第2話 〈問い〉の答え 6

 「答えよ!」


 試合開始の掛け声と同時に、ウィスミンはその場でくるくると回り始め、相手選手の意表を突いた。飛び跳ねたりしゃがんだりしながら剣を突き出し、振り回し、相手の気勢をそいだ。会場から土砂降りのような声援が送られる。


 相手選手は激しい剣の舞にしばらく躊躇していたが、やがて覚悟を決めて攻撃に転じた。


 「あいーやー!」


 ウィスミンは変幻自在な動きで相手の攻撃をことごとくかわした。一見でたらめに動き回っているかのようだが、相手の剣戟を交わした一瞬ののちにはそれが理にかなった動作に見えるのが不思議だった。

 再び相手が躊躇した瞬間を見逃さず身を翻して懐に飛び込み、ウィスミンは小剣の刃、柄に近いところを相手の喉元に押し当てた。


 「勝負あった! 勝者、星屑組のウィスミン!」


 大喝采が起こった。戦いの興奮のみならず、ウィスミンの試合中の動きは、観客達に高級な舞踊演技を見たような印象を与えたのだ。ウィスミンは相手選手と観客達に一礼し、手を振りながら試合場をあとにした。


 「お疲れさま。いつもながら見事なお手並みでしたわ」


 「あいや、照れるねー。こんなの大したことないよ。ヴァイドール、お手本は見ててくれたあるか?」


 事あるごとにヴァイドールを挑発するのが、ウィスミンの悪い癖だ。マリリは痛み出した頭で、そう考えた。

 南国生まれの天真爛漫な少女の性格は、ときとしてマリリをはらはらさせる。だが、ヴァイドールは赤組の勝ち星数に追いついたことですっかり元気を取り戻したらしく、ウィスミンに返事を返した。


 「ガキのお遊戯なら見た気がしたな。あんなんで勝てるなら、アタイもちっちゃい頃に王立幼稚園とか通っときゃよかったぜ」


 それを聞いて、ウィスミンはけたけた明るい声で笑った。ウィスミンはよく人を挑発する代わりに、他人になにを言われても滅多なことでは怒らない。


 「マリリ、どうした? 次はお前の番だぞ」


 今までずっと黙っていたセブリカに言われ、マリリははっと我に返った。そうだ。試合をしなくてはならない。マリリはふるえる手足に力を入れてなんとか立ち上がり、試合場の輪の方向へと向かった。


 「マリリ! おめえ、剣忘れてんぞ!」


 マリリの心臓は飛び上がった。試合用に貸与された小剣が、それを握っているはずの自分の手の中にない。あわてて駆け戻り、呼び止めてくれたヴァイドールの手から小剣をひったくるように受け取る。


 「〈剣聖〉様にしちゃおもしろい冗談だな。大受けだぜ」


 その言葉とは裏腹に、ヴァイドールの目は全く笑っていなかった。むしろ、軽い驚きに見張られているようだ。


 「ごごごごめんなさい」


 客席には声援とも戸惑いともとれる笑い声が広がっていた。マリリは真っ赤な顔をして、すたすたと試合場に向かった。

 しかし、この失敗でマリリの緊張はどこかへ吹き飛んでしまったようだった。胸の鼓動が程良く楽になり、手足のこわばりもどこかへ去っていったようだ。マリリは大きく息をついて剣を構えた。


 「両者とも、構え! ……答えよ!」


 女神団の副団長アルツァ・ミ・ホーの声はこの大歓声の中でもよく通る。さすがは毎年〈鋼の問い〉の審判をつとめているだけのことはあるな、とマリリは思った。


 そういえば、〈鋼の問い〉の試合で、死傷者が出ることは滅多にない。女神団全体の戦力低下をおそれてのことと、観客の興をそいでしまうことを避けるためなのだろうが、それはまた、ちまたで取りざたされているこの大会への八百長論議の要因の一端ともなっていた。


 ともあれ、死者が出ないのはいいことだ。いいことどころか、助かるとさえいえる。普段の傭兵業の依頼でさえ、常に死の危険がつきまとっているというのに、こんな大会、いわばお祭りの場で命を落とすのは、ばかげている。


 そうだ、死にたくない。


 自分は、死にたくない。マリリは考えた。


 傭兵という商売柄、死体や、人が死ぬ場面には、驚くほど出会っている。いい人間、悪い人間に関わりなく、死の瞬間は確実に犠牲者のもとを訪れた。それを見る度に、マリリは言いしれぬ恐怖に包まれるのだ。


 人の死は、いずれ訪れるであろう自分の死を予感させた。人の死は、間接的な自分の死なのだ。


 だから、自分は人を殺せない。マリリは、未だかつて人を殺したことがない。


 それが、マリリの現時点での、もっとも大きな悩みだった。


 場合によっては、人を殺さなくてはならない稼業、ある意味死を扱う生業を営んでいる立場でありながら、マリリは人を殺せないのだ。


 悩みは日に日に大きくなっていき、一つ仕事をこなす度に、マリリを苦しめ続けた。人を殺せない人間がいるということはそのまま星屑組の戦力の低さにつながり、つまりそれだけほかの仲間に負担をかけてしまうということなのだから。


 しかし、とりあえず今日だけは、誰も死なない。

 悩みのことは忘れて、試合に集中しよう。そうマリリが考え、気を取り直し、剣を構え直そうと思ったときには、マリリの手に握られていたはずの剣が、どこかへ消え失せてしまっていた。


 「あれ?」


 しまった! ひょっとしたら、また剣を握らずに出てきてしまったのかもしれない。少々混乱しながら、マリリはあわてて仲間の方を見た。その途端に、闘技場全体の騒音がマリリの耳に入り込んできて、マリリはとっさに両手で耳をふさいだ。


 星屑組の仲間達はほとんど呆然としてこちらを見ている。ヴァイドールだけが、右手を振り回して何かを叫んでいた。ものすごく怒っているらしい。マリリは自分が何か失敗してしまったのだと思い、辺りをきょろきょろと見回した。


 「両者とも礼!」


 アルツァ・ミ・ホーのよく通る声が聞こえた。その声によって、マリリはすべてを理解した。


 考え事をしている間に、自分は試合に敗れてしまったのだ。


 顔から血の気が引いていくのがわかった。未だ混乱したまま必死で相手に礼をすると、体が思うように動かなくなってしまった。やがてマリリの異変に気づいたルナコ達が飛び出して、マリリの体を抱きかかえるようにして試合場から連れ出した。

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