第5話 いざ王国へ! 2

 やがて小さな馬車が何台か、三人の目の前を駆け抜けていった。マリリは馬車に乗っていた人間の顔を確かめたが、それが盗賊団の人間の顔かはよく分からなかった。


 「……何か、また悪いことをしに出かけてるのかな」


 メディコが独り言のようにつぶやいた。それを聞いたマリリは、彼らが出かけているのならいいが、アジトに戻ろうとしているとしたら、自分たちはアジトと逆方向に向かっていることになり、時間を無駄にしていることになるな、と考えた。


 やがて馬車の音が聞こえなくなり、すでに膝まで埋まってしまった足を引き抜こうとしたそのとき、今度は逆方向から別の馬車の走る音が聞こえた。


 マリリは舌打ちすると、再び身を潜めた。隣では、すでに腰まで泥の中に入ってしまっているメディコが、泣きそうな目をしてマリリを見つめている。マリリはどうすることも出来ずにメディコの頭をなで、太く白い根をしっかりとつかませた。比較的ふんわりとした黒い外套のおかげで、まださほど体を沈ませていないシルトも、両手で根を握りしめながらつらそうな顔をしていた。


 マリリは緊張と焦りに顔をひきつらせながら、馬車の到来を待った。


 「手が……痛いです」


 音は聞こえるのに馬車の姿はなかなか現れず、マリリたちの焦りは現実味を帯びたものになって来た。必死で根のつるをつかんでいるメディコの全身がぶるぶると震えだしたので、マリリは仕方なくメディコを体ごと抱きかかえるようにして引き寄せた。マリリの体はさらに泥土の中へ沈み込もうとしていたが、何とか姿勢を変えて少しでも時間が稼げるようにつとめた。


 「みんな、もうちょっと我慢しよう。次の馬車が通り過ぎたら、すぐに出られるから」


 「はい」


 「……はい」


 馬車はまだ姿を現さなかった。シルトもつらそうな表情で根をつかみ、必死に体を支えているが、弱音を吐こうとはしていない。しかし、それも時間の問題だな、とマリリは悲観的な気分で考えた。魔法組の人間なのだから、当然自分よりも腕力がある、などということはないだろう。もう少しの間だけ、踏ん張ってくれれば。


 もしかしたら、自分たちの姿を盗賊達から見えなくする術や、体を軽くする事がシルトには出来るかも知れない。しかし、この状況でまたシルトに呪文をぶつぶつ唱えさせる危険を冒すことは出来なかった。


 やがてついに、馬車が姿を現した。


 それは黒一色に塗られた大型の幌付き馬車で、腹立たしいことに、気が狂いそうなほどゆっくりと走っていた。馬車の前後左右には馬に乗った男が四人、あたりに気を配りながら馬車とともに歩を進めている。


 (あいつらだ……)


 男たちはいずれも黒装束に身を包んでいて、体の様々な箇所に返り血を浴びているのが暗がりの中でもよく分かった。おそらく、例によってどこかで盗賊行為をはたらいていたのだろう。マリリは唇をかみしめた。


 「あいつらですよ、マリリさん」


 馬車がマリリたちのいる根の絡まった場所まで来たとき、メディコがマリリに向かってつぶやいた。


 「黙って」


 マリリはすぐさま押し殺した声でメディコに注意したが、すでに遅かった。わずかなささやき声に気づいたのか、馬車と四人の盗賊がマリリたちの目の前で歩みを止めたのだ。


 「!」


 マリリは身をこわばらせた。心臓が凍り付いたかのような感覚のあとに、全身をふるえともしびれともつかない感覚がおそった。だがそれは一瞬のことで、抱きかかえているメディコのふるえと心臓の鼓動が大きくなっていくほど、マリリ自身は落ち着いていった。


 「どうした?」


 「いや! ……こちらから、何か聞こえたような気がしたんだが……」


 男たちの交わす会話が聞こえる。一人の男が、馬に乗ったまま馬車から離れ、あたりをにらみつけるように調べ始めた。マリリは一瞬、男と目があったように感じ、背筋が冷たくなったが、気のせいのようだった。


 (早く行って!ここには誰もいないから!)


 額から落ちる汗が、泥に当たってぺたぺたと音を立てた。マリリの体は、もう腰のあたりまで沈んでしまっているのだ。シルトも、外套こそ腰のあたりにゆるんでまとわりついているが、その中身はマリリと同じくらい土中に没してしまっているのだろう。泣きそうな顔をして、ただ目の前の泥を見つめている。


 何とかしたくても、この状況では盗賊達が通り過ぎてしまうのを待つしかない。マリリはじっと耐えた。


 崖の断面をじっと見ていた男が、再び馬車の方へ馬を進めた。マリリの緊張が自然に解かれていこうとしたそのとき、マリリの胴に巻き付いていたメディコの腕の力が強くなった。マリリが目をやると、メディコはすでに首のあたりまで泥の中に飲み込まれ、必死で口を上に向けて呼吸しようとしているところだった。マリリはあわててメディコを上へ引き上げたが、その分自分の体は泥の中へ沈むことになった。


 馬車は再びゆっくりとした速度で、道の先へと進んでいった。マリリたちはため息をついて、泥の中からはい上がった。


 「どろどろです」


 「……うん」


 マリリたちは全身泥まみれになっていた。マリリは取り出した手ぬぐいでメディコの体に付いた泥をてばやくこすり落としたが、とても元通りにはならなかった。


 「どろどろなのは気持ち悪いけど、急がないと。さっきの馬車を追いかめよう。いい? シルト」


 「……はい」


 シルトの衣服は比較的きれいなままだった。だが、シルトが両手で外套の両脇をつかんで心持ち持ち上げているところを見ると、むしろその内部の方が泥で汚れているのだろう。魔法使いは大変だな。マリリは考えた。


 三人はやや早足で馬車の通り過ぎた道を進んだ。馬車はゆっくりと進んでいたが、それでもマリリたちの移動速度よりもよっぽど早い。馬車は、とうにマリリたちの視界から消えていた。


 道はよく見ると、緩やかに傾斜しながら右へ右へと曲がっていた。先ほどの泥沼ほどではないが、地面も湿ったものになってきている。マリリは早くも乾いてきた、衣服に付いた泥を、手で払いながら前方に目を凝らした。先へ進めば進むほど、あたりの影は濃いものになってきている。


 いや、実際に、日も傾いてきているのだ。思ったよりも、早く時間が過ぎてしまったらしい。マリリはさらに歩く速度を速めた。


 「……。アララ……アラアラ……」


 何の脈絡もなく、マリリの背中に手を当てて、シルトが何かをつぶやきだした。


 「わっ。何をあらあら言ってるの?」


 マリリが驚いて後ろを振り返ると、支えを失ったシルトは一、二歩前へつんのめった。


 「彼らに見つからないよう、新しいおまじないをかけています。そのまま前を向いていてください。マリリさんが終わったら次はおちびさんにおまじないを施しますので」


 「メディコ、です!」


 メディコが大声で訂正したが、マリリの予想通りシルトはその声を無視し、またあらあらと呪文を唱え始めた。マリリは仕方なく前を向いて歩き始めた。敵に見つからない呪文があるのなら、最初から使ってくれればよかったのに。やはり魔法組の人間は、ものの考え方が自分たちとは違うのだとマリリは考えた。


 あたりは、いっそう暗くなってきている。夜までに、敵本拠までたどり着けるだろうか。シルトもメディコも、まだ何も言わないが、かなり疲労がたまってきているに違いない。いっそのこと、このあたりで一晩、とまではいかなくともしばらく小休止した方がよいだろうか。マリリは迷ったが、今シルトがかけているまじないが、休んでいる間に消えてしまうかも知れない、とも考えた。少々もったいない。もっとも、まじないの効果のほどは、それほど期待しているわけでもなかったのだが。


 「ねえ、二人とも……」


 シルトが呪文を唱え終え、マリリの背中から手を離したので、マリリは振り返って二人と今後の指針を話し合おうとしたのだが、


 「!」


 そこに、二人の姿はなかった。

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