第2話 〈問い〉の答え 5
「答えよ!」
再び闘技場が歓声に包まれた。アルツァ・ミ・ホーが叫んだ〈答えよ〉という言葉には、〈鋼の問い〉における「勝者を決定せよ」という意味が込められており、試合開始のかけ声になっている。つまり、対戦相手を打ち倒した者こそが、神が人間に投げかけた最大の命題〈鋼の問い〉の答えに近づいた人間、と見なされるのだ。
もっとも、闘技場に足を運んだ見物人たち、王都や周辺地域の人間のほとんどが、〈鋼の問い〉など心に留めたこともない、という者ばかりだ。だが、女神団にとって鋼の問いは各自が常に覚えておかなければならないほどの重大事であり、命題であった。
マリリは息をのんだ。アーナの握りしめた剣と、女戦士の剣が初めてぶつかり合ったのだ。アーナはやや押されて二歩ほど後ずさったが、かろうじて隙を見せない程度の早さで立ち直って剣を構えなおした。
女戦士はたたみかけるようなことはせず、落ち着いて剣を繰り返し振りおろした。アーナは巨大な腕が振るう小剣が頭上から降ってくる度によけたり受けたりしていたが、次第に息が上がり、動きが鈍くなってきた。
「アーナ! 止まってるぞ! 攻めてけ、攻めてけ!」
ヴァイドールの声ももはやアーナの耳には届かないようだ。やがてカシーンと鋼鉄が鋼鉄をはじく音が闘技場内に響きわたり、いつの間にかしりもちをついていたアーナの喉元に大女の剣が突きつけられていた。
「勝負あった!」
アルツァ・ミ・ホーが両手をあげて試合が終わったことを示し、赤組の大女の名を叫んだ。会場からは、賞賛や落胆の声が挙がった。
「まあ、よくやったさ」
マリリの横で、ヴァイドールがつぶやくのが聞こえた。びっくりするほど優しい目をしている。しかし、ヴァイドールはすぐに普段の挑戦的な顔つきに戻り、ずかずかと輪の中へ入っていった。
「ほら、交代だ、アーナ。だらしのねえやつだな! ほら、一礼するんだよ。……はい、お疲れさん!」
ヴァイドールに背中を押されると、アーナはととと、と輪の外へ出てきた。あわてて手をさしのべたマリリの腕の中に抵抗もせずに倒れ込む。まるで人形のようにぐったりとして動かない。緊張が一気に解けたのだろう。
「お……お疲れさま」
「うるひゃい」
元気のかけらもない。マリリはアーナを所定の場所に座らせてから、次の試合を見ることにした。副将のウィスミンがにこにこしながらアーナの肩を抱いた。
「次鋒の者、輪の中心へ!」
ヴァイドールと赤組の次鋒の選手が試合場の中央へ進んだ。ヴァイドールが客席に向かって右腕を振りかざすと、これまでにないほどの歓声が闘技場内に渦巻いた。ヴァイドールは〈鋼の問い〉において一、二を争うほどの人気選手なのだ。それは彼女の誉れ高い勝率に起因するところも多いのだが、彼女が貫いている半ば破廉恥ともとられかねないファッションセンスと、普段の王都における彼女の素行によるところも大きかった。
「ヴァイドールの姉御ー! 何で肩掛けなんかしてるんだよー!」
客席から、ヴァイドールが普段の格好とは違う赤い半マントを羽織っていることに対する不満の野次が飛んだ。すぐさま、それにかぶせるようにほかの客からも不満の叫びが次々と漏れた。
「ぬーげ! ぬーげ! ぬーげ!」
いつの間にか、客席が一体になって下品な野次をとばし始めた。客席の半数以上が男性であることも手伝って、下品な野次はさらに力を得ていく様相を見せはじめた。ヴァイドールは客席に向かって首をかっ切る仕草で野次に答え、客席には笑いが広がった。
アルツァ・ミ・ホーも野次の原因となっているヴァイドールの半マントにちらりと視線を走らせたが、問題なしと見たのか何の注意も行わなかった。
「両者とも、構え! ……答えよ!」
本来、客席と試合場は別の空間なのだ。アルツァ・ミ・ホーが試合開始を告げると、二人の女戦士はなにも耳に入らないかのような厳しい表情で戦いに集中し始めた。
ヴァイドールの相手の選手は長身だがやせ形の選手で、貧弱な印象の割には動きが機敏だった。ヴァイドールの荒っぽい剣戟の数々をあるときはかわし、またあるときは手に持った小剣で受け流した。
相手の選手が自分の疲れを誘っているのだと感じて、ヴァイドールは即決戦が必至だと考えたのか、さらに振り回す剣に力を込めて相手を追いつめていった。単に相手に対するいらだちが増しただけかもしれなかったが。
だが、赤組の次鋒の選手はあくまでもヴァイドールの疲れを待つつもりらしく、冷静にヴァイドールの剣先に対処し続けた。自分からは決して仕掛けようとはしない。
試合は奇妙な膠着状態に陥った。いつまで経ってもヴァイドールの剣は衰えを知らないが、さすがに幾分息が上がってきたようだ。次第に星屑陣営に緊張感がただよってきた。ヴァイドールを見て、相手の選手がかすかに口元をほころばせたように見えたとき、信じられないことが起こった。
「なめんな、この野郎!」
ごつ、と乾いた音が響き、ヴァイドールと闘っていたはずの選手がその足元に倒れたのだ。その場にいた誰もがなにが起こったのか計りかねたが、ヴァイドールが勝ちを収めたのだという結論に達した観客達が大歓声をあげた。
「勝負あった! 勝者は……」
アルツァ・ミ・ホーはヴァイドールではない選手の名を口にした。会場中が混乱に陥る。ヴァイドールがアルツァ・ミ・ホーに詰め寄る。それを見たアーナはほかの仲間に問いかけた。アーナもなにが起こっているのかよく把握できなかったのだ。
「ヴァイドールはどうしたの? どうしてヴァイドールの負けなんですか?」
マリリはなにが起こったのかわかっていたが、またアーナの機嫌を損ねることになるかもしれないと思って口を開かないことにした。幸いにして、アーナの肩を抱いているウィスミンがアーナの質問に答えてくれた。
「ヴァイドールが相手を殴っちゃったね。相変わらず簡単にキレる女ある」
普段のとぼけた口調のままだったが、ウィスミンは少し困ったような顔をしていた。
「何でアタイの負けなんだよ! どこに目ぇつけてんだ?」
「素手による顔面、または頭部への打撃は反則だ。知らぬとは言わせぬ。貴女は勝負には勝ったかもしれないが、〈鋼の問い〉には答えを出しておらぬのだ」
「……むむっ」
複雑な表情をたたえながらも、ひとまずヴァイドールは自分の陣営へと戻ってきた。不機嫌さまるだしで荒い息を吐いており、マリリ達に口を挟む隙を与えない。マリリはヴァイドールをねぎらう言葉も言い出せずに、肩に掛かる黒髪をくりくりといじることしかできなかった。
「なーんで剣は当たんないのに、なーんでパンチは当たるあるか。なーに考えてるね。わけわからんある」
「やかましい。あんなちんけなナイフが何の役に立つんだ。くそっ」
中堅選手であるルナコが試合場に向かった途端、ウィスミンが歯に衣着せぬ言葉でヴァイドールを責めた。マリリはウィスミンの行動にぎょっとしたが、ヴァイドールは本当にめげているらしく、その挑発に乗らなかった。
「わりいな、マリリ。これであとが無くなっちまった。きついかもしんないけど、がんばってくれよ」
ヴァイドールはすまなそうにマリリに話しかけた。
「アタシには何で謝らないね」
「うるさい。ちょっとだまっててくれ」
マリリは返答に困った。マリリは先ほどから、緊張とも後悔ともつかない奇妙な感覚からくる吐き気に悩まされ、必死にそれをこらえていたのだ。
試合で緊張するなど、以前のマリリには考えられなかった。だが、アーナが敗れ、続けてヴァイドールが敗北すると、マリリの胃は猛烈な勢いで暴れ始めた。マリリは目を閉じて、つばを何度も飲み込み、なるべく勝敗のことを頭から閉め出そうとした。
「ウィスミン、貴女の出番ですわよ」
あっという間に試合を終わらせたルナコが、星屑陣営へと帰ってきた。ちらりとマリリの方へ心配そうな目を走らせる。
「早いあるねー。アタシの出番てことは、まだウチは負けてないねー?」
「ええ、まだ二対一です。勝敗の行方は貴女にかかっていますよ、ウィスミン。貴女も全力を尽くしてくださいね」
どんな状況においても、ルナコの優雅な態度は変わらない。だが、おそらくはマリリに心理的な圧力を与えないために発したであろうルナコの言葉によって、マリリの緊張はなぜかさらに高まってしまった。
「大丈夫?」
幾分気力を回復したアーナが、様子のおかしなマリリに話しかけた。マリリは口を押さえながら首を縦に振って見せ、しきりに唾をのみ込み続けた。
客席から、ヴァイドールに負けず劣らぬ歓声が上がった。ウィスミンに対するものだ。全身を薄布に包まれてはいるものの、異国情緒豊かで、きわめて露出の高い南国の楽天的な衣装は、観客達の歓声を呼ぶにふさわしいものだったのだ。ウィスミンもヴァイドールと同じく、勝率の高さとその独特の個性によって、〈鋼の問い〉の人気選手の一人になっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます