第23話 楽園議会 2

 三十センチ四方の箱だ。透明な物体の中には深い青みがかった溶液が満ち、その中には――


「ひっ――」


 髪の無い人間の頭部が浮かんでいた。首から数本のチューブが伸び、小さな金属を張り付けた拳大の心臓らしきものが脈動している。

 田島は気を失いそうになった。


 その頭部がはっきりと両目を見開き、自分を見つめていたのだ。時折頬がひくつき、口元がわずかに痙攣している。

 足下ががらがらと崩れるような感覚の中、金崎の声が響く。


「この時点で、壁際で死んでいる副隊長は銃を抜いた」


 田島が反射的に死体を見つめた。

 光のないにごった瞳が何かを訴えているように見えた。

 乾燥した唇を、舌で舐めてわずかに潤した。かすれた声が出た。


「こ、これは?」


 そう言うと同時に、四角い箱は机の中央に沈み込むように消えた。荒々しく波打った心臓がわずかに落ち着いてくる。


「疑似記憶維持装置。我々の記憶を受けついでいくためのシステムだ」

「記憶?」


 金崎が壁際に立つスーツ姿の男の一人を指さした。

 男は身じろぎ一つしない。その理由はすぐに知れた。


「あれらが完全なヒューマノイド。とあるキーワードで起動し、銃を撃つことに特化させた機械だ。しかし、あれではどんな命令も理解する完全自立稼働のヒューマノイドにはなりえない。君の手足にはなれないということだ。今できることは、人の記憶を不完全ながらデータ化することと、脳や一部の器官以外を機械化すること」


 田島がごくりと喉を鳴らした。


「さっき見せた頭部は、それらを組み合わせた試験体だ」

「完全なヒューマノイドのために?」

「……なぜ、こんな不気味なものを、と思うだろ?」

「……はい」

「この楽園島は放っておけば滅びるからだ」

 

  ***


「田島隊長はこの島の最大の問題は何だと思う?」

「問題ですか? 人が少ないことでしょうか?」

「それもあるが、最も大きな問題は、資源と食糧が無いことだ。何かを始めようとしたときに、木材や金属が十分に無ければ始められんのだ」

「資源についてはおっしゃる通りですが、野菜や植物はあるのではないでしょうか? 僕はあまり知りませんが、農園もあると聞いています」


 十二歳まで通う楽園島の学校ではそんな授業を受けた記憶があった。

 金崎がゆっくりと頷いた。


「確かにある。島の西面を目いっぱい使った農園がな。中央の湖も、旧世界の濾過システムをフル活用して何度も再利用している。しかし、それですら島民全員に満足にいきわたることはない。島の端に住む者は外民とさほど変わらない生活を送っている。家畜や肉もそうだ。大豆を使ったフェイクミート、淡水魚の養殖、土を使用しない水耕栽培、バイオ燃料に発電技術。私たちには様々な知識がある。けれど、あまりある資源は砂だけだ。外民たちから取り上げてはいるが、金属に限れば我々の方が少ないかもしれない」

「……知識はあってもできないと?」

「今の世界しか知らない君からすれば信じがたいだろうが、砂に覆われる前の世界には何十億人という人間を養えるほどの資源があったのだ。少し歩けば木があり、海と呼ばれる水の恵みがった。可能なら、砂を掘り起こして、砂中に埋まった建物でも工場でも引き上げたいところだ」

「僕には、正直なところ、そんな世界が想像できません……」


 田島がそっと視線を落とした。


「分かっている。大事なことが今であることは間違いない。私たちが言いたいのは、やろうと思えば知恵はあるということだ。そして、この知恵を引き継ぐ人間がいなければ、文明は完全に途絶えるということだ」

「それが、楽園島が滅びるという意味ですか?」


 金崎が重々しく頷いた。


「今はまだいい。私たちのような旧世界の生き残りがいるうちはな。しかし、我々三人や一部の外民の知恵をどう引き継ぐ? 普通ならば書物に残すところだが、紙がほとんどないのだ。古代は石に残したそうだが、自由に削れる石もない。口伝か? それもいずれ忘れ去られる。激減した人間がまた砂に呑み込まれないとも限らない。それならば、できる限り頭の中のデータを記録し、島で引き継いでいくしかない」

「それが……さきほどの」


 田島の脳裏に、青い溶液の中に浮いていた頭の映像がよぎった。

 ようやく理解した。なぜ気味の悪いヒューマノイドなどを作ろうと考えているのか。他人の記憶を残す理由を。

 楽園議会が欲しがっているのは記憶ではなく知恵なのだ。


「この十年ほどの間に、事態はより深刻になっている。楽園議会も当初は六人だった」


 金崎が寂しげに左右に座る二人を眺めた。


「三人が病気で亡くなり、残るのは私たちだけだ。当初四千人以上いた島民も、環境に適応できずに三千を切ろうかとしている。島の森は徐々に小さくなり、湖の水質も悪くなっている。だからこそ、限られた資源と人材を求めて、毎日、砂の海に君たちを派遣しているのだ。だが、手に入るのは微々たる量。厳しく当たった外民には恨まれるだろうが、守護隊は楽園島になくてはならない組織なのだ」

「分かります……僕も、島のためだと思って任務をこなしてきましたから。ちなみに……それ以外に島民の生活を良くする手はないのでしょうか?」

「ある」

「あるんですか!?」


 田島が驚きを顔に浮かべた。金崎が微笑を浮かべた。


「もうすぐ始めようとしているが、『楽園民』の制度だ。私たちが苦心のうえ出したアイデアだ。歴史上、成功例もある」

「……詳しく教えていただけますか?」

「もちろんだ。田島隊長にはその資格がある。残念ながら、副隊長には絵空事だと非難されたがね」


 金崎がとうとうと語りだした。


 ***


「北の島と南の島を特区とし、島民を『楽園民』とするのいうのはどういう意味ですか?」

 田島は身を乗り出すようにして尋ねた。

 何かとてつもない制度が始まるのだという予感と、自分がこの瞬間に立ち会えたという喜びが心を湧き立たせていた。

 金崎は嬉しそうに「きちんと話すから、落ち着いて聞いてくれ」と手で促す。

 そして、机の上にさっと指を走らせた。

 田島の目の前に皿に載った小さな食べ物が二つせりだした。


「これは? 片方は餅ですか?」

「話す前に、少しだけ休憩だ。もちろんこれからの話と無関係ではない。左が大福という。田島隊長も島で一度くらいは口にしたことがあると思う。どちらも旧世界で作っていたものだが、私たちの住んでいた場所では左の方が有名だったはず」

「右はなんですか?」

「カンノーロという、筒型に揚げた生地の中にクリームを詰め込んだお菓子だ。食べてみてくれ」

「では……いただきます」


 田島はカンノーロを手にとった。知らない感触だ。口に運んで噛むとサクッという小気味よい音とともに、たっぷりのクリームの甘さが口内に広がった。

 思わず頬が緩む。張りつめていた神経が一気に弛緩したようだ。


「美味しいだろ?」

「とても……」


 田島は素直に頷いて、勢いよく二口目をかぶりついた。

 こんなにうまいものがあるのかと、目からうろこが落ちる思いだった。


「カンノーロだけじゃない。ありとあらゆる菓子が旧世界にはあったのだ」

「……こんなものが何種類も?」


 田島は食べかけのカンノーロをまじまじと見つめた。


「何百も何千もあった。それを多数の人間が食べられたのだ」

「……続きを、聞かせていただけますか?」

「北と南の最大の島二つを特区に指定すると言ったが、要は、楽園島の出張所のような場所を作るのだよ。そして楽園島の人間に次ぐ地位、つまり『楽園民』の名を与える」

「具体的にはどんなことを?」

「まず、彼らに特権としてお金の製造を認める」

「島の紙幣を作らせるのですか?」


 金崎がかぶりを振った。


「紙幣ではなく、硬貨だ。こういう金属でできたお金だ」


 田島の前に一枚のコインが差し出された。くすんだ茶色の硬貨には、『10』という数字が書かれている。


「旧世界では十円玉という呼び名だが、それに近いものを金属の種類に応じて作らせる。そして、北と南にその管理を任せる。あそこは巨大な『市』も兼ねている。『市』でその硬貨しか使えないようにすれば、自ずと広まる」

「北と南は言うことを聞くでしょうか? 楽園島はなにかするのですか?」

「安定した食糧を北と南に提供し、首輪をつける。逆らえば他に流すが良いか、とな。金の供給量もそれで調整する」

「楽園島の食糧が不足しているのに分け与えるのですか?」

「まあ、最後まで聞いてほしい。私たちは食糧を提供する代わりに、北と南から硬貨を提供させる。買い取らせると言ってもいい。砂の世界は万年食糧不足だ。飛ぶように売れるだろう。価値のある硬貨ほど高い金属を必要とする仕組みだから、北と南の外民はこぞって希少な金属を集め、生活できる程度に探していたものを余分に集めるようになる。砂の海には探せば山ほどの金属が埋まっている。生産量はこれで増えるだろう。そして、硬貨は食糧と引き換えに楽園島の懐に集まる。島内にも硬貨を徐々に広めつつ、余分な金属は溶かして再利用する。肝心の食糧は……これを渡す」


 金崎が胸ポケットから手のひらサイズの銀色の袋を取りだした。


「それは、試験的に外民にまきはじめた……あの?」

「そうだ。一袋で腹も膨れるうえ、加熱が不要な食糧だ。砂の世界にはもってこいだ。この食糧の安定的な生産にはめどがついている。もちろん、外民に袋はもったいないのでつけないがね」

「……すごいです。僕にはそんなことは考えられません」

「経済というのは循環させることに意味があると思っている。こういう知恵を出すのが私たちの仕事なのだ。田島隊長には島を守ってもらえれば十分だ。これからも、変わらぬ働きをよろしくお願いしたい」

「尽力します」

「実はね……この話を最後まで聞かせた時、副隊長は、『すべて私たちのエゴだ』と言ったのだ……」

「エゴ? 島のためを思ってやっているのにですか?」


 金崎が沈痛の面持ちで手を組んだ。


「鬼のような顔してね、こんなことは認められないと、銃を向けられた……だから、やむなくアンドロイドに射殺させた。先に死んだ同志のためにも、楽園島の未来のためにも、道半ばで死ぬわけにはいかなかった」

「そうだったのですね……彼が……そんなことを……優秀だと思っていましたが……」

「同じ人間になんという仕打ちをと怒り狂っていた。もし田島隊長もそう思ったのなら、腰の銃を抜いて構わない。残念だが……」

「いえ……僕は副隊長とは違います。じっくりお話を聞いて、楽園議会の考え方がよくわかりました。一意選民というスローガンを今まで以上に重く感じているくらいです。正直、あまり乗り気でなかった隊長という立場に強いやりがいを得た思いです」

「それは良かった。私たちも田島隊長も、何かと疎まれる立場には違いないが、何か悩みがあればすぐに相談してほしい。センタービルの入り口は、君に対しては常に開いていると思ってくれていい」

「……ありがとうございます」

「最後に、守護隊に召集をかけた理由だが、島に不法に侵入する者がいるかもしれん。その者は爆弾を有している可能性があるうえ、最悪の場合、隣にXE27がいるはずだ。注意してくれ」

「侵入者? XE27も……ですか? なぜです?」

「これが何かわかるかな?」


 金崎が机にごとりと金属の棒を置いた。

 田島が首を振る。


「あまり見たことが無い色の金属です」

「これは楽園島で作り上げた合金だ。限られた金属の中で作った半ヒューマノイド用のものだが、これをとある島の闇市で売った男がいるそうなのだ。過去の資料をひっくり返すと、人体改造後に廃棄されずに行方知れずのまま死亡扱いされたケースが一例あった。砂クジラを殺すための爆弾を背負った状態でね。名前は那須平巴。彼はまだ生きているのだろう」

「そんな……ことが……」

「君もある程度聞いていると思うが、半ヒューマノイドたちは数々の実験の上に立っている。もちろん耐え切れずに死ぬ者もいる。未来の楽園島のためとはいえ、分かってもらえるとは思わん。那須平はそのせいで私たちをずっと恨んでいるだろう」

「……XE27は? 彼女は優秀なアンドロイドのはずです。那須平とやらに手を貸すはずがない」

「下からの情報では、那須平らしき人物は楽園島の東にボートで逃げたということだ。いくつかの島に目星を付けて隊員を派遣していたが……その結果、那須平巴の過去のデータにアクセスしたのがXE27だ。知っている者なら少し工夫すれば端末から情報は抜ける」


 田島の顔から血の気が引いた。

 金崎がつらそうに歯を食いしばった。


「那須平に出会った……と考えるのが筋だろう。どういう興味を持ったかは分からないが、楽園島に恨みを持つ半ヒューマノイドの言葉を、XE27が好意的に受け止めた可能性もある」

「反逆すると?」

「分からない。だが、すでに彼女が楽園島を飛び出したあとにゲートは閉鎖した。島の下まで来たとしても昇ることはできない。どう思われようと、島に入れなければ意味は無いからな」

「彼女はどうするんですか?」

「楽園島からは除名する。那須平と同じく死亡扱いとなる予定だ」

「そんな……」

「半ヒューマノイドは惜しい。資材も時間も費やしている。気持ちは私たちも同じだ。だが、そのために楽園島の住民を危険にさらすわけにはいかない。まして、那須平まで昇ってくるようなことがあれば、センタービルの内部の爆破を考えるだろう。私たちは殺しても足りないくらいの相手だろうからね。……田島隊長なら、私たちの決断を理解してくれると思うが」


 金崎のまっすぐな視線が向いた。

 田島の瞳が迷うように揺れる。


「それは……」

「仮に、那須平が昇ってきて、守護隊に包囲されたとする。自分の命を省みない人間はどうなると思う?」

「……自殺でしょうか?」

「自殺なら好きにさせていい。彼は、その自殺に多くの人間を巻き込むことができる爆弾を持っているかもしれん。追い詰めた場所が、田島隊長の暮らすアパートの前だとどうなる?」


 田島の背中にじとりと汗が浮き出た。今、アパートに一人残っているのは妻の杏子だ。

 那須平はあの暗い緑色の扉の前に逃げ込んだ。

 爆弾とは手投げか。いや、背中に背負うと聞いた。それならC4やセムテックスという貴重なものか。

 そんなものが、那須平の意思で自由に爆発タイミングを決められるとしたら。

 ぞわりと背筋が泡立つ。


「分かってもらえたと思う」

「嫌というほどに……」

「君の奥さんは、つい最近アイドルをやめると発表したそうだね。人気絶頂のときに残念だが」

「はい。もう仕事は疲れた、と言って……詳しくは教えてもらえない――と、すみません。こんなことまで。金崎議長には関係のない話なのに」

「いや、構わない。彼女は楽園島のスローガンを必死に訴えてくれていたからよく覚えているんだ。XE27を戻した結果、大事な家族を失うような危険を起こしてはならない」

「よく理解しました」

「ありがとう。では、戻ってセンタービル周辺で護衛にあたってほしい。ただし、私が君に聞かせた秘密の話は、もちろん君だけの中にしまっておいてくれ。まだ理解できる人間は少ないはずだ。それと、那須平が爆弾を持つという話は君が信頼できる数人以外には口外しないこと。理由はわかるね?」

「逃げる隊員が出る……ですか?」

「その通りだ。田島隊長の中にも、思い当たる者がいるんじゃないか? 今の守護隊には危険をかえりみずに戦える隊員が少ないからね。規律が甘すぎる。近いうちに大幅な守護隊の入れ替えを行うつもりだが、その時には、引き続き君に隊長として隊を率いてほしい」

「承知しました!」

「よろしい。では、行ってくれ。有意義な話だった」

「こちらこそ。色々と聞かせていただいて視野が広がったようです。では、失礼します」


 田島はそういうと朗らかな笑みを浮かべて、深く腰を折り、踵を返した。

 エレベーターの扉が静かに閉まると、音は一切聞こえなくなった。

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