第5話 なっさん 5

 探し物はすぐに見つかった。

 予想していたとおり、砂クジラの子供が何匹も小屋の軒先に並び、石あざらしや他の魚も数多く売られている。

 島の雰囲気にそぐわない店がいくつもあるところを見ると、出店のためにやってくる者もいるのかもしれない。

 那須平は内心で狙いどおりだと満足しつつも、どこで買おうかといくつか見て回る。分かりやすい交換表はどの店にも掲げられていない。

 一店ずつ交渉するのは骨が折れる。何より、長居することが最も危険だ。


「見かけない顔だな。なにがほしい? なんでも用意してやるぜ」


 中央に構える大きな店の前を通り過ぎた時、だみ声が聞こえた。

 店内には無精ひげを生やした浅黒い肌の男が座っている。

 直感的に、この島の住人だと分かった。できれば立ち去りたかったが、「見かけない顔」と言われたことでやむなく足を止めた。暗に「初めてなら、ここで買えよ」と言われたのだ。


「砂クジラ一頭とあざらしの肉、それと適当に魚を」


 那須平があらかじめ用意していた言葉を口にすると、男は値踏みするような視線をひっこめ、にんまりと口を曲げた。


「なにが出せる」


 どこか高圧的な響きを持った問いと共に、那須平の背後に立つ未久に視線が向いた。

 舐めるような視線だ。

 那須平は素知らぬ風で態勢を変えつつ、男の視線を遮るように未久の前に体を入れた。

 肩にかけたぼろぼろのトートバッグの中に手を入れ「えーっと、どこかな」とぼそぼそつぶやきながら、目的のものを取り出して差し出す。


「折りたたみ傘かよ」


 男が鼻で笑う。


「だめだ。もっと金属が混じってないと。こんなのじゃ砂クジラはやれねえな」

「空き缶をつけてもだめかい?」

「あほ。空き缶なんかそこら中にあるだろうが。小さいものならスマートフォンとか精密機器、基板の塊とかそういうのじゃねえと。おっと、金属じゃねえが、宝石はそれ以上だぞ。指輪も高い」

「なら、これは」


 那須平が、さらにくすんだ灰色の拳大の塊を取り出した。重量感のあるそれを、廃材を組み合わせて作られた傾いたテーブルに置く。

 男が目を細め、片手をのばした。


「おもりか……釣り用ってところか。悪くねえな。これくらいなら価値がある。ただ、鉛だろうから――」


 しげしげと眺める男は、背後に置かれた秤のようなものにおもりを乗せた。中央の針が一気に動き、赤い線の少し手前で停止した。

 満足そうに頷く。


「重量はある。ハイエナ共もこのくらいなら尻尾振って交換してくれるだろう」


 ハイエナとは楽園から不規則にやってくる物品回収班と呼ばれる者たちの蔑称だ。

 ゴミ島の住人が命懸けで手に入れた金属や廃材を武器を盾にしてかっさらうかのごとく持ち帰る彼らは、どこの島でも忌み嫌われている。

 しかし、一方でその不満を和らげる意味でもあるのか、この流砂では到底手に入らない物を代わりに置いていくのだ。

 それは野菜や果物、甘い飲み物といった喉から手が出るような食糧品から始まり、着火具、燃料、流砂に適応させたボート用の小型エンジンまで存在する。


 目の前の男が手にもつペンやテーブルに置かれた新品のノートもこれの一つだろう。何かしら楽園島と交流があるに違いない。


「交換してもらえるかい」


 那須平はいくぶん下手に出るようにいった。

 だが、

「だめだな。足りねえ」


 おもりをテーブルに戻した男の一言が、望みを切り捨てた。腕組みをして「足りねえ」ともう一度重ねる。

 背後で未久の「そんな」と小さくつぶやく声が聞こえた。

 

 物々交換の市は究極に売り手優位だ。

 片や物資に困窮して押し寄せる砂上の住人に対し、売り手は気分次第で客を変えられる。

 貨幣制度が崩れてしまった以上、物の価値に明確な基準がなくなり、売り手の胸三寸ですべてが決まってしまう。

 嫌いな客には驚くほどの割高で押し付け、良客には色をつけて売ることも可能なのだ。


「それなら、せめて砂クジラだけでも」

「安く見すぎだ。砂クジラってやつは保存がきく。食ってもうまいし、何より栄養価が高い」


 暗にそれでは交換できないと告げていた。

 どこかで誰かに聞かされたようなありきたりな理由。流砂に生きる者ならだれでも知っている。

 那須平はそっと唇をかんだ。


「さあ、どうする。もっと上乗せするか、安い魚に変えるか」


 選択権はお前にあるとばかりに、一歩引いた姿勢に変わった男の前で、那須平は頭を下げて押し黙った。


「どうしても必要なんです」


 未久が慌てたように前に出た。悲愴な表情を浮かべて、男に懇願する。


「これがないと私たち――」

「黙れ。俺には関係ない」


 テーブルに手をついて体を乗り出した未久の言葉を、男がばっさりと切り捨てた。

 苛立たし気に天板を指で叩き、吐き捨てるように言う。


「お前らの事情なんぞ知ったことか。どいつもこいつも買えないとなったら、助けてくれだの、腹がへって我慢できないだの、うちの仕事はタダじゃねえんだ。お前らだってこの島に来たくらいだ。どういう島かくらいは分かってるだろ」


 男はうんざりした視線を未久に投げつけた。気がつけば、離れた場所に座っていた別の男が同じ目を向けている。

 未久は顔を青ざめさせ、声もなく立ち尽くした。

 しかし、その表情を見て男の口端が途端にいやらしく上がる。やおら立ちあがり、机を迂回して未久の隣に移動すると、猫撫で声で耳打ちした。


「けど、あんたが誠意を見せるっていうなら少しは考えてやってもいい」


 蛇に睨まれたように、未久の体がびくりと強張った。

 視線が泳いだ横顔を満足そうに眺め「砂クジラがいるんだろ?」と欠けた黄色い歯をのぞかせていう。


「それは……」


 揺れる心情がはっきりと顔に現れた。

 と同時に、手が未久の下半身にすっと伸び、

「別のもので払う」


 那須平が男の手首をつかみ取ってそういった。


「はあ?」


 中断されたことへの怒りを感じさせる反応。

 男の眉がしかめられ、訝し気に那須平を睨む。


「他にあるのかよ」

「とっておきだから、見せたくなかったけど仕方ないな」

「もったいぶらずにあるなら出せ」


 那須平はわざとらしくため息をついて、バッグの中に手をいれた。

 差し出されたものを見て「ろくなもんじゃねえだろ」と小ばかにしていた男の顔色が瞬時に変わる。


 それは真っ直ぐな金属の棒だった。

 長さは二十センチ程度、太さは親指程度だろうか。何の変哲もない大きさのものだ。

 しかし、赤と金を混ぜたような不可思議な色をしており、表面は異質な輝きを放っていた。


「どこで手に入れた? 金じゃねえな……なんの金属だ?」


 男は未久への執着など瞬く間に失った様子で手に取ると、様々な角度からしげしげと眺める。異常なほどの熱心さに、離れた場所に座る男も緊張した顔を浮かべている。


「俺も知らないんだが、見てのとおり価値はあると思う。かなり重いからな」


 那須平の自信に満ちた声に、「ほう」と息を漏らした男は、再び目を見開いた。素早く背後の秤に載せると、針は一周回って停止する。

 カン、という秤皿が限界まで沈み込んだ音とともに、沈黙が流れた。


「こいつはすげえな。……これだけの重さとなれば……俺も……」


 男が口元に手を当て、笑みを浮かべて言った。


「種類は、わからねえが相当の重さだ。おいっ、こいつを頭に持っていってくれ。俺が買い取ったと言えよ」


 奥に座っていた別の男をあごをしゃくって呼んだ。無造作に金属棒をつかみ取り、手渡す。

 那須平が慌てて声をあげた。


「まだ交換をしていない」

「心配するな。商売は商売だ。あの棒なら望みのものと換えてやるよ。砂クジラと石あざらし、それと適当に魚だったな。お前らのボートはどこだ? 運んでやるよ」


 満足そうにうなずいた男は、呆然と口を開ける那須平に有無を言わせず告げた。

 瞬く間に二人の男が小屋の奥から現れ、ボートの位置を聞いて荷物を運び出す。

 流れ作業のようにスムーズで、口を挟む暇もない。


「なによそれ」


 未久がその様子をしり目に、釈然としない顔で言った。

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