第20話 那須平巴 1

「こいつは予想していなかったな。なかなかの乗り心地だ」

「ごめんなさい……」


 二郎のようやく聞こえる程度の苦笑交じりの声に、イヅナが答えた。

 イヅナのロングボードはせいぜい二人が限度だ。しかも寝そべった状態での姿勢は複数乗船には向かない。

 ボードは苦しそうなエンジン音を鳴り響かせ、砂の波で大きくバウンドを繰り返しながら前進していた。

 まるでボードに引きずられているような三人は、額に大粒の汗を浮かべている。


「まあ、俺らのボートよりは確かに速いからいいさ」

「結局あなたたち何がしたいわけ? それにそんなリュックどこに隠してたの? 全然見つからなかったのに……」


 イヅナが自分の下半身にしがみつく体勢の二人を顧みた。二郎が大きなバッグを背負い、那須平が小型のリュックを肩にかけている。どちらも古ぼけたぼろぼろのものだ。

 イヅナの左足と右足をそれぞれ掴んでいる。


「車のエンジンを抜いたスペースだ」

「俺は、砂の中だな。ってそんなことより、イヅナはずっと防塵マスクつけてないけどいいのか? ゴーグルだけだときついだろ」

「砂の海で年中無防備に暮らしているあなたが心配することじゃないわね。それに私は半ヒューマノイドよ。……体のほとんどは機械だから問題ないの」

「なら問題ないな」


 那須平は微笑む。

 イヅナが不満そうに首を回して睨む。


「……それだけ? 私的には結構重い話だったんだけど」

「知るかよ。生きてりゃ重い話の一つや二つあるさ。なあじっさん」

「その通りだ。それに生きてさえいれば、いくらでもやり直せる」

「そ、そうかな? ほんとにそう思う?」

「ああ」

「そっか……」


 イヅナが表情を緩めた。那須平の目が細くなる。


「あんた、じっさんと何かあった? 妙に聞き分け良くないか。というか、結局イヅナは自分の情報を見られたのか? どんな感じだった?」

「……私のことより、那須平のその緊張感の無さが気になるわ。さっきまでの悲愴な顔は何だったのよ」


 那須平が「確かに」と笑って言う。


「もう後戻りできない状況だからな。色々ため込んでたものが、ようやく吐き出せそうで嬉しいんだよ。打てる手は打った。あとは出し尽くすだけだ」

「なっさんらしいな」


 二郎がにぃっと口端をあげ、イヅナが小さくため息をついた。


「どうでもいいけど、もうすぐ島の真下に着くわ。作戦を説明してちょうだい」


 ***


「おかしいわ」

「どうした?」

「ゲートが反応しないの。いつもならこのボタンを押せば二十七番ゲートが開くんだけど」


 イヅナが焦燥感を滲ませながら、楽園島を見上げる。

 ちょうど正午だ。

 目を傷めるほどの太陽光は巨大な大地によって遮られ、ありえない広さの影が砂の海に悠然と横たわっていた。ひんやりと涼し気な風が砂塵を運び、三人の熱を冷ますようだった。


「間違いじゃないのか?」

「そんなはずないわ。私はいつもここを使ってるもの。見間違えるはずがない」

「……他のゲートは使えないのか?」


 手元の装置の小さなボタンを何度も押すイヅナの様子を確認し、二郎が声をあげた。


「無理なの。このリモコンは特定のゲートにしか反応しないわ」

「だな。上からなら開けられるが、下からはダメだったよな。早々に島にゲートを封鎖されたってことか……やっぱり気づかれたかな? 時間稼ぎだろうけど」

「どうするなっさん? 登るにはゲートしかないんだよな?」

「ああ……」


 ふわふわと波に翻弄されるロングボードに腰かけていた那須平は、腕組みをして考え始めた。

 砂の海に長時間留まることは自殺行為だ。砂サメは気まぐれに人を襲う。今この瞬間にも噛みつかれる恐れがあるのだ。様子を遠巻きにうかがう動きを見せる砂サメの背びれが砂上に顔を出していた。


 じりじりと心中を焼かれるような時間の中、

「よし。四番ゲートが開くのを待とう」

 那須平が言う。


 二郎が眉を寄せた。

「四番ゲートだと? どのあたりだ?」

「一番外側の円の西だ」


 那須平が方向を指さしたまま見上げる。

 ゲートは深紅の巨大な石を中心にして、三つの輪を描くように設置されていた。

 一番から二十番を最も外周に。内側に二十一番から四十番、さらに内側に四十一番から五十番の計五十箇所存在する。そして、大型物資搬入用の巨大なゴンドラが、深紅の石を挟むように二か所設置されている。

 那須平は数年をかけてこの位置関係を遠方から調べていた。


「なぜそこだと分かる?」

「ここ数カ月、四番ゲートはほとんど正午に開いてるからだ。さっきここに向かってくるときは、どこのゲートも開いちゃいねえ」

「運が良ければもうすぐ開くだろうと、そういうことか」

「ちょっと! 言ってるそばからゲートランプの色が変わったわ。開くわよ! どうするの!?」


 イヅナが慌てて、ボードに腰かける二人を見下ろした。 


「仕方ない。イヅナに一芝居打ってもらうことにするか」


 那須平はそう言って、背中からリュックを降ろした。


 ***


「ハロー」


 イヅナは何食わぬ顔でロングボードの上に立ち、降下してきたゴンドラの主を見上げて声をかけた。砂の海まであと数メートルに迫る位置。

 四番の防護服に身を包んだ真面目そうな男は、思いもよらない場所からの掛け声に素早く反応を見せると、体を乗り出して腰のホルスターに手をかけた。


「……お仲間かよ。おどかすな」


 男は緊張を解くと不機嫌そうに眉を寄せ、ゆっくりと小銃から手を放した。ゴンドラの降下速度が砂を前にして落ちてくる。着砂まで残り十数秒。


「なにか用事か?」


 硬質な声に、イヅナは「お願いがあって」と見上げる。そして右手で自分のボードの後ろに視線を誘導した。

 男が「ほうっ」と皮肉な笑みを浮かべる。


「引きこもりの二十七番にしてはなかなかじゃないか。やけに大きい鞄だな。中身はなんだ?」

「金属類と……とても珍しいものよ」

「珍しいもの?」


 舌なめずりする男は、「続きを」とあごをしゃくる。


「実は私のゲートが壊れちゃったみたいでさ。回収物を上にあげられないのよ」

「……不運なやつだ。たまにしか使わないからそういうことになるんだ。砂が吹きこむ場所はメンテナンスが必須だぜ」

「ほんとう、勉強になったわ。で……どう?」

「まあ……俺のゲートなら貸してやってもいいぜ」

「話が早くて助かるわ」


 男とイヅナは互いにほほ笑む。


「だが中身の確認が先だ。通行料はきっちりもらわないとな。授業料のいろもつけてくれるんだろ?」

「もちろん上乗せする。成績を気にするあなたは当然要求するわよね」


 男は「OK」と小さく笑い、抱えていた青いロングボードを放り出すように砂の海に投げた。その上に飛び乗ろうと前かがみにゴンドラの端に足をかけ――


「ほんとうに高い通行料だわ」


 イヅナが、片腕をさっとリュックの背後に延ばした。そしてボードに片手をかけて潜っていた那須平を一気に引き上げた。

 何かが飛び出てきた。

 男はそう思ったはずだ。イヅナの常人離れした力によって急浮上した那須平は、脇に構えていた武装アルファを、唖然と口を開けた男に向けて発射した。

 突如、異質な轟音が砂の海に響きわたった。

 男の体に数個の穴が空き、血しぶきが飛んだ。

 放ったのはショットガン。

 十ゲージの銃口から発射されたバックショットと呼ばれる数発の弾丸は大型の動物すら仕留める。まともに受ければ防護服などひとたまりもない。

 ゴンドラの手すりに鈍い音を立てて体をぶつけた男は、単調に繰り返す波音の合間に落ちた。


「死ぬかと思ったぞ。まさか砂に潜らされるとは。いくら上から見えないからって……」


 盛大にせき込んだ二郎がボードの上にぐったりと上半身を預けた。白髪はさらに砂で白く染まり、細かい砂を何度も吐き出している。


「じっさんの肺活量ならなんとかもつだろうとは思ったんでな」

「俺の歳を考えてくれ。二度目はもたないぞ」

「ちょっと、反省会なんて上でやりなさいよ。上で止めない限りゴンドラは自動で上がるの。二人とも急いで」


 イヅナの慌てた声に、那須平が「やっば」と言いながらゴンドラに掴まる。二郎が続き、最後にイヅナがその間に無理やり体を押し入れた。

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