮官と会話する』が追加されていた。
執務室を後にした二人はポータルでストロングワークスの正門前までいく。
正門前ではエーケンから派遣された軍隊によって幾つものテントやプレハブが設営されており、簡単な前線基地として機能していた。
画一的な風景のせいで、マップを見ながらでも現場指揮官の場所がわかりにくかったが、既にクリア済みであるスティールフィストが案内してくれたので迷う心配はなかった。
前線基地内を歩いていると、他のプレイヤーたちの姿が目についた。
彼らは十数台あるヘリにそれぞれ乗り込んで、次々と防壁を超えてストロングワークスの内部へと入っていく。
「他のプレイヤーもたくさんいるわね」
「重要クエストをクリアした後は、敵の残党の討伐や生存者の救出というシチュエーションでストロングワークスの中を探索できるようになる。他の地域へ行けるようになっても、アイテム集めとかで頻繁に利用する中級者は多い」
そこでピジョンブラッドはある疑問を持った。
「ねえ、他のプレイヤーも私のようにこの重要クエストを受けていると思うけれど、もし先にクリアされてしまったら、私はクエスト失敗になるのかしら?」
「それは心配ない。他のプレイヤーと遭遇するのはセーフシティとフィールド上だけで、ダンジョンや重要クエストの舞台となる場所ではパーティーごとに独立したゲーム世界が生成されてそちらに切り替わる。他のパーティーが重要クエストをクリアしても、それは別の世界の出来事となるから、ピジョンブラッドには影響がない」
「なるほどね」
言われてみれば納得できる話だ。そういう仕組みが用意されていなければ、プレイヤーは快適にゲームを楽しむことは出来ないだろう。
それからしばらく歩いて、現場指揮官がいる場所に到着した。
そこは前線基地で一番大きなテントで、指令所として使われていた。
「よく来てくれた。市長から話は聞いている」
指令所にいた現場指揮官は二人を歓迎する。
「君たちにしてほしいのは、ストロングワークス本社ビルでの生存者の捜索だ。本社ビル内部は特に強力な敵がいて魔法使いでなければどうにもならん」
「私達がきたからにはもう大丈夫。大船に乗ったつもりでいて」
ピジョンブラッドは相手を安心させるかのように自信たっぷりに言う。
「君たちのためにヘリを用意している、それを使って本社ビルへ向かってくれ」
彼が言っているのは先程見た、他のプレイヤーが使っていたヘリだろう。
二人は発着場へと向い、空いているヘリに乗り込む。
「よろしくお願いね」
ピジョンブラッドは操縦士に話しかけるが、彼は無言のままヘリを発進させた。
その様子を見ていたスティールフィストは少し意外そうな声で言った。
「剣術道場のクエストでもそうだったが、ピジョンブラッドはゲーム世界の住民になりきってプレイするんだな」
「これってそういうのを楽しむゲームでしょう? お芝居をするのが当たり前だと思っていたけど」
「普通はそういうことはしない。プログラムで動くNPCに話しかけたって会話が成り立たないからな」
「さっきアイナって人とは会話ができていたけれど」
「あれは元々設定されたセリフがうまい具合に噛み合って、会話しているように見えているだけさ」
「そうだったんだ」
つまりは壁に向かって話しかけていたようなものだったのだ。
「まあ、RPGとしては全く間違っているわけじゃないけどな」
他人からすれば奇異な行動をとっていたと知ってピジョンブラッドは少し恥ずかしかった。ロールプレイングも程々にしたほうが良いだろう。
『まもなくパーティー専用エリアに入ります』
腰のメニューデバイスから音声案内が流れる。
窓の外には他のプレイヤーがのっているヘリが並行して飛んでいる。だが、防壁を超えた瞬間にその姿が一瞬で消えた。先程スティールフィストが言ったように、パーティーごとに割り当てられるゲーム世界へ切り替わったのだろう。
ピジョンブラッドはストロングワークスの街並みに視線を向ける。地上にいたときは高い防壁に遮られて分からなかったが、空からならよく見えた。
ストロングワークスは山肌を階段状に整地した上に作られていた。
その中で特に目をひいたのが、街の各地にある防衛設備だった。空からの侵略に対する備えとしてミサイル発射台や高射砲があちこちに設置されている。それは繁華街や市街地にもあり、かなり異質な光景を作り出している。
日本人の感覚からすればやり過ぎではないかと思うくらいだが、常に怪物の脅威にさらされていることと、兵器メーカーが統治していることを考えれば、むしろ自然の流れと言えるかもしれない。
街の最上段にはひときわ大きく目立つ建物があり、ヘリはそこを目指して飛んでいる。おそらくあそこがストロングワークスの本社ビルだろう。
本社ビルの正面入口前でヘリは降下する。降下の最中、ビル内から敵が現れるのではないかと思ったが、到着する前から攻撃してくることはなかった。
ヘリが上昇し、防壁外の前線基地へと戻っていく。いよいよクエストが始まるのを実感し、ピジョンブラッドはわずかに胸が高鳴った。
「それで、パーティープレイって何か注意する点は何かしら」
出発前にピジョンブラッドはスティールフィストに尋ねる。
「あたり前のことかもしれないが、うっかり味方を攻撃しないようにすることだ。このゲームは同士討ちでダメージは発生しないが、攻撃のはずみで味方を邪魔してしまう」
「なるほどね。他には?」
「このクエストでは銃を使う敵が出てくる。パワードスーツを着てるなら大したダメージは受けないが、頭だけは撃たれないようにしてくれ。致命的弱点はプレイヤーにも適応されるからな」
ピジョンブラッドの首から下は頑丈なパワードスーツで守られているが、頭の方は初期装備の帽子をかぶっているだけだ。そこを攻撃されたらひとたまりもないだろう。
「分かった、注意するわ」
「よし、じゃあ行くか。最初の敵はエントランスホールに入ったときに上から襲ってくる」
「了解よ」
二人は開けっ放しになっている扉をくぐって、ストロングワークスの社内へと入る。
エントランスホールは二階の中央部分が吹き抜けとなっており、室内としては十分すぎるほどに広い。だが、スラスターを使って飛び回るというのならば話は別だ。推進力を最大にすれば、一秒も満たない時間で10メートル以上は移動できる。勢い余って壁や天井にぶつかるのはまだいい方で、ここぞというときに味方にぶつかってしまったら最悪だ。
ピジョンブラッドは真上を見る。天井は採光のためにガラス張りとなっていた。
スティールフィストの言葉通り、5人の黒ずくめの兵士がガラスを破って飛び降りてきた。
敵の姿を見た瞬間、ピジョンブラッドはすでに動いていた。床を蹴り、まだ空中にいる兵士の一人に肉薄する。
ピジョンブラッドの視界にバイオロイド兵:レベル15と名前が表示されるそれは、銃と防弾チョッキを装備していた。
バイオロイド兵は急接近したピジョンブラッドに対応できなかった。持っていた銃を向けることもなく、胴を横一文字に斬り捨てられる。
敵を一人倒したピジョンブラッドは空中で姿勢を制御し、二階部分に着地する。
残る4人の兵士は一階に残ったスティールフィストを狙っていた。一分の乱れもなくまったく同じ動きで銃口がスティールフィストに向けられる。
一見すると武器を持たず、素手で戦うスティールフィストが追い詰められたかのような光景だが、彼のレベルはこのクエストの適正レベルを大きく超えている
スティールフィストは銃撃の雨にさらされるが、ピジョンブラッドの視界に映る彼のヒットポイントはほとんど減らない。
スティールフィストは攻撃をものともせず、バイオロイド兵を一撃で次々と倒していった。
「スティールフィストは強いね」
ピジョンブラッドはスティールフィストに小走りで駆け寄る。
「レベルさえ上がれば誰だってこれくらい強くなれる。俺はピジョンブラッドのような武術の達人じゃない。こうして戦えるのは全部ゲームシステムが助けてくれるからさ」
スティールフィストは事実を淡々と口にするように言った。
『いま社内に入ってきた魔法使いよ、聞こえるか?』
天井のスピーカーから男の声が聞こえてくる。何者かが館内放送を流しているのだろう。
『私はストロングワークスの社長だ。君たちのことは監視カメラから映像から見ている』
声の主はこの街のトップだった。
『私は今、警備員室に身を隠している。これからメニューデバイスに社内地図を転送するのでどうか助けて欲しい』
メニューデバイスのマップが更新されると、クエストの達成目標に『社長の救助』が追加された。
「社長を助ければクエストクリアってわけね」
「まあ、そうだな」
エントランスホールの戦いに勝利した二人は社内へと進んでいく。
「俺もピジョンブラッドも接近戦スタイルだから、攻撃するときはお互いにどっちから攻めるか予め決めておこう。俺は左側、そっちは右側からだ」
「曲がり角や物陰には敵が隠れていることが多い」
戦いの合間にはスティールフィストがパーティープレイや室内戦で注意することを教えてくれる。そのおかげでピジョンブラッドは敵を倒して得る経験値だけでなく、プレイヤーとしての経験も効率よく積めた。
それからしばらくして、二人は警備員室にたどり着き、そこで社長を見つけた。
「助かった」
社長を保護すると、メニューデバイスから前線基地にいる現場指揮官からの通信が入ってきた。
『社長を保護したか。迎えのヘリをよこすから社屋から脱出してくれ』
現場指揮官の指示に、社長がある提案をした。
「ここからなら兵器保管庫を抜けるのが近道だ」
目的地が更新されて、今度は兵器保管庫を指し示すようになる。
脱出までの道中でも戦闘があると思ったピジョンブラッドだったが、予想とは違って嘘のように敵が出現しなくなった。
「ねえ、後はもう社長を外まで連れていけばいいの?」
「いや、最後にボス戦がある。兵器保管庫で戦うことになる」
「となると、社長を守りながら戦うの?」
社長はピジョンブラッドのパーティーに参加している状態にあり、視界には彼のヒットポイントが表示されている。最大値はかなり低く、おそらく一度でも攻撃を受ければ死亡となってしまうだろう。
「いや、それは気にしなくていい」
「そうなの? でもどうして?」
「……まあボス戦が始まればわかるさ」
「?」
なぜかスティールフィストはそこで言葉を濁した。とはいえ、彼が良心的な上級者であることはもう分かっているので、ピジョンブラッドは特に気にはしなかった。
兵器保管庫に到着すると、そこは戦闘ヘリや戦車などのストロングワークス製兵器がいくつも保管されていた。
いつでも戦えるよう、マジックセーバーを握りながらピジョンブラッドは周囲を警戒する。しかし、ボスらしき姿はおろか敵など一人もいなかった。
どこからボスが現れるのかスティールフィストに訪ねようとしたその時、兵器保管庫の出入り口すべてに隔壁が降ろされた。
「これでお前たちは袋のネズミだ」
そう言ったのは邪悪な笑みを浮かべる社長だった。
「ストロングワークスのバイオロイド兵が完成するとMエネミーにとっては厄介だ。だから俺は社長に化けて、バイオロイド兵を暴走させた。あとはエーケンの魔法使いどもに処分させ、高みの見物を決めようかと思ったが……」
社長はピジョンブラッドとスティールフィストを睨む。
「お前たちの戦いぶりを見て気が変わった。その強さは無視できない。この場で潰させてもらうぞ!」
社長が真っ黒い炎に包まれたかとおもうと、彼の体は巨人へと変わっていった。
「俺の名はアンソニー! アンソニー・ヴィラン・ウェポンズだ!」
眼の前の社長は人ではなく、Mエネミーが化けていたのだ!
敵を見ると、名前とともにレベルが表示される。レベル20だ。
「ネタバレになっちゃうから、社長を守る必要があるかって聞いたときに言葉を濁してたのね」
「そういうこと」
本性を現したアンソニーの体から薄っすらと魔力の光が宿る。すると、目に見えない力によって周囲の兵器から次々と武装がもぎ取られて彼の体に装着されていく。
右腕にはガトリング砲。左腕には戦車砲。両肩にはミサイルの発射装置だ。
「同胞が作った武器で死ね!」
全身の武装をアンソニーは一斉に発射する!
ピジョンブラッドとスティールフィストは左右に分かれ、それぞれ物陰に身を隠す。
「とにかく攻撃は受けるなよ! こいつの攻撃はどんなプレイヤーでも耐えられない威力だ!」
銃声にかき消されないよう、スティールフィストは大声でアドバイスする。
これまでは多少攻撃を受けても耐えられた。HPが残ってさえいれば後で回復すればよかった。
しかし、今はそんな余裕はない。アンソニーとの戦いはプレイヤーに慎重さを求めるものだった。
「倒し方はあるの!?」
「まずは敵の武装を壊せ! 丸腰にしてしまえば一撃死の心配はない!」
「分かった!」
ピジョンブラッドは遮蔽物に隠れてアンソニーの視界に入らぬよう、注意しながら炎の魔法を発動させる。
「アクティブ!」
アンソニーの戦車砲に炎が生じるものの、ほとんどダメージを与えているようには見えなかった。
「これじゃ弱すぎるわ」
攻撃を受けたアンソニーがピジョンブラッドをにらみ、両肩のミサイルを数発撃った。
ピジョンブラッドはジャンプして攻撃を回避するが、空中にいる彼女をアンソニーは再び狙う!
「まずい!」
直前の攻撃を見る限り、ミサイルは一度に複数発撃たれる。スラスターによる空中回避でその全てを凌ぐことが果たしてできるのか?
「アクティブ!」
スティールフィストが魔法を発動させた。今、彼の手には雷の槍が握られている。電撃の魔法:ジャベリンの型だ。
彼は雷の槍を投擲する。それはミサイル発射装置に命中すると電気の爆発を引き起こして、武装を粉砕した。
「助かるわ!」
スティールフィストに礼を言いつつ、着地する。
大ダメージを与えたことで、アンソニーの
アンソニーの武装は残り二つ。ガトリング砲による無数の銃弾も、戦車砲による徹甲弾も、どちらも致命的なダメージを与えるだろう。
「もらった!」
すでにピジョンブラッドは至近距離にまでアンソニーに接近していた。
マジックセーバーの刃が戦車砲を真っ二つに断ち切った!
武装はあと一つ。
すでにスティールフィストは電光雷鳴拳を構えている。鋼色の機人は跳躍し、稲妻が宿った鉄拳を最後の武装に叩きつけた!
雷が爆ぜる音が鳴り響き、ガトリング砲は粉々に粉砕される!
「後は私に任せて!」
「わかった!」
武装が全てなくなってしまえば、アンソニーはもう脅威ではない。
「くそ! 人が作った武器などなくとも!」
丸腰となったアンソニーは自らの拳をピジョンブラッドに叩きつけよう、大きく振りかぶった。
武道を修めた者の感覚ではあまりに隙が大きく、なにより遅かった。
ピジョンブラッドはアンソニー目掛けて跳躍し、その胸にマジックセーバーの刃を深々と突き刺した。
致命的弱点、すなわち心臓を攻撃されたアンソニーのHPは一瞬にしてゼロになる。
ズシンと大きな音を立てて、兵器を操る超常の巨人は背中から倒れた。
「やったな」
「ええ、スティールフィストのおかげよ」
ピジョンブラッドはにこやかにスティールフィストとハイタッチした。
●
「本物の社長は自宅で殺害されているのが発見されたそうだ」
アンソニーを倒してエーケン市庁舎に戻ると、市長が後の状況を教えてくれた。
「人に化け、知性を持つMエネミーか。もしかすると他にもいるかも知れない。気をつけてくれ」
市長はピジョンブラッドに注意を促す。
「ストロングワークスを救っていただき、本当にありがとうございました。こちらが報酬となります」
アイナのセリフが終わるとメニューデバイスにクエストクリアの通知が入った。経験値も報酬金もなかなかのものだ。
その後、市庁舎を出た頃にはそろそろログアウトしなければいけない時間であるとピジョンブラッドは気がつく。
「今日はありがとう。一緒に遊べてとても楽しかったわ」
「それは良かった」
機人族ゆえに表情の変化はないが、スティールフィストは微笑んでいるような雰囲気だった。
「それじゃあね。また明日」
「ああ、また明日」
ピジョンブラッドは手を振りながらゲームからログアウトした。
●
現実世界へ戻ってきた。鳩美は身を起こして、意識転送用のゴーグル型デバイスを頭から外す。
デバイスを見つめる鳩美は、いまさっき自分が口にした言葉を思い返す。
「一緒に遊べて、とても楽しかった……」
鳩美は少なからず驚いていた。スティールフィストに向かって口にした言葉は社交辞令などではなく、紛れもない本心だったからだ。
ピジョンブラッドを演じていることで心が引っ張られたからだろう。あるいはサイバースペースという現実でない世界だからなのかもしれない。他人と一緒にいて楽しいと思える気持ちが蘇ったのだ。
「まだそう思える気持ちが残っていたのね」
たかがゲームの世界での感情などなんの意味がるのかと理性では分かっている。しかし、今はゲームの世界で誰かといて楽しいと感じられたのは、鳩美にとっては小さくとも確かな希望だったのだ。
もしたかがゲームの世界ですら他人を恐れたままであるのならば、きっと生涯に渡って、人に怯えながら生きていかなければならない。
いつの日か自分は再び誰かとともに笑える。鳩美にとって今日という日は、その未来を少しだけ前借りした日だったのだ。
「ああ、良かった」
鳩美はデバイスをひしと抱きしめた。
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