第14話 岩峰二郎 2

 楽園島の生活も楽ではなかった。何もかもが破壊され、浮かんだ島に残されたのは都市機能の一部のみ。市域面積の狭い都市が丸ごと残ったようなものだ。

 しかし、一度砂に呑まれたために、建物のほとんどは全壊しており、最低限のインフラなどの機能は復旧だけで年単位の時間を要した。


 続いて追い打ちをかけるように判明する白い砂の恐怖。慌てて島を覆うドームの研究を始める専門組織。強度不足や交換、手入れや人材不足など問題は山積みだったが、それも人間の英知はクリアした。


 元の生活に戻っていくだろう。


 二郎はそう思っていた。突然の大惨事に誰もが右往左往したが、いずれ風化する。限られた人間が住む世界であっても同じことだ。

 だが、島全体に徐々に広がり始めた思想にはずっと警戒をしていた。

『一意選民』

 島唯一の、自称暫定意思決定機関『楽園議会』が謳ったスローガンだ。

 選挙もなく、選ばれた経緯も不明な組織は、外民――島の外の人間――から内民を守るためという名目で作った武装組織を盾に、至るところで自分たちの正当性を主張していた。

 一つの意志の下、誰もが選ばれた民であることを自覚し、楽園島の為には自己犠牲の精神であらねばならないという思想だった。


 限られた資源、食料、水、原材料。

 それらを外界に求めて、野蛮な方法を使用しているという噂がまことしやかに広がる時期もあったが、声高に真相究明を叫んだ者はいつの間にか口をつぐむか、行方不明になった。

 誰もがそれを理解したころ、島全体がもはや危険な思想を受け入れざる得ない状況に陥っていた。


 その手は二郎にも伸びた。


「岩峰二郎さん、ずっと島のために仕事をするようにと通知を出していたはずですがねえ」


 アパートの扉を早朝からけたたましく叩いた男は、深緑の衣装で身を包んでいた。菜々美が朝の子供向けアイドル番組を見ている時だった。

 島を守るという『守護隊』の一員であることは、胸の盾マークのワッペンで知れた。


「お金には困っていませんので」


 島では誰にもひと月均一の金銭が渡されていた。いわゆるベーシックインカムと呼ばれる制度だ。これは旧貨幣の製造を諦め、紙をメインとする新たな貨幣へ切り替えた際に導入された。

 二郎は落ち着きつつあった島内の物価を見て、楽園島でのつまらない仕事を辞めていた。

 この程度なら、節約すれば最低限の生活ができる、と。事実、菜々美の学校もない状態では、二郎の出費はほとんどなかった。

 代わりに時間を医学の勉強に費やしていたのだ。むしろ、悩みは医学書が見つからなくて車に乗せていた数冊分の知識以外が得られないことだった。


「困るんだよねえ」


 男が腰から三段式の鉄棒を取り出して、虚空に振った。不気味な風切り音に、二郎は眉をひそめた。


「何がでしょうか?」

「通知文に書いてあったろ? 選ばれた我々は、誰もが島の為に働く義務があるって。この島だって苦しいんだ。資源が常に足りないのはさすがに知ってるだろう?」

「私は、医学でこの島に貢献したいと思っていますので」


 淡々と答える二郎に、男は顔を真っ赤に染めて鉄棒を振った。先が壁に当たり、衝撃音が廊下に響いた。居丈高な態度が目に見えて強くなる。


「お前の意見は聞いてないんだよ。島のために働いて貢献するかしないかだ。一意選民……誰でも知ってるよな」

「ですから――」


 二郎は言葉の途中で腹部に強い衝撃と痛みを感じた。

 一体何が起こったのかわからずに尻もちを着くと同時に、みぞおちに蹴りをくらったのだと理解した。

 一瞬止まった呼吸を再開し、何とか体を起こそうとした二郎は「お父さん」と悲痛な声をあげて駆け寄ってきた菜々美に背中を支えられた。

 男の見下ろす目が、憎悪に燃えていた。


「よくわかった。お前は反逆者だ」


 語気荒くそう吐き捨てた男は、扉を閉めることなく大股でその場を去った。


「お父さん、大丈夫?」

「大丈夫だ」

「なんなのあいつ。突然蹴ってくるなんて。何にも悪いことしてないのに。感じわるっ」


 父の代わりに怒る菜々美に二郎は努めて笑顔を見せた。「まったくだ」とよろめきながらも立ち上がる。

 だが、言葉とは裏腹に顔には動揺と焦りが浮かんでいた。立ち込めた暗雲を容易に振り払えるとは思えなかったのだ。



 恐れていた事態は、翌日早々に二郎を追い詰めた。

 三人組で現れた守護隊は、「何の用事ですか」と聞く二郎を無視し、一枚の紙を廊下でとうとうと読み上げた。議会の承認をもらっていると言い訳がましい言葉も忘れなかった。

 内容は簡単だ。

 危険思想の持ち主であり、島の再三にわたる命令を身勝手な都合で拒否し、反省の色はないという一方的なものだった。

 二郎は唖然とした。

 ここまで危険な世界に成り代わってしまったのか、と。考えが甘すぎたのだ。

 大波に翻弄される小舟のような精神を無理やり押さえつけ、小さく悲鳴をあげた菜々美に片手をあげて言い聞かせた。


「大丈夫、すぐ戻ってくるから」

「すぐ戻れるわけないだろ。お前は砂の海へ落とされるんだよ。今日から外民だ。原始人たちと仲良くやれよ」


 後ろに立つ昨日の男の心ない言葉に、菜々美の顔がくしゃくしゃに歪んだ。


「私も一緒に行く!」

「菜々美っ、大丈夫だ! 本当にお父さんは絶対に帰ってくる。お父さんは悪いことはしてないだろ?」


 二郎は散り散りになる心を必死に繋ぎとめて言った。

 自分はただでは済まないはずだが娘だけは巻き込むわけにはいかない。スローガンがあるということは従っていれば悪いことにはならないはず。

 その一心だった。


「そうそう。若い君には関係ない」


 二人を見つめていたリーダー格の男が事も無げに告げた。


「だが、君のお父さんはさっき聞いたとおり、地獄行きだ。精々反省してもらうとしよう。もう遅いがね。楽園には必要のない人間だ」


 冷めた目が、二人を眺める。

 菜々美が「あのっ!」と必死の形相で声をあげた。


「わ、私が……がんばれば……お父さんの罪は無くなりますか?」

「さあどうだろうな。君のお父さんは島のスローガンに歯向かったわけだから……逆に島の模範的な有名人にでもなれば可能性はあるかもな」


 男にとってはただの戯れだったろう。あざ笑うように口元をゆがめた。

 だが、菜々美の瞳には決意が滲んだ。


「じゃあ、私、なります。その有名人に。テレビに出るようなアイドルになって、お父さんを助けます」


 菜々美の言葉に誰もが息を呑んだ。すぐさま苦々し気に舌打ちをする守護隊の前で、二郎は胸が張り裂ける想いだった。

 結局、巻き込んでしまった。これなら、自分と共に落ちた方が良かったかもしれない。

 菜々美は泣き笑いのような顔で、二郎をしっかりと見つめていた。

 かける言葉がなかった。


「菜々美……頼む。お父さんもがんばるから」


 二郎は溢れだした涙で視界がぼやける中、そう言うことしかできなかった。

「俺のことは忘れろ」という言葉を菜々美に言えるはずがなかった。

 何を勘違いしていたのか。最愛の人間は妻ともう一人いたのだ。

 大馬鹿者め――二郎は泣いた。

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