第17話 イヅナ 2

「ここが私の住む小屋なんです。なっさんお手製ですごく頑丈なんですよ」


 朱里が自慢げに説明する。

 イズナは唸った。

 確かに他で見るものよりいくらか頑丈そうだった。すじかい縛りや角縛りという手法で頑丈に結びつけた木材や金属棒は、手製の小屋にしてはかなり強度があるだろう。


「あのヘルメットをかぶった男は、ずっとこの島にいるの?」

「はい。私がここに来たときからずっといます」

「どこにいたとかは知ってるの?」

「知らないですけど……それが何か?」

「いえ、気にしないで。ちょっと不思議だったのよ」


 イヅナは内部をぐるりと見回した。隅の方に、大きな塊が横たわっていた。すぐそばにしゃがみ込んでしげしげと眺める。


「この砂サメの切り身は誰が処理したの?」

「あっ、それもなっさんです」


 放たれた言葉に、今度は「えっ」とつぶやいて首を回した。

 朱里がにこにこと笑う。


「すごい人ですよ。だって島のほとんどの仕事は全部一人でできちゃうんですから。いつも助けてもらってるんです」


 それはすごいというより異常だ。

 イヅナは思わず口から出かけた言葉を飲み込んだ。

 視察する理由がおぼろげに理解できた。


「あっ、それと……これが私の宝物なんです。見てもらえますか?」


 怪訝そうに眉を寄せたイヅナに気がつかず、朱里は違う隅のボックスからごそごそと古びた本を取り出した。表紙が今にも破れそうな傷んだ絵本だ。

 ひょうきんな黒猫が描かれていた。


「また珍しい物を持っているわね」

「あっ、これって珍しいんですか?」

「知らないの? 絵本自体がもう作られてないわ。楽園島で見つかった本は没収されるしね」

「……えっ」


 朱里が絶句した。恐る恐る「楽園にもないんですか」と尋ね、イズナの「ないわ」の答えに落胆した様子を見せた。


「そっか……絵本はないのか」


 まるで火が消えたような朱里の様子に、イヅナの心がちくりと痛んだ。内心で慌てながら次の言葉を探す。


「安心しなさい。絵本じゃないけど電子本はあるわ。検閲されたものばかりだけど」

「でんし本?」

「ええ、なんと言ったらいいのかしら……こんな光る板に文字が浮かび上がるのよ」

「一ページだけの本ってことですか?」


 イヅナの手ぶりを朱里が不思議そうに見つめる。


「違うわ……その……光る板を触ると、ページがどんどん次に進むのよ。その板があれば何でも読めるわ」

「すごいっ!」


 朱里が瞳を輝かせながらぱちんと手を叩いた。表情には感心が溢れていた。

 イヅナはほっと安堵の息をつきつつ、なぜ自分は無垢な少女にこんな無駄な説明をしているのだ、と自嘲する。


「そっか。よくわかりませんけど、すごい本なんですね。楽園島行ってみたいなあ」


 羨望の眼差しを小屋の窓から向ける朱里に、イヅナは苦笑した。

 今も島では、外民のことなど何も考えない上層部がいかに効率よく資材を回収するかに苦心しているはずだ。毎日、非人道的な実験を繰り返しながら、手足にふさわしい者を作りだしている。

 そんなにいい場所じゃないわ、という言葉をかみ殺し、イヅナは気になっていたことを尋ねる。


「ところで、なぜ私に絵本を見せたの?」


 朱里の瞳が虚を突かれて丸くなる。みるみる声が小さくなった。


「……えっと、その服に猫の絵がついていたからです。猫のこと知ってるのかなあって……」


 朱里が気恥ずかしそうに絵本で顔を隠した。表紙の黒猫がじっとこちらを見つめている。

 イヅナは「あっ」と気づいて、防護服の肩についた銀色のワッペンを見た。昔気晴らしに縫ったものだ。とうに忘れていた。


「そう。これを見て……」

「同じ年齢くらいなのかなあって思ったのもあって……猫見たことあるんですか?」

「あるわ。とても臆病で、なかなか懐かないプライドの高い生き物よ。でも、朱里さん……そんなことより、あなた、これが怖くないの?」


 イヅナはそう言って、背中にたすき掛けにしていた金属の筒を持った。黒光りする筒にはトリガーが備わり、吸い込まれるような黒い穴が先端に空いている。ショットガンだ。


「ちょっと形は変わってますけど、金属の棒ですよね? 持ってる人は多いと思いますけど」


 朱里の瞳には純粋な疑問だけが浮かんでいる。

 イヅナはため息と同時に「羨ましい」と感じた。

 ――朱里の狭い世界にはショットガンという凶器は存在しないのだ。

 これを撃ったときの惨状を目にしたことがない。

 周囲が教えていないのだろう。厳しい砂の世界で、朱里は恵まれている。

 そう思ったイヅナは、ますますこの朱里という人間と、育てた大人たちに興味が湧いた。セピア色の自分の世界が色づいたようだった。


「朱里さん」

「あっ、朱里って呼んでもらえませんか? たぶん同じくらいですよね? 私、同年代の人と会ったことがないからうれしくって」


 朱里は無邪気に微笑み、興味津々の様子で見つめる。

 自分がいったいこの場に何をしにきたのか忘れそうになる笑顔だった。

 殺伐とした外民の世界――

 凝り固まった自分のイメージが、小さく音を立ててひび割れた。そして、こんな子供までも楽園は手をかけようとしているのかと思うと、静かな怒りが湧いた。


「……朱里、あとの三人の名前を教えてちょうだい」


 イヅナは自分の年齢を答えずに聞いた。


「名前ですか? 平未久さんに、岩峰二郎さん、それと那須平巴さんです。二郎さんと那須平さんは、じっさんとなっさんて呼んでます」

「よくわからない呼び方ね」

「ですよね。でももう慣れました。あっ、私にもお名前教えてもらえますか?」


 純粋な好奇心から放たれた質問に、イヅナはぐっと答えに詰まった。

 今も黒い双眸は自分を見ている。ごまかそうかと思ったが、なぜか良くないことのような気がして、正直に答えた。

 外民に名乗るのは初めての経験だった。想像以上に気分が悪くなった。


「XE(クロスイー)27と言われてるわ。愛称はE27でイヅナ。……第四世代の半ヒューマノイドよ」


 視線をそらして一気に言い切った。浅い呼吸が何度も漏れ出た。

 朱里は理解ができないのか、しばらくの沈黙のあと首を傾げた。だが、表情には嫌悪感は浮かんでいない。緊張で張りつめた心が、わずかに溶けた。


「クロスイー? えっ……イヅナさんってことですか? ごめんなさい。よく聞き取れなくて……」

「いいのよ、それで……イヅナでいい」


 イヅナは逃げるように踵を返すと「今日はもう帰るわ」と告げて小屋を出た。


「あっ、待ってください!」

「……なに?」

「良かったら、これ」


 差し出されたのは例の絵本だった。イヅナは目を見開いた。


「あなたの宝物なんでしょ?」 

「イヅナさんに持っていてほしくて。それに……楽園島でも珍しいんだったら、みんなに読んでもらえるかなって」

「……島の子供にってこと?」

「はい」

「返ってこないかもしれないわよ。取り上げられるかも」

「私はもう十分読んだので。絵本を読んだことがない人に読んでもらえれば、それでいいです。取り上げられたとしても、一人でも楽しんでくれるならそれで……」

「……そう」


 イヅナはゆっくりと絵本を受け取った。なぜか頭が上がらず、朱里の顔を直視できなかった。


「イヅナさんも読んでみてくださいね」


 弾んだ声にうまく返事ができなかった。

 朱里の言葉が何度も耳の奥で反響した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る