第6話 なっさん 6

 次々と目的のものが乗せられたボートは、苦しむように揺れていた。

 中央には二メートル程度の砂クジラの子供が目を濁らせて横たわり、その隣ではごつごつした頭を持つ、でっぷりとした体形の石あざらしが添い寝をしている。

 そして隅ではまだ生きている小魚が最後のあがきとばかりに、ばしばしと尾でボートの底を叩いていた。


「ねえ、なっさん」

「どうした?」


 未久がボートに勢いよく飛び乗り、桟橋に立つ那須平を振り返った。

 申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。


「ごめんね。しゃべるなって言われてたのに……あの時、島に残った朱里の顔が浮かんじゃって……手ぶらじゃだめだって、かっとなっちゃって」

「いいさ。目的のものは手にいれたんだ」

「でも、あの棒ってなっさんの稼ぎなんでしょ? じっさんと朱里からはあんなの拾ったって聞いたことないし。本当に大事なときに、どこかで使うつもりだったんじゃないの?」


 那須平が苦笑いする。


「みんな隠し財産ってやつは一つくらいあるだろ。たまたま俺のが使えたってだけだ。それに、食べ物が無いのは一大事だ。気にすんな」

「……うん」

「そんなことより、早くここを離れよう。なんとなくやばそうな気配がする。あっち、見てみろよ」


 那須平は降り注ぐ陽光の中、小高い丘に建つ小屋を見据えて指さした。

 おそらく、男が言っていた頭領が住む場所だろう。

 その場所から、武装した男たちが次々と姿を現した。

 瞬く間に数人ずつの集団に分かれると、誰もが那須平を視線の先に捕らえている。友好的な雰囲気は皆無だ。

 それどころか、血走った瞳で何かを叫んで周囲に指示している者もいる。


「やっば……貴重すぎる物ってのも爆弾なんだよなあ」


 那須平はおどけたようにいうと、安全ヘルメットを押さえてボートに飛び乗った。


「頼むぜー、島一番の働きもの」


 スターターを一気に引かれた小型エンジンが、「調子のいいことを言うな」とばかりに不愉快そうに震えだした。


 ***


 ボートが流砂の上を猛スピードで駆け抜ける。砂塵を巻き上げ、飛び跳ねるように移動する。

 砂上に突き出た障害物地帯をなんとかかわし、風紋のようなでこぼこした表面で危うくひっくり返りそうになりながらも、ボートは自分たちの島とは別の方向に向かっていた。


「ちょっと! なっさん、速すぎるって!」


 砂クジラに添う体勢の未久が抗議の声をあげた。

 しかし、小型エンジンの隣で舵をきる那須平は眉根を寄せただけだ。

 後方に視線を向け、

「そんなにムキにならなくてもいいじゃねえの」

 と追手に毒を吐く。


 離れたボートの上では、鬼気迫る表情で声を荒げる男が、那須平を指さしていた。


「なんであいつら追いかけてくるの!?」


 けたたましいエンジン音に負けじと、未久が声を張り上げる。

 那須平は肩をすくめて答えた。


「おおかた、俺が渡した金属の出どころでも知りたいんじゃねえの。まあ貴重そうな金属だし、わからんでもないけどな。けど、捕まえて吐かせようって魂胆は商人としては良くないねえ。リピーターはいないだろうな」

「なんてなんて!? 全然聞こえないんだけど!」

「たいした話じゃねえよ」


 那須平はようやく体を起こした未久を横目に、再び後方を見た。

 性能の良さそうな中型の青いボートが二艘、追いつけ追い越せの勢いで砂を巻き上げている。

 速度重視だろう。

 定員十人程度の船に、乗船者は三人。二艘合わせて六人だ。これでも二人組の那須平たちにしてみれば、お釣りがくるほどの戦力だ。

 全員が刃物を携えている。追いつかれればどうなるのかは容易く想像できた。


「相当お怒りだな」

「当たり前じゃん。他の船壊してきたんでしょ?」


 未久があきれ果てたように言う。


「仕方ないだろ。俺らのこと捕まえようとしてたんだから。ボートが無かったら追いかけられないんだし。けど、やっぱり他にもあったのね」


 那須平はボートの端に転がっている二郎のハンマーを眺める。

 つい今しがた、この鉄槌で砂岸に止まっていたボートのエンジンを叩き壊してきたところだ。

 だが、うまくいったのはそこまでだ。

 別の港に予備のボートがあったのだろう。


「このままずっと逃げるの?」

「いいや。そもそもスピード差がありすぎていずれ追いつかれる。燃料も心もとないし」


 那須平が悲鳴をあげているエンジンを軽くたたいた。

 未久の顔が不安げに曇る。


「た、戦うの?」

「そうなるだろうなあ。できれば北の島まで行って、おやっさんの戦力を巻き込めればって思ったけど、時間的にちょい厳しそう」

「勝てるの?」

「無理だろ。相手六人だし。未久って格闘技の達人とかじゃないだろ?」

「うん……でもハンマーがあれば」


 未久の視線が鉄槌をとらえ、徐々に表情が引き締まった。決意が瞳に込められ、表情が消える。

 絶望的な砂上での戦闘の行く末を想像したのかもしれない。

 だが――


「ハンマー一本でやれるほど甘くないぞ。心配しなくても、じっさんの助けがあるから何とかなるさ。砂上に出た時点で、目的は達成したも同然だ」


 那須平は軽い口調で言った。


「追いつかれるのに?」と驚いて振り返った未久に向けて、

「作戦を説明するぞ」とにぃっと口端をあげた。


 ***


「じゃあ、いくぞ。しっかりつかまっとけよ」

「うん!」


 那須平が好戦的な笑みを浮かべ、エンジンに手をかけた。

 振動を手で感じてしばらく――

 見開くように目に力を込め、壊れるかという勢いで一気に右に舵を切った。

 途端、左前方に放り出さんとする急激な負荷が二人に生じる。

 未久が小さく悲鳴をあげながら、砂クジラの上に乗り、ボートの右側に体を預けるようにつかまる。


「ふんばれよ!」


 那須平は未久の無事を見て取ると、額に汗を浮かべて発破をかけた。

 そして、自身は片手に石アザラシを抱え、異様な音を立て始めたエンジンを必死に押さえる。


「よぉっし」


 ボートは見事に百八十度のターンをこなした。

 大きく揺らいだボートが嘘のように元に戻り、本領発揮とばかりにエンジンがうなる。

 那須平は切り替わった視界に満足げに頷いた。


「さすがに、相手さんもびっくりしたみたいだな」


 二艘の乗員たちの顔には明らかに動揺の色が浮かんでいた。

 追いかけていたおんぼろボートの頭が、突然自分たちの方へ向かってくるようになったのだ。

 互いのボートの速度が合わさり、比較にならないほどの速さで距離がぐんぐんと近づく。

 戦力差を考えれば、まったくありえない話だ。

 逃げ続けていた少数の敵が、あえて多数の敵に突っ込んでくる事態。それは何を意味するのか。

 身を捨てた特攻。

 那須平はハンマーを片手に立ち上がると、ここぞとばかりに頭上に持ち上げ、大声をあげた。


「いくぞぉぉぉっ!」


 普段考えられない那須平の怒号に未久が唖然と振り返る。

 だが、敵の驚きはそれ以上だった。

 動揺は深くなり、恐怖心がありありと顔に浮かんだ。ボートの速度が慌てて落ちていく。

 あいつは誰だ。

 狂人じゃないのか。

 この人数に向かってくるのか。

 目まぐるしく動く敵の表情に心の中でほくそ笑みながら、那須平はカウントを始めた。


「五……」


 未久が弾かれたように動いた。


「四……」


 不安定なボートの上。重い荷物を抱えて、未久が那須平にかけよった。


「三……」


 那須平がハンマーを手放し、代わりに未久の腰に手を伸ばした。


「二……」


 未久が荷物の蓋を外し、那須平がエンジンを幾分緩める。


「一」


 未久が腰に荷物を構えた。


「くらえっ!」


 那須平は衝突を恐れて伏せた敵をしり目に、左に舵を切った。ボートは止まりかけていた敵をあざ笑うようにかわす。


 と同時に、未久が抱えていた荷物――塗料缶――の中身を盛大にぶちまける。


 中身は赤黒い液体。石あざらしの解体時に出る血液だった。

 さばくときですら強烈な悪臭を放つ液体は、砂サメの比ではない。熱気と時間の経過で途方もない臭気を放っている。二郎がずっと溜めていたものだった。

 それを、敵やボートをめがけて盛大にぶっかけたのだ。


「じゃあな!」


 瞬く間に広がった汚臭の中を、ボートが走り抜けた。

 捨て台詞とともに、一瞬浮き上がりかけた未久を決死の表情で抱え、那須平はどすんと腰をボートに落とす。

 敵の散々な悲鳴を背後に、ボートは瞬く間に距離を取っていく。


「もう少しがんばってくれよ」


 那須平はエンジンを激励するように拳で二度叩いて、背後をちらりと振り返った。

 予定通りではあったが、やられっぱなしで終わるほど、闇市を開こうとする島の住人は甘くない。

 リーダー格の男が、激臭に顔をゆがめる部下を蹴飛ばしながらこちらを指さしている。次のチャンスはないだろう。


「なっさん……」


 体を震わせていた未久がようやく顔をあげた。

 未久にとっても崖っぷちの攻防だった。舵を切るタイミングを那須平が決めざるを得ない以上、中身をぶちまける役目は彼女にしか頼めなかった。


「うまく……いった?」

「ばっちり」


 恐る恐る敵の方に目を向けた未久に、那須平は片手で丸マークを作って見せた。

 未久の表情がほっと緩み、へなへなと腰が砕けた。


「でも、あいつら追いかけてきそう」

「大丈夫、もう無駄だ。未久にも聞こえるだろ? さすがに大雨のあとは早いな」


 那須平は、辺り一体に鳴り響きはじめた音を耳にして、視線を虚空に投げた。

 まるで妖精が奏でる調べのように美しく寂しげな音だ。高く、繊細で、複雑に絡み合う砂の恵みの音。

 しかし、彼らにとっては絶望の音に違いない。

 それは――

 砂クジラが餌を見つけて吠える声なのだ。


「こんなに集まってくるんだ」


 未久が放心したようにつぶやき、身をぶるりと震わせた。


「砂クジラってやつは肉食だからな。石あざらしが大好物なんだと」

「じゃああいつらみんな……」

「ああ。喰われるだろうな。砂クジラの子供はともかく、大人が一匹来ればボートなんてひとたまりもない」

「あっ」


 未久の漏れた声に反応し、那須平が遠ざかる景色にゆっくりと首を回した。


「早速ひっくり返されたか。もう一つも時間の問題だろうな。集まるのは砂クジラだけじゃねえ。砂サメも来る。砂の海最強のコンビに勝てる人間はいないだろ。さあ、俺らも巻き込まれないうちに帰るか。じっさんと朱里が待ってるはずだ」


 那須平は、エンジン音と鳴き声と流砂音という奇妙な調和を保った和音に聞きほれながら、表情を緩めてボートに寝転がった。

 あざらしの残り香が鼻についたが、それほど悪いとは思わなかった。

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