第19話 イヅナ 4
薬を早々に手に入れたイヅナは、一人部屋に引きこもった。数年来感じたことのない緊張に身を固くし、那須平の言われた通りの作業を行った。
そして自分の名前を打ちこみ――
「嘘よっ、うそ、うそ、うそ、うそっ!」
現れた画面に何度も叫んだ。
頭を抱え、絶望を見たかの表情で机に額をぶつけた。
だが、恐る恐る視線を戻すと、見たくない情報がはっきりと残っている。見間違いではなかった。
――XE27。旧名『岩峰菜々美』。危険分子である岩峰二郎の娘。二郎追放後、父の免罪を条件に共存計画に参画。第四世代ヒューマノイドとして守護隊に配属。記憶スクリーニング完了。
「いわ……みね……じろうが……お……父さん……」
よく知っている人間だ。白髪で白衣の男。不愛想で島の中では最も冷たいと思っていた男だ。
「そ……んな……」
足下が崩れていくような感覚だった。全身から一気に力が抜けた。重量のある体が傾き、盛大に音を立てて椅子から落ちた。
冷たい床に体を横たわらせ、イヅナは呆然と父の名前を繰り返した。
一週間が経過した。
幸いにも最後の「異常なし」の報告後、任務は来なかった。
イヅナはなんとか冷静さを取り戻しつつあった。
だが、当たり散らした椅子と机を憔悴した顔で睨みつけ、身を焦がすような怒りを持て余していた。
それは、自分をこんな状態にしたこの島への怒り。
そして、大事な記憶を忘れて島でのうのうと生きている自分への怒り。もはや目にした情報を疑うことはなかった。
岩峰二郎の情報を調べてみても、娘の名前からXE27にリンクが飛ぶのだ。『墜ち人』と島が勝手に名付けていたことも怒りに拍車をかけていた。
何かのきっかけがあれば、即座に廊下で銃を乱射しかねないほどの精神状態だったイヅナは、もう一度あの島に行こうと決めた。
事実を知った今、任務もないだろう。咎めるつもりなら、こちらにも手段がある。
「最低の島だわ」
呪詛を漏らしたイヅナは、その前にと画面を呼び出した。センターに記録が残ると言われたが、知ったことではない。
――久代朱里。データなし。
小さく安堵の息が漏れた。朱里は島の監視対象ではなかった。
――平未久。次期労働者候補。後に白カビ病の罹患確認。候補取り消し。
心の底でとぐろを巻く怒りがさらに強くなった。
薬を渡せば完治する病気でなぜ候補者が覆るのだ。しかも、労働者とは体の良い島の奴隷だ。
そう思ってイヅナは舌打ちをした。
さらに画面を切り替える。
――那須平巴。死亡。
「え?」
最も気になっていた男の情報は、たった二文字だった。怒りの合間に小さな空白が生まれた。しげしげと眺めたものの、それ以外の情報はない。
「墜ち人じゃなくて、死亡? え? じゃああいつは? 楽園島出身だって言ってたのに……」
狭い部屋に、自分の声が静かに反響した。
そして、衝動的に立ち上がった。こんなところで悩んでいても時間の無駄なのだ。
本人に聞けばわかる。それに、どちらにしろ岩峰二郎に会わなければならない。
イヅナはそう決意し、乱暴に部屋を飛び出した。
『ようこそXE27。ご要望は何でしょうか?』
「ゲート開放、急いで」
『了解しました。十秒後、二十七番ゲート開放します』
「急ぎなさいって!」
イヅナは波立つ心中をぶつけるように疑似人格に告げた。
今にもゴンドラから飛び降りる勢いで身を乗り出し、砂の海が近づき始めたところでボードを投げて飛び乗った。
全速力で砂の海を走った。障害物をわずらわしいと乱暴にかわし、砂面に浮かぶボートを吹き飛ばす勢いですれすれを横切る。
ようやく島が見えてきたころ、イヅナは自分の苛立ちが徐々に鎮火していることに気づいた。
代わって顔を出したのは経験したことがない気持ちだ。
何かの期待、何かの喜びというのだろうか。得体の知れない感情を、必死で振り払って岸に寄せた。
全員が揃っていた。足を捕られる時間すらもどかしく、岸に上がると、早々に二郎を眺めた。
見たことのあるようなないような。
ぼんやりとした記憶がくやしくて、視線をそらした。そのまま那須平に詰め寄る。
「血相変えてどうした?」
「まずは、約束してた薬よ」
イヅナは未久を一瞥し、手渡した。
那須平の顔に笑みが広がる。「本当に恩にきる」と下がった頭を、イヅナは無理やり起こした。
「それより、説明して。那須平って何者なの?」
「……なにがだ?」
「あなたのデータ、死亡ってだけしか残ってなかった。でも確かにここに――」
「見たのか!?」
イヅナの言葉は、那須平の切迫した声にかき消された。怖いほどの剣幕で、肩を掴まれ、何度も揺さぶられる。
「俺の情報にアクセスしたのか!? どうなんだ、答えろ!」
「し、したわ。覗いちゃいけない情報ってこと? 別に今さら楽園に咎められたって私は……」
「違う。そうじゃないなんだ。ああ……なんてこった」
那須平の瞳はイヅナを見ていなかった。何かを逡巡する顔は苦渋に満ちている。
「じっさん……気づかれたと思うか?」
「わからんな」
「だよな……仕方ない。猶予がなくなったと思って動こう。厳重に対策をとられる前に動くしかない。俺は西にボートを回す」
「わかった。すぐに出よう」
二郎が即座に走り出した。向かった先は自分の住処だ。那須平も慌てて走りだす。
「ちょっとっ!」
慌てたのはイヅナと未久だ。同じ声をあげて、二人で顔を見合わす。
だが、那須平は時間を惜しむ様子で、振り返りざまに言い残す。
「未久、悪い。朱里と、二人でやってもらいたいことがある」
「……何でもするけど。危ないこと?」
「二人は大丈夫だ……俺らは……まあ、そんなところだ」
那須平は小さく微笑むと全速力で東に走ろうとし、
「待ちなさい!」
イヅナが止めた。
「よく分からないけど、どうせ楽園島に行くんでしょ? 私のボードに乗りなさい。ここのおんぼろボートより百倍速いわ」
「いいのか? あんたも反逆者扱いされるぞ」
「どうでもいいわ。その代わり、あとできっちり説明して」
イヅナは返事を聞かずに西に視線を向けた。
楽園島が悠々と浮かんでいた。
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