第18話 イヅナ 3

 イヅナは早々に島に戻った。

 顔も覚えていない同僚に「珍しいもの回収してきたな」などと揶揄されたが、どうでも良かった。

 無言で部屋に入り、大事に抱えてきた絵本を机に置いた。


 ――異常なし。


 それだけを画面に打ち込み。送信した。

 嘘だった。

 確かに異常はない。だが、自分の内面に受けた衝撃は測り切れない。今日一日で、イヅナの外の世界に対する固定観念は木っ端微塵に砕け散っていた。


 守護隊に入隊したときから、様々な訓練を受けてきた。

 砂サメの捕獲、流砂に飲み込まれた時の対処法、外民の撃退方法など数えきれない知識と犠牲のうえにイヅナは立っている。

 しかし、そのすべてにおいて、一意選民という楽園島至上主義が根底にあった。


「やつらは原始人も同様だ。話が通じると思うな」


 疑問を感じながらも上層部の言葉だけを刷り込まれてきた。


 ――みんなに読んでもらえるかなって。


 はにかむような顔で言った朱里の顔が浮かんだ。どう捻じ曲げても悪意があるとは思えなかった。

 武器を見たことがない少女に銃口をつきつけて何を怖がれというのか。怖がっているのはこちらだけではないのか。


 イヅナは部屋の明かりを点灯させた。もらってきた絵本を、ゆっくりとめくった。

 人に捨てられた猫が必死に生きていく中で認められるストーリー。


 朱里もがんばったのだろう。

 イヅナは読み終えると同時にそう思った。事実、朱里の手は豆だらけだった。何か重い物を振っていることは容易に想像できた。決して人を傷つけるものではないだろう。

 本を閉じたとき、目の前の画面が光った。新たな任務だ。

 ――引き続き視察を。危険物の確認を中心に。

 イヅナは愕然とした。

 明らかにあのゴミ島は楽園に目をつけられていた。


 イヅナはその日から連続で視察に行った。

 朱里は毎回屈託のない笑顔で出迎えた。

 だが、徐々に朱里に案内を頼むことは気が引け、那須平に代わりを頼んだ。いくつかの火種に北のこじんまりした小屋、古びたボートに東の入り江。

 目についたのはせいぜいハンマーくらいだ。危険物など影も形もなかった。砂の中に埋めている可能性もあるが、時間がいくらあっても足りない。それに、イヅナの中で疑う気持ちが萎え始めていた。


 一応、型通りのチェックは行った。

 二郎が住む車も確認した。ビニールを巻いた物の開示を求めたときには、幾分抵抗したが、「やれやれ」と言って結局は差し出した。


「ラジオなんて使うのね。島の番組なんて聞いて楽しいの?」

「気晴らしだ」


 二郎はそれ以上何も言わなかった。那須平だけは神妙な顔をしていた。

 終わったあとは朱里と、そして未久と話をするようになった。

 顔にどこか影のある未久は、なぜか誇らしげに「私、白カビ病なの」と言った。

 イヅナは自慢することではないと思いながらも、明るい笑顔には魅力を感じた。割り切っている表情だった。

 三日間、指示どおりに島を隅から隅まで回った。だが、結局何も見つからなかった。

 今度こそ異常なしで押し通そう。

 そう思った日の帰り際、那須平に呼び止められた。


「……イヅナ」


 いつも掴みどころのない表情が強張っていた。

 名前を呼び捨てにされたことには嫌悪感は感じなかった。取り立てて警戒もしなかった。


「なに?」

「一つ頼みがある」

「立場はあるけど、一応聞いてあげるわ」


 那須平が、ぐっと喉に力を込めた。瞳が一度大きく揺れ、絞り出すように言った。


「サンドキサンを手に入れてほしい」

「サンドキサン?」


 イヅナはオウム返しに尋ねていた。

 那須平が無言でうなずき「頼む」と頭を下げた。

 理由はすぐに分かった。


「未久の白カビ病を治したいのね」


 沈黙が生じた。下がった頭は上がらない。無言の肯定がそこにあった。

 イヅナはしばらく考え、口を開いた。


「あの子はそこまで思い悩んでいるようには見えないけど……いいわ。完治までってことでいいのね? 二十日分ってところかしら」

「本当かっ!」


 那須平がバネじかけのように頭をあげた。こみあげる喜びを無理やり押さえつけている顔だった。

 イヅナは苦笑する。


「そんな顔をしなくてもいいわ。よっぽど今まで出会った審査官にろくなやつがいなかったようね。サンドキサン程度なら誰でもすぐ買える。楽園島では白カビ病は過去の病気だし」

「助かる」


 再び腰を折った那須平に、イヅナは「でも」と目を細めた。


「那須平がどうして、楽園島でしか作っていない薬の名前を知っているのかは教えてくれるでしょうね。少なくとも砂の中にずっといた人間が知ることはないわ。あなたやっぱり――」


 那須平の視線が足下に落ちた。


「……そうだ。俺は元々、楽園島の住民だ」

「だと思ったわ。それも私に近い訓練を受けた人間ね?」


 那須平が口を一文字に引き結んだ。しゃべりたくないという意思表示だった。

 しかし、イヅナの中の興味は、あとからあとから湧いてきた。小さな罪悪感と共に、那須平が抗えない言葉を口にした。


「サンドキサンはいらないってこと?」


 那須平の顔に深い動揺が広がった。そのまま、拳を握りしめて唇を噛んだ。


「今、話すわけにはいかない」

「なぜ?」

「……XE27」


 ぼそりと那須平がつぶやいた。

 今度はイヅナが息を呑む番だった。

 なぜ知っている。朱里から聞いたのか。いや、朱里は聞き取れていなかったはず。

 混乱しながら那須平を睨んだ。


「言っとくが朱里は何も知らない。俺が余計な知識を持っているからこそ、たどり着いたことだ。半ヒューマノイド。共存計画の旗の下で研究された、体制に都合の良い意思無き人形集団……になる予定の人間たち」

「……何が言いたいの? 言っとくけど、あまり挑発するのはお勧めしないわよ。私のデリケートな問題に踏み込む気なら、覚悟しなさい」


 イヅナが吐き捨てるようにいい、瞳に憎悪が宿った。

 那須平はゆっくりとかぶりを振った。


「たぶん、昔の記憶がないだろ?」


 確信を感じさせる言葉が、イヅナにこれ以上ないほどの衝撃を与えた。憎悪が見る間に霧散し、二の句が継げなかった。

 那須平が、それを見て小さな紙を差し出した。羅列した番号が十行以上に渡って書かれていた。


「これは?」

「イヅナがどんな人間だったのか知る手がかりだ。言っておくが内容は俺も知らない。知った時に後悔するかどうかも分からない。対価はこれで許してくれ」

「……どう使うの」

「おそらく部屋に小さな画面があるはずだ。外民調達用の報告画面を使う」

「それで?」

「固有のパスワードが必要になるのは知ってるな? そこで、そのパスワードのどれかを打ち込め。一つくらい当たるはずだ。あとは検索してくれ。名前が完全一致すれば、外民だけじゃなく島の人間の経歴が分かる。これはお前たちにも知られていない事実だ。あと、絶対に余計な検索はするな。センターにどんな記録が残ってるのかわからないからな」


 那須平はそれだけ言うと、踵を返した。「悪いが薬は頼む」と言い残し、一度も振り返らず静かに姿を消した。

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