第2話 〈問い〉の答え 7
「なにやってんだよ、おい!」
闘技場の地下通路につれて行かれるがはやいか、ヴァイドールがいきなり怒りを爆発させた。マリリだけではなく、アーナもびくっと体を震わせた。ヴァイドールは本当に怒っているようだ。
「……ごめんなさい」
マリリには、それ以外に言葉が見つからなかった。だが案の定ヴァイドールはそんな謝罪の言葉では満足しなかった。
「ごめんじゃねえ! アタイがいってんのは、なんでだ? ってことだ! マリリ、お前、わざと負けただろう!」
「そんな!? ……ただ」
マリリは驚いた。自分の敗北が、そのようにとられてしまうとは思わなかったのだ。確かに、今思い出してみると試合後の会場は、危うい雰囲気に包まれていたような気がする。危うく暴動騒ぎになっていたかもしれない。
「ただ、なんだよ」
「ただ、ちょっと考え事してて……」
ヴァイドールは一瞬呆気にとられた顔をしたが、くるりとマリリに背を向けると、通路の脇に置いてあった長机に拳を垂直に叩き込んだ。すさまじい音を通路中に響かせながら、机がまっぷたつに割れた。机の上に並べてあった選手用の飲み物の壺群が、床に激突してけたたましく割れた。再びマリリとアーナが身をこわばらせる。
「いーかげんにするね。ヴァイドールも負けたことに変わりないのことよ」
マリリを支えていた手を離して、ウィスミンがたしなめると、ヴァイドールは怒りで真っ赤になった顔をぱくぱくさせて、腕をぶんぶん振り回した。
「だっ……でもよお! アタイはこいつみたいに、ぼーっとはしてなかったぜ! アタイが……」
「もういい。ヴァイドール。試合に負けたのは全員の責任だ」
セブリカが静かな口調でそういうと、ヴァイドールは口をつぐんで下を向いた。表情は見えなくても、相当怒っている様子がわかった。通路は薄暗いが、彼女の頭のてっぺんから湯気が立ち上っているのが見えるような気がした。ヴァイドールがこんなに怒るのを見るのは、もしかすると初めてかもしれない。
「今日はこれで我々は引き上げよう。閉会式には私一人が顔を出すからいい。全員、部屋に戻って頭を冷やしていろ」
淡々と全員に告げると、セブリカは皆の返事も聞かずに試合場の方へ戻っていった。かつかつと響く靴音がだんだん遠ざかっていく。
全員しばらくその場にとどまっていた。マリリは皆の顔を見ることができず下を向いたままだったので、自分以外の皆がどんな表情をしているのかわからなかった。
やがてどかどかと音を立ててヴァイドールが去っていった。次にウィスミンがマリリの肩を優しくぽんぽんとたたき、軽い足取りで去っていった。ウィスミンはどんなところを歩くときでも決して音を立てない。
マリリが顔を上げると、そばに残っているのはルナコだけになっていた。アーナもいつの間にか引き上げていったらしい。
マリリはそばに立っているルナコの顔を見た。そのとき、マリリは自分が大粒の涙を止めどなく流していることに自分で気づいた。
ルナコはマリリの肩に手を当てて、優しく言い聞かせた。
「今回は運が悪かったですわね。戦には機というものが存在するとよく言いますが、今回は我々の流れではなかったのでしょうね」
マリリは返事ができなかった。口を開こうとすると、胸のあたりがつかえて、うまくしゃべれない。
「さあ、セブリカ組長の言う通り、今日はもう休みましょう。時には休むことも大切ですわ」
優しくマリリの肩を抱いたまま、ルナコは闘技場の外へと連れ出した。外へ出ると、マリリ達の姿を見つけて何事かをわめきはじめた都民達が何人かいたが、決して二人に近づいてこようとはしなかった。ルナコがにらみを利かせているせいだ。
「……こんなに早く帰る日は初めてですわね。さすがに大通りも今だけはずいぶんすいていますわ」
ルナコの慰めの言葉も、マリリには効果がなかった。ルナコに肩を預けながら、ひっくひっくとしゃくり上げながら、マリリは兵舎に向かって歩き続けた。
「ご・ご・ご・ごめんなさ、うっ、なさい……」
「本当になんでもないんですのよ。ヴァイドールが怒っているのは、普段の不摂生のせいで、たくさん借金を抱えているからですわ。ふふ、本当に、あんなに稼いでいるのに、一体なにに使ってしまっているのやら……」
マリリは兵舎に帰ると、試合用の服装のままベッドに倒れ込んだ。普段着用している鎖かたびらのエプロンほどではないにしても、試合用の籐を編み込んだ防護服は、相当ごわごわする代物で、部屋着として使うには多分に障るものだ。だが、マリリは服を着替える気力も残っていなかった。
部屋の中に、同室仲間のアーナの姿はなかった。まだ部屋に帰ってきていないのかもしれない。少し前に、アーナが自分のプライバシーを守るために部屋の中央を横切る形で設置したカーテンは開かれたままになっている。
一体どうしてこんな事になってしまったんだろう。マリリは枕に顔を埋めながら止まらない涙を流し続けていたが、やがて疲れのためにいつしか眠ってしまった。
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