第25話 侵入 1

 街は騒然としていた。どこかで火薬の爆発音も聞こえる。

 ところどころで派手に窓が割れ、辺り一帯に得体の知れない臭気が漂っている。

 壁に向いて吐しゃ物をぶちまけている男がいた。上半身にべったりと赤黒い液体を浴びたようで、服を脱ぐのも忘れて苦しんでいる。


 横切った女性の二人組が「あの男なんだったの?」と嫌そうな顔でとある方向を睨んでいた。

 だが、二郎はそんな様子を少しも気にかけない。

 那須平から聞いていたとおり、守護隊の人間は限られているらしく、島民がこれだけ混乱しているのにまだ出くわさない。

 島民のふりをしたまま、目立たない程度に小走りで駆けて島の中央に向かう。


「ここだ」


 懐かしいパステルカラーの黄色の建物だ。

 二郎は郷愁に浸りそうになる気持ちを振り払って、階段を急いで登り始めた。時間は少ない。

 仕掛けた自動走行のミニカーも長くはもたない。小型のアザラシ瓶を手当たり次第にまいたあとは動きを止める。

 そうなれば、自分のところにも追手がかかるだろう。


 北の島で白兵戦の基礎を学び、たまに那須平とも組み手を行ってはきたが、いざ実戦となると自信はない。小銃も用意しようかと尋ねられたときには首を振った。当てることができないお守り代わりの武器など自分には荷物になるだけだ。

 カンカンと金属のらせん階段をかけあがり、息を整える間もなく廊下を走る。


 ――もうすぐだ、もうすぐだ。菜々美。


 流行る気持ちを抑えつつ、扉の前に立った。表札は『江藤』。

 『岩峰』ではないが結婚したのかもしれない――

 そう思った時に、ふと気づいた。

 二郎が強制的に連れ出された時にはなかった呼び出しベルがある。扉を叩こうと振り上げた腕を下ろし、震える指先でベルを押した。

 ポーン、という聞きなれない音が小さく響いた。

 しかし、誰も出てこない。


「いないのか、留守か?」


 二郎は早口で自問し、もう一度押した。やはり誰も出てこない。

 心臓が早鐘のように鳴る。焦燥感に耐えきれなくなり、とうとう扉を乱暴に叩いた。途端に廊下に鳴り響く大音。けれど、気にする余裕はなかった。

 早く。

 早く。

 ドアノブががちゃりと回り、扉が内に開いた。

 二郎は体を押し入れるように中に入った。


「菜々美っ!」


 その拍子に、玄関で腰砕けで倒れたのは三十代前半に見える女性だった。もし菜々美が生きていれば世代は近い。背格好も十分ありえる範囲だ。


 だが、違う――

 絶対に違う。

 何よりも彼女の雰囲気が違う。あの快活な菜々美には似てもつかない暗い空気を纏っている。

 やはりいないのか。

 暗澹たる想いに心が沈みそうになった。同じ家に住んでいるはずがない、と思いつつもどこかで期待していたのだ。


「お母さん?」


 二郎は幼い声にはっと顔を上げた。

 前髪を切りそろえた五歳くらいの少女が、ぬいぐるみを片手に奥の部屋から姿を見せた。


「佐那っ、来ちゃだめ!」


 怯えていた母親の顔に闘志が灯った。

 少女が菜々美に似ていないかと目を凝らした二郎の隙をついて、頭の上に何かを叩きつけた。玄関にあった花瓶だった。

 鈍重な音が響き、二郎の目の前が明滅した。一瞬意識を失いそうになり、ぐっと膝をこらえて踵を返した。


「誰か、誰かっ!」


 母親が背後で金切り声を上げた。少女の鳴き声が続いて聞こえた。


「すまない、すまない……」


 額に熱い何かが伝ってきた。血だ。

 二郎は片手でぬぐって廊下を走りながら詫びた。

 たとえ聞こえなくとも口にするべきだと思った。

 自分もそうだった。

 菜々美の手前、やってきた守護隊に怖がるところを見せられなかった。だから、波風を立てないように過ごそうとしただけだ。

 だが、さっきの母親はもっと強い。

 少女が出てきた瞬間に顔色が変わったのだ。腰を抜かすほどに驚き、怖かっただろうに、迷いなく二郎に牙をむいた。

 自分がどうなるかなど頭にない様子だった。


「菜々美……お父さんは……怖がらせるつもりはなかったんだ……」


 まったく似ていないと思った母親の姿に、菜々美が重なった。

 二郎を守ろうと立ち向かった強い娘の姿と同じだった。

 あの母親が菜々美だったら良かったのに。

 でも違うのだ。


 いない。いない。


「菜々美……どこにいるんだ。お父さんな、もう折れそうだ。いるなら返事をしてくれ」


 二郎はまた熱いものを拭った。

 それは、十数年ぶりにあふれ出した涙だった。


 ***


「相変わらず変わってねえな。人が少なくて辛気臭い雰囲気ったらありゃしない」


 那須平は街中の風景に目を向けた。

 どれも箱をそのまま重ねたような何の特色もない建物だ。窓ガラスは小さく、ベランダもない。色は単色のパステルカラー。

 必要最低限の玄関の名札以外は、どれもが型を押したかのごとく代り映えしない。道端には錆びた自転車が数台横たわり、手入れの行き届いていない伸びっぱなしの花壇が道路を装飾する。


 時々現れる目に痛い色の『薬』と書かれた小さな看板に、『食糧』の立て看板。

 何もかもが無駄を省き、個性を潰した景色だった。

 そして、その中でたった一つの異質な輝きを放つ漆黒のビル。

 那須平は、島の中央にそびえ立つ、異様に細長く奥行きのある建物に視線を向けた。外部から中が見えないそれは石碑のようにも見えた。

 27番の防護服に身を包んだイヅナが興味深そうに聞く。


「あなた、センタービルに入ったことあるの?」

「あるわけないだろ。あそこは楽園議会の専用ビルだぜ。けど、ろくな人間がいないことだけはよく知ってる。顔を見せずにわけのわからない任務だけはどかどか送ってきやがるからな。イヅナもそうじゃなかったか?」


 那須平は苦々しげに言った。


「まあね……私も議員の顔なんて一度も見たことないわ」

「あいつらが頭で、俺らが手足。変わってないな。くそったれ島のままだ」


 那須平が寂しそうに声をあげ、はっと気づいてイヅナの手を引いて壁際に体を寄せた。

 横合いから二人組の守護隊が小銃を片手に現れたからだ。

 茶髪の男と黒髪の短髪の男ががうんざりした顔でしゃべる。


「お前、那須平って知ってるか?」

「知らねえよ。お偉いさんが探せって言って、隊長殿がはりきってやがるだけだろ。非番だったのに。見つけたらマジでぶっ殺してやる。しかも、この匂いで鼻の奥が最悪だ。酒飲むころには治るかな?」

「ばか、酒の心配してる場合か」


 聞き取れたのはそれだけだった。乱暴な足取りで二人の前を歩いていった。

 息を潜めていたイヅナが安堵の息をつく。


「顔は割れてないのかしら?」

「まだ名前だけが独り歩きしてるみたいだな。じっさんのおかげだ。この激臭で相当混乱してるんだろ……これは何年ものだろうな」


 那須平が汗をぬぐって顔をしかめた。


「これって石アザラシよね?」

「正解。じっさん特製の匂い爆弾だ」

「さっき持っていった車を使ってるの?」


 首を傾げたイヅナに那須平が指を立てた。正解のポーズだ。


「あの車は簡単な自動走行ができる。アザラシ瓶を発射しながら、電池が切れるまで走り回るんだとよ。部品と瓶集めは結構苦労したんだぜ。派手にやって集めてることがばれたら守護隊に目をつけられるからな」

「……それってテロじゃない? あんなの撒かれたら慣れてない島の人間は鼻がつぶれるわ」

「おいおい。鼻くらいなら感謝してほしいくらいだ。って――」


 那須平が再び植樹の影にしゃがみ込んだ。イヅナの頭をぐっと抑え込む。また別の守護隊。今度は一人だ。防護服には七番の印が描かれている。


「数は少ないが、散らばり始めたのかな? イヅナ、お前みたいな半ヒューマノイドは何番だ?」

「ちょっと、言い方に気を遣いなさいよ。……私と同じやつは二十五から三十よ。出会ったらすぐ逃げなさい。全員が笑いながら眉間に一発打ち込むくらいのやつらよ」

「性格悪いな。ああ、やだやだ。けど人数は予想通り少ないな。それだけしかいないのか」


 眉を寄せた那須平に、イヅナが「そうよ」と言ってセンタービルを見た。


「いくら隠したって島の怪しい噂は広がるわ。私みたいなの作るだけでも、材料が集まらないんだって」


 イヅナが唇をとがらせる。


「だから、絶対に戻ってこいって言われるんだろ?」

「そうよ。『お前ひとりで、十人分は働け』って言葉とセットでね。私は死ぬときは島で死なないといけないらしいわ。パーツの回収が手間になるからだって」

「ひどい話だな」


 那須平が肩をすくめて嫌そうな顔をする。


「だから慢性的な兵士不足なの。それに、わざわざ砂の海に出かけて外民に恨みを買うような危険な仕事を誰がやりたがるのよ」

「まったくだな。まあだからこそ上層部は完全自立型のヒューマノイドってやつが欲しいんだろうな」


 那須平は守護隊がいなくなったのを見て静かに立ち上がった。

 元々、侵入者対策などろくに考えていない島だ。砂の海を渡ってゴンドラを登ってくることなど想定外だろう。イヅナのゲートを封鎖したのがその証拠だ。


「もうすぐ目的のゲートだ。遅れるな」


 ショットガンを片手に構えた那須平は、表情を引き締めて周囲を見回した。


 ***

  

「ちょっと寄り道な」

「えっ? ちょっと!? そこ守護隊の控室よ!? 寄り道なんてしてる場合じゃ――」


 慌てた顔で止めるイヅナを振り切って、那須平が無言で扉を蹴破った。

 視界に様々な酒のボトルが並んでいる光景が飛び込んできた。仕事部屋よりも酒場といった方が近いかもしれない。

 部屋の中央で、一体何が起こった、と体を強張らせている男が一人座っていた。ウィスキーに口をつける寸前だったのか、片手がしっかりと小さなグラスを握っている。

 那須平が薄い笑みを浮かべていう。


「緊急事態に一人パーティ中とは。不真面目さもたまには役に立つ」

「誰だ!? お前が暴れてる那須平ってやつか!? どうやってここに!?」


 顔を赤らめた男がおぼつかない足取りで立ち上がった。蹴飛ばされた足元の酒瓶が、けたたましく転がって割れた。腰に手を伸ばし――島の中ではホルスターと小銃の携帯を許されていなかったことに気づいたようだ。顔が青ざめる。


「予想どおり最悪のツラだ。二度と見たくねえ」


 那須平は躊躇なくショットガンの引き金を引いた。

 至近距離からの散弾は男の腹部に大穴をあけた。唖然とした表情のまま腹から壁の向こう側をのぞかせ、赤い華をまき散らして倒れた。


「さあ、行くか。驚かせて悪かったな。おっと……疑似人格装置は破壊して、ゲートは手動開放っと」


 那須平はつきものが落ちたように表情を和らげた。「寄り道した分、急ぐぞ」と口にし、騒がしさを増している道路に向けて踵を返す。

 イヅナがそっと側に寄っていった。


「……あなたも二十二番のクズが嫌いだったの?」

「個人的な恨みって意味では同じようなもんかな」


 疑問を浮かべるイヅナを無視して、那須平は再び走り出した。説明するつもりも、答えるつもりもなかった。

 ただの私怨だ。

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