第30話 流砂にプレリュードを 1

 二日が経過した。

 疲れ果てていた全員は泥のように眠った。

 そして、散々泣き笑い互いをほめたたえ合うと、質素な食事を和気あいあいと摂って、落下した楽園島に向かうことにした。


 誰の顔にも笑みが浮かんでいたが、特にテンションが高いのはイヅナだった。

 理由は言わないが「今日から、改名することにしたから」と笑う彼女には、それがとても重要だということは那須平にもすぐ分かった。


「改名ですか?」


 首を傾げる朱里に、イヅナは誇らしげに胸を張る。


「XE27も、イヅナもやめて……正式名は菜々美を名乗ります! 今日から新世界だしね!」


「正式名? そんな簡単に変えちゃっていいの?」


 未久が目を丸くしているが、


「いいの、いいの! これが一番しっくりくるから。でも、みんなはイヅナでもいいから。呼びにくいでしょ?」


 と、イヅナは心の底から嬉しそうに笑う。


 薄々事情が把握できた那須平は、表情を緩めて言った。


「本人が決めたのならいいんじゃねえの? イヅナだけじゃなく、じっさんまで嬉しそうだし。いいことあったんだろ?」

「まあな……なっさんの推測通りだ」


 二郎が意味深な笑みを浮かべる。


「ええっ!? 何か理由があるの? なになに?」

「内緒だ」

「またそれ! じっさんって大事な話全然してくれないし。朱里は何だと思う?」

「何でしょう? でも……菜々美さんってかわいい名前です」


 朱里の一言に釣られて、イヅナが花を咲かせるように破顔する。


「そうだよね! そう……かわいい名前なの。忘れないようにしないと……朱里、ありがと」


 イヅナが走り寄り、朱里の手をとってぶんぶんと振った。表情が、憑き物が落ちたように晴れ晴れとしている。

 那須平が手を打ち鳴らして、注目を集めようとした。

 が、片腕が動かしづらくうまく音が出なかった。


 未久がとととっと那須平の隣に立つ。「ちゅうもーく」と代わりに片手を上げる。そして、「どぞ」と微笑んで彼にバトンを渡した。

 那須平が微苦笑を浮かべて言った。


「まあ、それはそれとして、新生楽園島を見に行こうぜ。おやっさんたちも心配だしな」

「了解した。ボートを用意する」

「あっ、私も手伝う!」


 二郎が腰を上げると、イヅナが子供のようにあとに続いた。


 ***


 縄はしごがあれば登れそうな高さの岩だ。

 流砂の上に落ちたとはいえ、昇るには苦労するな。そう思っていると、上に誰か立っていた。


「南に回れ!」


 楽園島の端で、男がぼろい布を棒に巻きつけた旗のようなものを振って南を指した。

 ぞくぞくと楽園島に集まってくる人間の案内役だろうか。那須平は言われるがままにボートの舵を切り、舳先の向きを変える。


「こんなに人が集まるって初めてじゃない?」

「まあ、砂の世界が始まって以来だろうな」


 砂の上は大盛り上がりだ。

 多種多様のボートの間を縫って南に回ると、寄せられそうな岸がいくつもあった。

 那須平たちは順番待ちをし、全員で上がる。混雑するボートは別の場所に係留しておくらしい。わずか一日の間に、簡単な仕組みができあがっていることに驚きつつ、那須平たちは島の内部に進む。

 多少破壊のあとはあったが綺麗なものだった。

 と、開けた場所に人だかりがある。その中でひと際体の大きな男が那須平に気づいた。


「おやっさん!」

「那須平、無事だったか!」


 北の島のリーダーである永留だった。物々しい装備は外したのか、現在は腰に小銃を一丁ぶら下げているだけだ。

 彼は、周囲を取り囲む部下たちの間を縫って、那須平に近づいた。


「だいぶ揺れたぞ。島が着地したときにはほとんどの味方がひっくり返った。まあ相手さんも同じだったがな。お前も、死ぬと言っていたが生きていて良かった」

「なんとかね。敵さんは結局どうなった?」

「島が落ちた時点で、全員が戦意喪失だ。あそこからは楽な仕事だった。俺たちと南が合流して数が増えたしな。ほぼ全滅させた」


 那須平が首を傾げた。


「ほぼ?」

「問題はそれだ。時間はあるか? 力を貸してほしい」


 永留はバツの悪そうな顔で頬をかいた。


 ***


「何も見つからない?」

「そうだ。センタービルの入り口をこじ開けたところまでは良かった。楽園議会を潰そうと乗り込んだのだが……っと、ここから先は何があるかわからん。人数を限らせてほしい」


 永留は重々しく言って、指を差した。

 那須平、二郎、そしてイヅナだ。


「お嬢ちゃん二人は、ここで待っていてくれ」

「大丈夫?」


 未久が那須平に顔を向けた。


「大丈夫さ。何か仕掛けてくるようなら、とっくに仕掛けてるはずだ。それに――島が落ちた以上、何をやってももう無駄だ」

「そう……いってらっしゃい」


 ひらひらと振られた手に、那須平が片手を上げた。


「では行くか」


 永留がセンタービルの長い廊下を見つめた。


 ***


「最初に南の島を引き込んだのは正解だった」


 足音だけが木霊するコンクリートの建物内で、永留がぽつりと言った。


「どういうことだ?」

「島が落ちたあと、俺はもう少し混乱や略奪が起こると思っていた。だが、俺たちと南の島が最初に陣取ったせいで、他の小さな島のやつらの行動に歯止めがかかった」

「北と南を敵に回すわけにいかない、と?」

「そう考えたのだろう。この楽園島が今後二つに分かれる可能性はあるが、そうならないよう、混乱しているうちにさっさと新しい意思決定機関を作ろうと思う。南もそれに賛成している。うちから二人、南から二人、小さな島の中から二人。そして、楽園島の人間が一人と那須平――お前だ」

「俺も? 多くないか?」

「島の暗部を古くから知る人間が一人はいる。それに、お前の近くには、元島民と最近の島の暗部を知るそっちのお嬢ちゃんもいる。適任だ」


 永留がイヅナに微笑を向ける。


「現在の島の住人の処遇、資源の配分、外に暮らす人間をどうしていくのか。問題は山積みだ。那須平、責任者の一人として力を貸してくれ」


 那須平が力強く頷く。


「もちろんだ。島を落としたからには、何なりとやるさ」

「助かる。俺たちはこれから新楽園島の最初期のメンバーとなる。二度と同じ過ちを起こさないためにも――」


 永留が足を止めた。

 黒い壁にエレベーターが埋まっていた。


「楽園議会のすべてを知っておく必要がある」


 ***


 永留がボタンを押すと、音もなく扉が開いた。

 黒い棺桶の中に入るようだ。

 四人が足を踏み入れ扉が閉まる。わずかなモーター音が鳴りはじめ、すうっと動き始めた。


「上か、地下か……」

「上みたいね。遅いけど」


 永留の言葉に、イヅナが答えた。


「分かるのか?」

「私のバランス感覚は並外れてるから」


 曖昧に言い、沈黙が広がった。

 ポーン、という合成音と共に、扉が勝手に開く。非常に広い一室だ。人はいない。

 一番奥の壁にはほぼ見かけない絵画が飾られ、両側には腰の高さの木だなと、細かい設計図が描かれた大きな紙が貼られている。


「俺が先に行こう。扉は開けておいてくれ」


 永留がすばやい動きで調度品の影を移動する。

 瞬く間に中央のソファまでたどり着くと、ゆっくりと上体を起こした。


「罠ってこともなさそうだ」


 那須平、イヅナ、二郎が中に歩を進める。

 壁際に寄った二郎が、感嘆の声を上げた。


「外が見えるマジックミラーか。どうやらセンタービルの頂上なのは間違いなさそうだな」

「じっさん、これ見てくれ」


 那須平が壁際の設計図を見上げた。


「ヒューマノイドか……」


 ぽつりとつぶやく二郎の声が強張った。腕と足の一部だけだが、機械に強い二郎はその構造の複雑さに驚くしかなかった。


「どれだけ実験を繰り返したんだ」


 吐き捨てるように言った那須平は視線を切って、奥に進む。

 二郎が足を止めかけたイヅナの手を引いた。


「水、風、地熱、流砂、バイオ燃料で動かすタービンの研究が多いか。やはりエネルギー問題は避けて通れないということか。俺たちも考えないとな」


 永留があっけにとられた様子で壁を眺める。那須平が隣に並んだ。


「肝心の技術者がどれくらい残っているかだな」

「急がないとな。こうしている間にも、流砂に呑まれて死んでいく人間がいるだろう。知識も知恵もどんどん消える。楽園議会というのは技術者集団だったのか。那須平、何人いたか知っているか?」

「知らねえな」


 那須平はそう言ってぐるりと室内を見回した。

 特徴の無い部屋だ。長方形の形をした広い部屋。ここですべて決めていたのだろうか。


「これが、楽園議会のすべてなのか?」


 那須平の疑問に答えられるものはいなかった。


 ***


 エレベーターに再び入った那須平は、永留に視線を向けた。


「何も見つからないってのはこういうことか」

「道に迷うはずがない。入口から入ってエレベーターまで長い廊下を一直線。そこから最上階に上がった先にあるのが今の部屋だ」

「けど、そこにあるのは――」

「主にエネルギー関連の資料と、アンドロイドの四肢の設計書、あとは水耕栽培の実験記録……」

「綺麗すぎるな」

「そういうことだ」


 永留が眉根を寄せてエレベータから降りた。

 後ろ髪を引かれる様子で、那須平が振り返って扉が閉まる様子を見送った。

 と――


「そのボタンの下、スイッチじゃない?」


 イヅナの一言に、誰もがばっと顔を向けた。

 これ見よがしに存在する四角い上ボタンの下に、わずかに透けた基盤があった。暗い室内では見分けがつかないが、よく見ると誰かの指紋がある。

 永留が目を皿にして確認する。


「本当だ!」

「そこだけタッチパネルか」


 二郎が感心して、隣から覗き込む。


「すごいな、イヅナ。お手柄だ」

「お世辞はいいから、さっさと押しましょう」

 ゴトンと何かが切り替わる音がした。


 そして、エレベーターの扉が、すうっと開いた。

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