第21話 那須平巴 2
イヅナはショットガンを片手に四番倉庫に滑り込んだ。ゴンドラ部屋と守護隊の一人部屋は隣り合っている。
ゴンドラ停止後、部屋の疑似人格装置は即座に破壊して黙らせた。連絡を絶つためだ。
「さてと……何とか潜り込んだのはいいが。じっさん、プランAとBならどっちがいいと思う?」
地べたに座る那須平がリュックを開けて、中を覗き込んだ。
「時間はどれくらい残っているんだ?」
「四番のやつはいつも一時間程度で帰ってきてた。それ以上経つと、不審に思うやつが出てくるかもな。それに――」
後方の破壊されたモニターを指差す。
「あれが壊れたって情報はいずれ伝わるはず。あまり時間はないと思っていいだろうな」
「それなら、最初からプランAしかないだろう」
「だよな」
那須平はそう言って悪い笑みを見せた。
イヅナが不安げに尋ねる。
「プランAってなんなのよ」
「那須平カムバック作戦」
「……なにそれ?」
あきれ顔のイヅナに、那須平が「まあ、見てろって」とつぶやき、手のひらサイズの黒体を差し出した。
「これはなに?」
「保険だ。もし俺が死んだら、未久と朱里に渡してくれ」
「大事なものなら自分で渡しなさい」
「頼むよ。あんたは俺より生き延びる可能性が高いんだ」
那須平はイヅナに詰め寄ると、防護服のポケットにぐいぐいと押し込む。
「ちょっと!」
「……わりい。でも、失敗したら今までと変わらないままだ。その時には絶対に役に立つ」
那須平はしんみりとした口調で言った。
「なっさん、もういいか? 俺は予定通り出るぞ。寄りたい場所もある」
二郎は大きなバッグから荷物を取り出し、素早く電池をはめていく。それは、パーツがむき出しの四台の小さな車だった。俗にいうラジコンに近い。
「故障がないといいな」
那須平が小さく笑うと、二郎は胸をどんと叩いた。
「心配するな。見込みのない医学よりはよっぽどこっちの方が自信があるぞ。長い間パーツ集めからがんばってきた成果を見せようじゃないか。じゃあな、なっさん。簡単に死ぬなよ」
二郎が再び車を詰め、バッグを背負って腰をあげた。振り返った顔に那須平がひらひらと手を振った。
「じっさんもな。集合場所は四十一番だから忘れんな」
「……ああ。全力で囮をこなしてから合流する」
二郎はそれだけ言うと、倉庫の扉を蹴破るように飛び出した。
「……ねえ那須平。岩峰は、囮……なの?」
「そうだ。今からじっさんは、町中に俺が帰ってきたと叫びながら回ってくれる。いろんな方法で混乱させながらな」
イヅナの拳がぐっと握りしめられた。言葉が震えていた。
「どうしてそんなことを……」
「俺が島出身のとびきり危険な人間だからさ。俺の名前を聞いた上層部は必ず慌てふためいて自分たちの身の安全を確保しようとする。守護隊が躍起になって探しにくるはずだ」
「……それを岩峰が?」
「じっさんが一番危険な役目を買ってでてくれたんだ。俺には失うものはもうない、ってな」
「そんな……」
那須平が鋭く輝く瞳をイヅナに向けた。
「どうした?」
「な、何でもないわ……」
イヅナは喉から絞り出すように答えた。
「……もし怖くなったのなら、まだ見逃してやるぞ。俺を撃たないって条件付きだが……」
「い、いいえ。付き合う。付き合うわ。最後まで……」
「そうか。ならイヅナには俺がするつもりだった簡単な仕事を頼もうか……それと、もう少しだけ時間がある。どうせ最後だ。俺の話でもするか。少しは気になるだろ?」
那須平はそう言って目を細めた。
***
那須平は、人類の守り人という名の第一世代半ヒューマノイドの実験体だった。
外民との共存を担う橋渡し役として、まずは強固な体を持った兵士が必要だという楽園議会の主張の下、抗う術のなかった経済弱者が真っ先に実験体にされた。
多数の人間にはまったく関係のない話であったし、実験は極秘裏に進められ、表に出ることはなかった。
那須平の記憶は無影灯の下、殺風景な白い部屋の中で目覚めるところから始まる。
人権を無視した記憶のスクリーニングが行われ、出自や経歴は消されたうえで、日常生活にかかわる記憶や知識だけが残された。
その日から、那須平は数々の訓練を受けた。
砂の世界で生き抜くための知恵、そして食料となる生き物の調理方法。楽園島の食糧捕獲班として作り上げられた那須平は、道具さえ揃えば生物の捕縛については右に出る者がいないほどの技術を有していた。
しかし、彼には元々島に協力する理由がない。外民を暴力で制圧する仕事をこなす度に、自然な感情をわずかに残していた彼は、なぜこんなことをするのか、と内心で首を傾げていた。
「役立たずめ」と実験体が一人、また一人消えるのを横目に、那須平はそんな疑問を決して言葉には出さなかったが、積もり積もった感情は何かのきっかけで爆発する寸前だった。
そんな時だ。
研究者たちは「この貴重な成功体の知識を記録に残すべきだ」と考えた。
すぐに実験が始まった。
那須平の仕事はすべてキャンセルされ、手術台と割り当てられた部屋の往復だけが日常となった。わけのわからない他者の記憶も刷り込まれ、どれが自分の記憶なのか曖昧となった毎日は地獄だった。
だが、その中に混じっていた島の管理情報を研究する職員の記憶だけは有益だった。
自分が自分で無くなっていく日々の中で、研究レポートや記録される経歴――楽園島側の情報を盗み見ることができた。
数分ごとに頭に流れる電流のような刺激に、目の前が明滅し激痛に転げまわる日々が続いた。部屋に戻り、気力を振り絞って実験記録を眺め、ベッドに倒れ込む毎日だった。
それでも、度重なる実験のせいで、精神はぼろ布のように引き裂かれ、那須平の反応は次第に小さく小さく変化していった。
こうして研究者たちは徐々に諦めはじめた。
「もう使い物にならんな」
壁ごしに聞こえるようなくぐもった声を那須平は途切れ途切れの意識の中で聞いていた。
人格の完全コピーを目指していた彼らが、オリジナルの人格の破損を見て、口を揃えて言ったのだった。
ほどなくして那須平の処分が決まった。
そして三日後に砂の海へ放り出されたのだ。
「あなたも大概ひどいじゃない。それで、どうなったの?」
「ん? まあ色々あって生き延びたってことだな。北の島でおやっさんに助けてもらって、じっさんと出会って」
「……精神が壊れてたんじゃなかったの?」
「そこはほら。俺もぼんやりしててよく覚えてねえけど、ゲートが開いて砂の海を見下ろした瞬間に色々フラッシュバックしたというか……んー、まあなんか、すげえでかい世界だって驚いたんだよ。そしたら目の前がわあって広がってさ……」
「なによそれ……」
イヅナは小さく笑って続ける。
「でも、なんとなくわかる気がするわ。私もゲートから出る時は似たようなことを感じるもの」
「だろ?」
那須平が白い歯を見せてにかっと笑う。
「そういえば、あなたってどこが機械なの?」
「両腕だ。今は事情があってちょっと片腕が頼りないけどな。ついでに言えば、頭にもチップか何かが入ってるらしい。だから――」
那須平は言葉を区切り、頭に載せた安全ヘルメットを掴んで中を見せた。そこにはいくつもの基盤が蜘蛛の足のような金属でつながっていた。
「お偉い研究者によると、俺の記憶を読み取る装置なんだと」
イヅナが小さく息を呑んだ。「もしかして」と続ける。
「あなたがさっき私に渡したものって……」
「正解。記憶装置だ。壊れてなけりゃ読み取ってきた俺の記憶が詰まってる。ついでに人格装置も積んであるから、俺みたいに話せるはずだ。まあ見た目が人間っぽくないのは問題だけどな」
那須平は乾いた笑い声をあげて、再びヘルメットを頭に載せた。
「もう記憶装置外したから、それ意味ないんでしょ?」
「そうなんだけど、なんか外すと収まり悪いんだよ。落ち着かなくってな」
那須平はヘルメットをぽんぽんと二度叩いた。小さく跳ねたトレードマークが、居場所はここだと言っているようだった。
「……まったく、よくわからないやつね」
照れくさそうに頬をかく那須平にイヅナが柔らかい笑みを浮かべた。
その時だ。
島のどこかで女性の悲鳴があがった。
「始まったな」
那須平が島の中央に向けて、壁越しに遠い目を向けた。
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