第16話 イヅナ 1

 無機質な四畳ほどの個人ルームにはパイプベッドと椅子と机のみが並んでいる。壁は打ちっぱなしのコンクリートで覆われ、窓も飾り気もない。

 寒々しい光景の中、机につっぷしているのは一人の少女。年齢は十五歳程度だろうか。肩に届かない長さの黒髪はきれいに切りそろえられ、横顔には冷たさが浮かんでいる。

 イヅナは気だるげに切れ長の両目を開くと、ゆっくりと体を起こして壁に視線を向けた。

 目の前に埋め込まれた画面が暗がりの中で淡く光り出したからだ。

 任務の連絡だった。


 ――正午より東三十四を視察のこと。武装アルファを許可。


 イヅナは訝し気に目を細めた。

「武装アルファ? 砂クジラでも殺せっていうのかしら」


 島の視察にしては過度な武装だった。外民が保持しているのはせいぜい鉄パイプかナイフ。飛び道具と言えばスリングと投石だけだ。銃は確認されていない。

 まあ、守護隊の中に武器を横流ししている者がいるとは聞いているが。

 指示もよく分からない。

 そもそも何を視察するのか。東三十四と言えば、相当に楽園島から距離がある。

 イヅナは小さなため息をついた。この文章一つでわけのわからない任務に借りだされるようになってから三年が経つ。


「いい加減、うんざりしてきたわ」


 イヅナは苛立たし気に椅子から立ち上がると、小さなロッカーを開けた。体に合わせた深緑の防護服に身を包み、乱暴に部屋を出ると、二十七番ゲートに向かって歩き出した。


「イヅナが出るとは珍しいな」


 途中で、軽薄な男に呼び止められた。何かと悪い噂のある大嫌いな男だった。

 たった今戻ったのか、二十二番の防護服に身を包み「このくそ暑い中で、あいつらよく生きてられる」と汗をぬぐっている。


「何か用事かしら?」

「いや、別に。ただその体には暑さはきついだろうなあと思ってな」


 軽い口調におどけた仕草。

 イヅナの瞳がすっと細まる。ぶつからないようにと廊下を避けて通り抜けるコースから一転、男の方につかつかと近づいた。

 男の顔色がすぐさま変化した。


「私にケンカを売ってるわけ? あなた、生身で私にかなうと思うの? いいわ、訓練場まで行きましょう。島の研究成果を教えてあげるわ」


 イヅナが防護服を掴もうと伸ばした手を、男がすばやく振り払う。


「痛っ……お、おいおい、そんなマジな顔で睨むなって。冗談だろ? 俺たちは家族みたいなもんじゃねえか。仲良くやろうぜ」

「言っていい冗談とそうでない冗談くらい分からないの? それに家族? あなたみたいなのに言われると虫唾が走るからやめてちょうだい」


 イヅナはひと睨みすると、返事を聞かずに男の横を通りすぎた。小さな舌打ちが背後で聞こえたが無視した。どうせ、負け犬の遠吠えだ。


『ようこそXE27。ご要望は何でしょうか?』


 聞きなれた女性の機械的な音声が流れた。疑似人格装置と呼ばれる代物だ。このゲートの管理が仕事だが、第一世代の疑似人格は融通が利かない。

 イヅナは早口で告げた。


「ゲート開放」

『了解しました。十秒後、二十七番ゲート開放します』


 型通りの面倒なやり取りに辟易しながら、イヅナは歩を進める。

 壁にかけた一人用の小型エンジン付きロングボードを手にとり、天井からワイヤーで釣り下がった直径一メートルほどの金属板の足場へ。砂の海へのゴンドラだ。

 イヅナはじっとその瞬間を待つ。


『開放』


 足下から突風が舞い込んできた。白い砂塵が我さきにと競うように吹き込んだ。

 一瞬感じる浮遊感とともに、ゴンドラがすさまじい速度で降下を開始した。

 イヅナは視界に入るまぶしく雄大な光景に、柔らかい笑みを浮かべた。


 ***


 ロングボードは疾走するように砂の海を走った。

 通り過ぎる様々な場所で外民が呆然とこちらを眺めていた。このボードを使用できるのはバランス感覚に長けたイヅナと同じ人種に限られる。まず目にすることはないだろう。

 砂サメも砂クジラも置き去りにするこのボードに障害物以外の危険はない。操縦技術さえ身に付ければ、砂の世界で最速の移動が可能だ。

 先端に取り付けられた取っ手を握り、うつ伏せになった状態のイヅナはゴーグル越しに見えてきた小さなゴミ島を捉えた。

 思っていた以上に小さな島だ。

 みすぼらしい小屋と、少し離れた場所の斜め上を向いた自動車以外に特徴はない。

 イヅナは取っ手そばにあるギアをひねってエンジン出力を落とすと、岸にボードを寄せた。

 真っ先に現れたのは安全ヘルメットをかぶった男だ。


「……楽園の方ですか? 何か用事ですか?」


 硬い声だったが、楽園島から来た人間には誰もが同様の対応を取る。

 気にせずに言った。


「少し調べたいことがあってね」


 イヅナは深く沈みこむ砂に何度も足を捕られた。わずらわしさを感じながらも、表情を変えずに男に近づく。

 背中に背負う武器をちらりと見せつけると、男の顔色が変わった。


「島にはあなた一人?」

「いえ……」


 男は視線を丘の上に向ける。


「俺を含めて四人です。問題でも?」

「問題があるかどうかを調べにきたのよ。少し黙って。それと……そこの人、私になにか?」


 イヅナは一人呆然と口を開けている白髪の男を睨んだ。男は小さく呻くように「いや……」とつぶやき、首を何度も左右に振った。

 その態度に釈然としなかったものの、些細なことだろうと視線を他に移した。

 残りはオレンジシャツの女に、ワンピースの少女。この二人はのんびりとした様子だ。


「……女の子がいるのね」


 イヅナは内心で驚きながら声をあげた。

 今まで見てきたどの子供よりもはるかに健康的で、明るい雰囲気を纏っていた。楽園島で管理された子供よりも随分と生き生きとしているように見えた。

 小さな興味が湧きあがった。


「あなた名前は?」

「私ですか? 久代朱里です」


 きょとんと首を傾げた様子には愛嬌があった。島でひどい扱いを受けているとは考えられない自然さだった。


「いたって普通ね」


 漏れ出た声に、ヘルメットの男が反応する。怪訝そうな表情が浮かんでいた。


「何か用事があったのでは?」

「そうなんだけど……」


 イヅナは改めて男を眺めた。

 ヘルメットを除けばTシャツに綿パン姿はどこから見ても普通だ。外民の一般的な服装の中でも地味な部類だ。

 何を視察してこいと言うのか。

 イヅナは頭を悩ませる。バカ高い弾を必要とする武装アルファまで必要とする相手とは到底思えなかった。5.56mmの小銃で十分すぎる。


「島を案内してちょうだい」


 危険物か。何か楽園島に不都合なものを売っているのか。

 そう考えて歩き出すと、ヘルメットの男が「では……」と誘導するように前に出た。

 だが、素早く「あの子に頼もうかしら」と案内者を指差して指名する。武器を見て顔色を変えた男よりは扱いやすそうだ。


「私ですか?」

「ええ。久代朱里さん、あなたにお願いするわ」

「別に構いませんけど……じっさんいいですか?」

「なぜ俺に聞く? 向こうが指名したんだ。案内してやってくれ。朱里はもう一人前だ。俺に確認する必要はない」

「はい」


 隣に立つ白髪の男を見上げて、朱里が満面の笑みでうなずいた。

 その二人に、なんとなく心がざわついたものの、理由はわからない。

 大したことじゃない。見ないふりをした。

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