第2話 〈問い〉の答え 3

 ウィスミンはセブリカの予想通り、いつの間にか自分の部屋に帰ってきて寝ていたらしく、朝には仲間の前に元気な姿を現していた。

 昨夜はとうとう帰ってこなかったルナコも、兵舎に帰ったところこそ誰も見ていないのだが、朝にはきちんと服装を整えて闘技場へやってきた。

 ルナコとセブリカは同室なので、ルナコが昨夜、兵舎の方に帰ってきたのかはセブリカだけが知っているのだが、誰もそのことを聞く者はおらず、セブリカも別段仲間達に報告する気もないようだった。


 セブリカはルナコとウィスミンに何の注意も説教もしなかったが、誰がどう見ても、上機嫌には見えなかった。かといって特別いらついているようでもなく、一人何か、思いを巡らしているように見えた。


 ヴァイドールとウィスミンはふざけあい、セブリカとルナコはなぜか押し黙っている。そしてマリリとアーナは昨夜の一件以来一言も口を利いていなかった。

 やはりアーナは怒ってるのだと思って、マリリはますます暗い気分になった。アーナに謝りたかったが、そんなことをすればアーナはもっと機嫌を悪くするだろう。マリリは後悔を通り越して、軽率だった自分に怒りさえ覚えた。


 マリリが一人気をもんでいるうちに、何の作戦会議も行われないまま〈鋼の問い〉は始まってしまった。地下の控えの広間にいた女神達はいくつかある通路を各々通って、実際に競技が行われる闘技場の中央の空間に集まった。空間をぐるりと丸く囲む階段状の客席はすでに観客であふれかえっており、女神団の人間たちがその姿を現しただけで、恐慌かとも聞きまごうほどの大歓声を上げた。


 マリリが〈鋼の問い〉に出場するのはこれで二度目なのだが、大観衆を目の前にしても、別段緊張することはなかった。今は緊張とはちがう、何かもやもやする痛みのようなものがみぞおちのあたりにまとわりついていた。マリリはいやな予感がしてならなかった。


 大会の進行役を務めるアルツァ・ミ・ホー副団長が高らかに大会の開幕を宣言した。いったん、嘘のように静まり返った観客席がふたたび歓声に包まれる。

 客席のあちこちから早くもひいきの選手の名が連呼された。その中には星屑組の者、たとえばマリリの名もあった。自分の名前が複数の人間によって叫ばれるのを聞くと、緊張しているわけでもないのに、マリリの胃はなぜかきりきりと痛んだ。


 「よお、人気者はつらいなぁ。さすが、去年の倍率女王だけのことはあるぜ」


 頭を押さえながらも笑みを絶やさないヴァイドールがマリリの肩を肘でつついた。〈倍率女王〉というのは、去年の〈鋼の問い〉終了後にマリリに付いた称号、あだ名のようなものだ。当時十三歳だった大会初出場のマリリが、毎年優勝候補に上っていた星組のベローニカを下したまさかの決勝戦は、その日闘技場に集まっていたほとんどの人間の予想を裏切り、度肝を抜いた。

 公私を問わず行われている賭博の社会にも衝撃を与え、その日一日で己の財産を失った者、妻や恋人を失った者、泣く泣く子供を働きに出した者などが後を絶たなかった。一方それら被害者とは逆に、偶然マリリに大枚を投資していたために思わぬ財をなした者や、九死に一生を得た者、生き別れの兄弟と再会できた者たちもいくばくか存在した。

 それほど、誰もがマリリの敗北を予想して疑わなかったし、人気薄のマリリにはすさまじいほどの倍率が設定されていたのだ。マリリの勝利は都中で〈マリリの衝撃〉としてしばらくの間語り継がれた。


 だがマリリにとっては、それは自分の興味の範疇外の出来事にすぎなかった。

 自分への声援が大きいのはヴァイドールも同じ事だったのだが、それを指摘するのをマリリはためらった。当然のように会場にはアーナに対する声援は皆無だったし、実際アーナの名前を知っている客もそうはいなかっただろう。アーナのむすっとした顔を見て、マリリはいっそう胃が痛むのを感じた。


 「……よし、ルナコ。予選はすべてお前に任せる。いいな?」


 「……承知いたしました。皆様は休んでいてくださいませ」


 全選手はいったん地下に引き上げた。

 大きな選手控え室の一角でセブリカが星屑組の構成員たちにそう告げると、謎めいた黒髪の美女、ルナコ・パラナカヤシは落ち着いた口調で返答した。優しげな表情をしているが、その眼は戦いを迎える喜びにきらめいている。


 「お、おいおい! なんだそりゃあ! それじゃ決勝まで、アタイの出番はないのかよ! 組長! あいててて……」


 ヴァイドールが抗議の声を上げたが、すぐに頭を押さえてその場にうずくまってしまう。その頭上から、セブリカが厳しく声を浴びせた。


 「酔っぱらいなどに試合を任せられるか。もうすこし頭が冷えてろれつが回るようになったら、出してやるさ」


 容赦のないセブリカの言葉を聞いて、ヴァイドールがううう、と不満そうなうなり声をあげた。うずくまっているヴァイドールを見て、ウィスミンがくっくと笑い声をたてる。


 「だーいじょーぶよ。決勝は一人で任せるわけに行かないからねー。必ず出番は回ってくるのよー」


 両手を頭の後ろに組んで、ウィスミンがのんきな声を出した。

 それを聞いてもマリリとアーナは黙っている。セブリカがいつ本気で怒り出さないものか、びくびくしているのだ。だが、セブリカは特に表情一つ変えるでもなく、全員に移動を促すと、さっさと競技場の方へ歩き出した。すぐにほかの者もそれに続いた。


 〈鋼の問い〉はすべての試合を一日で終わらせる必要があるため、決勝に参加する八組を選出する予選の試合は、すべて組の代表一名による一本勝負で行われる。一度の勝負ですべてが決まってしまうため、どの組も代表の選出に余念がない。最初から主力の選手を投入していく組や、ある程度選手の消耗を押さえるために中堅どころの選手で様子を見る組、中には年少の人間に予選をすべて任せる強気の姿勢が伺える組もあった。


 星屑組はルナコの危なげない剣技によって次々と予選を勝ち抜いていた。東方出身のルナコが用いる華麗でいながら質実剛健な剣術の前に、他の組の代表達は全く対抗することができなかったのだ。


 「相変わらずやるじゃねえかルナコ。ううっ、早くアタイも戦いてぇー!」


 「予選で使うのはいつでもちっちゃい木刀あるよ。ヴァイドールが出たら、一回で負けるに決まってるね。にゃふふふ」


 「なんだとぉ! ……あいてて」


 組内にただよう妙な雰囲気を全く感じていないのか、ヴァイドールとウィスミンはルナコの試合を見ながら絶え間なく軽口をたたき合った。ヴァイドールが無遠慮に叫ぶ度に周りの組の者たちからは叱責めいた視線が飛ぶのだが、本人は全く意に介していない。試合に参加している組の人間達は皆例外なく緊張して言葉少なになっているのだが、ヴァイドール達は唯一の例外のようだった。


 「よお、アーナ。あといくつで決勝なんだ?」


 「あと二つです。決勝の前に昼御飯だけど」


 「おお。そうだそうだ。そういえば、今日はなにも食ってねえぞ」


 ヴァイドールが再び元気を取り戻した。予選の試合があと二つ残っているにもかかわらず、それまで自分の体を支えてくれていたマリリとアーナを、今度は逆に両腕で抱えるようにして、選手用の食堂へ駆け出していった。


 「あっ、待つねー!」


 ウィスミンがはねるようにしてその後を追う。残りの二試合の結果のことなど、どうでもいいような態度だ。


 「全く……」


 「それでセブリカ、決勝に進めたとしたら、どういう構成で臨むんですの?」


 食堂に向かった仲間達の後ろ姿を見送るセブリカの横に、いつの間にかルナコが立っていた。彼女は着物を動きやすいように黒い帯で背中でバツの字に縛り、同じ様に袴も動きの邪魔にならないよう大胆にまくり上げて、膝までを露わにしていた。普段のヴァイドールよりもむしろ肌の露出は低いのだが、観客にはこちらの方がなぜか好評だった。

 ルナコは試合用に定められている武器である、〈ラツカ〉と呼ばれている長くも短くもない木刀を軽く肩に持たせかけながら、セブリカに今後の方針を聞いた。


 「……今考えているところだ。果たしてこのままの方針で進んでもよいものかどうかをな」


 「……」


 ルナコはしばらくセブリカのさらなる説明の言葉を待ったが、それ以上の言葉を聞けそうになかったので、きびすを返して残りの試合を消化するために試合場へと再び向かった。

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