第2話 〈問い〉の答え 1

 マリリは落ち着かなかった。

 女性だけで構成された傭兵団、〈黄昏の女神団〉が一年に一度、団内の士気及び技術の向上をねらう意味と、臨時特別報奨を与える機会もかねて開催している武術大会、〈鋼の問い〉の開催がいよいよ明日に迫っているというのに、セブリカとアーナ以外の仲間の姿がどこにも見あたらなかったからだ。

 セブリカは組のリーダーという立場についているだけあって、一同をまとめる責任感というものが備わっているし、アーナは二週間前にマリリに黙って出かけてしまったものの、ものの数時間で帰ってきた。齢十五のアーナが一人で遊び回れる場所など、王都の中ではそうあるものではなかったし、アーナ自身にもそのような経験はなかった。せいぜい、週に一度この辺りを訪れる貸本屋で本を借りてくるか、子供向けの演劇や歌劇を見に行くか、古物商探索、それ程度しか今のマリリとアーナには娯楽と呼べるものはなかった。


 「落ち着け、マリリ。去年もこんな感じだったろう? やつらも今夜中には帰ってくる」


 兵舎の一階にしつらえられている休憩・会議用の広間の一角に陣取ったマリリ達は、星屑組のほかの構成員が帰ってくるのを待っていた。通常、〈鋼の問い〉の前日には組のメンバーすべてが一堂に会して、明日の大会へ向けての作戦の立案や、士気の確認などがなされるものだ。少なくとも、自分たちの周りにいるほかの多くの組の皆々がそうしているのだから、そういうものなのだろうとマリリは思っていた。


 「でも、練習とかしないと……」


 「なんだ、マリリ。自信がないのか?」


 不安そうなマリリの姿を見て、セブリカは微笑した。面白がるようなきらめきを瞳にたたえ、短髪長身の女剣士はマリリを見据えている。


 「あんたも不安になることがあるんだね。あんたが緊張することなんてないのかと思ってた」


 「そんな! あたしだって……」


 アーナの皮肉を、マリリはそのまま言葉通りに受け止めた。落ち着き無く左手を右肩におき、もう片方の手で腰に差している小剣の柄をしきりになぞる。


 「なんだ、悩み事でもあるのか、マリリ?」


 「え? ……いえ。……別に」


 「腹にため込んでいることがあるのならば、今のうちに吐き出しておいた方がいい。大体予想はつくがな。私でよければ、相談相手になるぞ」


 「……いえ、大丈夫です」


 セブリカはいぶかしげにマリリをしばらくみていたが、やがてゆったりとした長椅子に身を横たえると目をつぶって何かを考え始めた。マリリとアーナは小さな机を挟んだ向かいの長椅子に並んで座り、残りのメンバーが帰ってくるのを無言で待ち続けた。


 背後から、コツコツと長靴と床がぶつかる音を立てながら、何人かの人間がこちらに近づいてきた。ヴァイドール達が帰ってきたのかと、マリリが後ろを振り返ると、そこには彼女達ではないが、マリリ達が見知った顔が並んでいた。


 「大した余裕を見せつけてくれるな、セブリカ。大会前日の夕暮れ時まで豪遊三昧とは。さすが前年の優勝組は、ひと味違う」


 「ベローニカか」


 セブリカが顔を上げた。三人の目の前には、マリリらが所属している星屑組と好敵手関係にある組、〈星組〉の顔ぶれ全八名が揃っていた。むろん全員女性だ。マリリは何かいやなことを言われるような予感がして、思わず身をすくめた。


 「ということは、ベローニカ、どこかでうちの組員を見かけたということだな」


 セブリカが耳ざとくベローニカの言葉尻を捕らえて訊くと、ベローニカと呼ばれた女性は顔半分にかかっている鮮やかな紫色の前髪を片手でさっと掻き上げ、腰に手を当てた。


 「これはこれは大したリーダーぶりだ、セブリカ。見たとも。ヴァイドールと言ったか? あの下品な女傑殿が、〈膨れ腹通り〉から男どもを引き連れて出てくるのを見たぞ。見たところ、かなり酔っていたようだったが。星屑組が飲酒行為を奨励しているとは知らなかった。それともあれは大会に向けての何かの特訓だったという訳かな?」


 星組のほかの構成員たちがくすくすと笑い、マリリは顔が火照るのを感じた。ちらと横のアーナを盗み見たが、アーナも自分と同じく、決まり悪い思いをしているようだった。ところが、セブリカがふんと鼻を鳴らす音が聞こえ、マリリは驚いて顔を上げた。


 「まあ、そうだな。己に足かせを課す訓練といったところだ。明日は是非健闘してくれ、星組の諸君。そちらも去年の轍を踏みたくはないだろうからな」


 くすくす笑いがやんだ。ベローニカが機嫌を損ね、表情が一変したのだ。


 「はっ、課員の管理もできない者の忠告を聞く義務はない。もちろん、こちらも万全の体制を整えているさ。決勝で当たるのが楽しみだ。……いいか、マリリ!」


 「はいっ?!」


 マリリはびっくりして飛び上がった。くすくす笑いがまた聞こえ、再び恥ずかしくなったマリリは、両手を口に当てた。ぼうっとしていたわけではないが、まさか自分がいきなり言い合いの標的になるとは思わなかったので、必要以上に驚いてしまったのだ。


 「相変わらずひょうひょうとした態度で恐れ入るよ、剣聖どの。だが、勘違いしてもらっては困るな。我々は挑戦者のつもりでいるわけでは全くない。いいか、去年のような作戦が今回もはまると考えているならば、それは大きな間違いだぞ! いい気になるなよ! 星……屑組のマリリ!」


 「あ……はい」


 どう返事を返していいかわからず、マリリは曖昧に答えた。ベローニカは少し拍子抜けしたような顔をしたが、その返答に満足したのか、取り巻きを引き連れてどかどかと足音高くその場を去っていった。


 「やれやれ」


 セブリカがため息をついた。


 「ふふ、あれだけの恨みを買ってしまうのも仕方がない。それだけベローニカがお前の実力を認めているということだ。マリリ、気にするなよ」


 「……はい」


 マリリは気にしていた。昨年の〈鋼の問い〉において、星屑組は決勝戦で星組を破り、大会の優勝を果たしていた。

 その決勝戦で、星組の大将であったベローニカを破った星屑組の人間、というのがほかでもないマリリだったのだ。星組のベローニカはそのことをいまだ根に持っており、星屑組の中でもとりわけマリリを敵視していた。マリリは場の雰囲気をどうすることもできず、膝に乗せていた自分の小剣を半分ほど何度も抜いたり差したりした。その騒音に隣のアーナが顔をしかめたことには気づかなかった。

 そのとき、


 「たっだいまぁ~」


 広間中に陽気な声が響きわたり、ざわざわしていた広間が一瞬、しんと静まりかえった。しかし、その声を出した張本人の姿を確認すると、広間内の傭兵たちは舌打ちしたり、毒づいたり、あざけるように笑ってから自分たちの世界へ戻っていった。


 マリリはその声の調子から、声の主はヴァイドールだろうと思って立ち上がって広間の入り口の方を見たが、それは果たしてその通りだった。どう見てもへべれけに酔っぱらっているヴァイドールが、おぼつかない足取りでこちらを目指して歩いてくる。時折体勢を崩してほかの組の机などに迷惑をかけながら、にこやかに歩を進めてきた。


 「ヴァイドール!」


 ヴァイドールが口を開くよりも早く、セブリカが一喝した。自分が怒鳴られたわけでもないのに、マリリとアーナがびくっと身をすくめる。広間のあちこちから再びいくつかの舌打ちが聞こえた。


 「いやっはは、わりいわりい。相手の男がさ、タンターなんとかっていう奴なんだけどさ、貴族? 海賊? なかなか離してくんなくってさあ。今でもまだ腰が……」


 マリリ達の方をちらりと見て、ヴァイドールは言葉を選んだ。


 「体中が痛くってさあ。くふふふふ」


 あまり適切とはいえない言葉を選んだヴァイドールに、セブリカは鼻息を吹き出し、マリリとアーナは眉根を寄せた。


 「もうお前はいい。部屋へ戻って休んでいろ」


 ヴァイドールの体たらくを見て処置なしと見たのか、セブリカが片手で顔の片側を覆い、つぶやいた。ヴァイドールも「そう?」などといいながら逆らわずに自分の部屋へと通じている階段を上っていこうとした。

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