第3話 なっさん 3

 楽園島の住人は、定期的に下の世界の人間を回収しにくる。

 審査官と呼ばれる人間が、島の外の人間――ゴミ島の住人――を選んで連れ帰るのだ。

 砂の上を滑るホバークラフトに乗ってやってくる少数精鋭の彼らは、みな一様に防塵マスクと防護服に身を包み、絶対の権限を有するようにふるまう。

 そして、有無を言わせず目的の人間に詰め寄り、たった一言、

「楽園の民になりたいか」

 と問うのだという。

 はい、と答えれば同船して楽園の民に。断れば二度と声はかからないそうだ。

 選ばれる理由や傾向はまったくの不明。

 乱暴な手を用いないことはありがたいが、もしも周囲が勝手に止めに入った場合には、場は瞬く間に凄惨なものへと変化する。

 審査官は所有する銃を無遠慮に放つのだ。

 那須平は実際にその光景を間近で見たことがあった。



「俺たちが楽園って呼んでるだけで、中のやつらは案外……って思ってるかもよ」


 那須平はつぶやくように言い、水を並々とすくったコップを突き出した。水面が慌てたように跳ねる。


 未久が「なにこれ」と首を傾げた。


「見りゃ分かるだろ。飲んどけって」

「いいよ。水の時間みんなで決めたんだし。私だけって……別にのど乾いてないし」

「いいから。お前の唇かさかさなんだよ。そんなの見せられたら気になってしょうがねえ。それに――」


 血の味で気持ち悪いだろ。

 那須平は口をついて出かけた言葉を、慌ててのど奥に押し返した。

 未久が気づかれたくのなら、知らないフリをするべきだ。


「なに?」

「……いや、未久は今日一つ賢くなっただろ。お祝いの意味で」

「砂サメのこと? 全然身についてないけど?」

「俺はそう思わないな。今日は手をちゃんと動かした。今までとは違うはずだ」

「そう? ……なんかありがと」


 未久が嬉しそうに頬を緩めた。


「次は取り出すところまで一人でやってもらうからな」


 那須平は掘建て小屋から見える流砂の景色に視線を投げた。

 

 ***

 

 年間降雨量が基準以下の地域を砂漠と呼ぶことがあるが、この激変した大地には未だに雨が残っている。


 しかし、砂に覆われる前と比較すれば、量は相当に少なく、降り方は苛烈で短い。

 廃材を組み合わせてようやく建てたような小屋は雨に翻弄され、時に一瞬で倒壊する恐れもある。


 かと言って、普段身を隠す場所がなければ、日中の熱波に苦しめられたあげく簡単に脱水症状に陥ってしまう。


「また、修理しないとだめかな」


 那須平はまぶしさに目を細めながら、やれやれと小屋から這い出した。

 そのまま屋根代わりの薄いブルーシートを見上げる。自分の身長よりわずかに高い位置にあるそれは、日に焼けて大部分が薄水色に変色し、至るところが破れる寸前であった。


 昨晩の豪雨によって、シートの屋根は何度も悲鳴をあげた。

 短時間でたわんだ部分に水が溜まり、重量で引き延ばされ、崩壊寸前となったのだ。

 那須平は浅い眠りの中、大地をたたく雨の轟音と、ミリミリという嫌な音を聞いて目覚めた。

 即座にこれはまずいと判断し、片手鍋をもって慌てて飛び出し、屋根にたまる水をすくっては捨て、すくっては捨てを繰り返したのだった。


「ん……ねむーい。うわっ、もう暑いし」


 同じ小屋から未久がのそりと現れた。

 早朝などお構いなしのめまいがするような暑さに、盛大に顔をしかめている。


「お二人とも顔色悪いですよ」


 続いて朱里が、目をこすりながらひょこっと顔を出した。直射日光の下で散々たる有様を眺める二人を心配そうにながめている。


「朱里もだろ」

「だよね」


 目の下にしっかりとクマを作った朱里を二人が苦笑まじりで見返した。

「昨日はお疲れさん」と那須平が続け、思い出したように離れた場所を見やる。


「そういや、じっさん大丈夫かな」

「もしかして流されてたりして」

「不吉なこと言うな。いつもならこの時間はゴミ拾いのはずだけど」


 那須平は眉根を寄せた。


 ゴミ拾いとはその名のとおり、流砂に運ばれてゴミ島にたどり着いたあらゆる廃材を拾う仕事だ。

 このゴミ島に限らず、砂の海に点々と浮かぶ流砂の影響を受けにくいエリアは流れが穏やかであり、日々様々なものが打ち上げられる。

 かつての日用品に、家電や大型ゴミ、果ては家の扉や工場のシャッターと思われるものまでなんでも回遊しているらしい。

 そして、ゴミ島の住人はそれらを生きるためにせっせと拾うのだ。他の島との交換にも利用できる。


「ちょっと見てくる。未久と朱里は適当に壊れた場所とかないか見といてくれ。足場がなくなってるかもしれないから気をつけてな」

「はーい」

「わかりました」

「あと、今日の料理当番は朱里だったよな?」


 那須平の視線に、朱里が束ねた髪を揺らして「はい」と小さく頷いた。


「昨日のサメ使って準備しといて」


 那須平はそう言うと、くたびれたスニーカーを踏み鳴らして、ゴミ島の中央に歩きはじめた。



 二郎の住処は西岸からやや南に下った場所にある。

 未久が言ったとおり、ともすれば流れに飲み込まれそうな危険なエリアに腰を据えているのだ。


「おっ、生きてそうだな」


 那須平は嬉しそうに口元を緩める。幾分足取りが軽くなった。

 この世界では、隣人が次の日に死んでいなくなることは珍しくない。

 不注意で足を滑らせて流砂に飲み込まれる人間もいれば、砂サメを獲ろうとして逆に噛み千切られて命を落とすこともある。

 ひどい話では、ゴミ島に流れ着いた屋根を意気揚々と住処にした晩に、穴が空いて砂に呑まれたというものもある。

 だからこそ、後ろ半分を砂に呑まれ、フロントライトを斜め上に向けた車が見えてきた瞬間に、那須平はほっと安堵の息を漏らした。


「じっさん、大丈夫かっ」


 遠くから、片手を口に当てて声を張り上げた。反響する物のない場所で、吸い込まれるように声が消えた。だが、いつもなら聞こえるはずだ。

 しばらくの沈黙ののち、助手席の割れた窓から、長い白髪の男が顔をのぞかせた。

 うなされることが多いという話だが、今日も眠れなかったのだろうか。顔色は良くない。


「何やってるんだ。もう朝だぞ」


 足場を選びながら、とんとんと器用に砂を蹴って車に近づく。

 ボディは大部分が変色し、元は白かったセダンは見る影もなかった。表面は赤茶色の液体が付着し、錆が浮き上がっていた。

 昨晩の雨で内部にたまったものが流れ出たのだろう。


「なっさんか……」


 二郎はいつもと同じ抑揚のない声をあげた。しかし、那須平はおやっと思う。

 なぜかその横顔が微笑んでいるように見えたのだ。

 探るように尋ねた。


「どうした? えらく嬉しそうじゃないの」

「さあな」


 否定しない二郎は、えいっとばかりに力をこめて錆びたドアを中から押し開けた。けたたましい音をたてて、大量に雨水が流れ落ちた。赤錆が浮いている。

 那須平が心配そうに言う。


「雨は毒だって知ってるだろ」


 空から落ちる雨には有害な白塵がふんだんに溶けこんでいると考えられている。最近では皮膚から浸透して体が侵されるのでは、という考えを持つ人間も多い。

 それが正しいのか誤りなのかを判断する基準がないために、不安をあおる考え方はすぐに広まる。お守りのように雨合羽を手にしている人間もいる。


「迷信だろ。誰も実験なんてしちゃいないし、そもそも砂の海にも溶け込んでいるんだ。それに塵は皮膚で止まる。炎症くらいは起こるかもしれんがな」


 そんな噂を当然知っている二郎は小ばかにした様子で否定すると、ぼろぼろの座席から軽く飛び降りた。受け止めた砂の大地がくるぶしまでを飲み込んで止まった。

 ずぼっと右足を引き上げ、左足を抜く。

 そして、濡れて張りついた白衣の裾を軽く引いて、「すぐ乾きそうだな」とつぶやいた。


「元医者とか言ってたっけ?」

「医学生になりたかったってだけだ」

「……卵の卵じゃねえか。言ってることは医者みたいだけどな」


 那須平は呆れたように声をあげた。

 そのままあけ放たれている車内を一瞥して続ける。


「運転席に大きなビニール袋たくさん置いてるじゃねえの。ずぶぬれになるくらいなら、かぶればいいのに」

「あれは俺用じゃないんだ」


 二郎がどこか遠い目をして、小さく微笑んだ。その様子は嬉しそうでもあり、寂しそうでもあった。

 那須平は釈然としないものの「そうか」とだけ答え、「いくぞ」と踵を返した。

 聞いても無駄だろう。そう思った。


「いつまでも出てこねえから、未久も朱里も流されたんじゃないかって心配してる」

「それは悪かった」


 二郎がきしむドアを雑に閉めて歩き出した。


「雨だっただろ? 大丈夫だったのか?」

「運転席とフロント以外のガラスは割れてるからな。降りこむ雨は止められないが、水は後ろから抜ける」


 二郎は淡々と答えた。


「その様子だとまた助手席に座ってたのかよ。運転席に座ればじっさんも濡れないだろ」

「あそこは俺の席じゃない」

「またそれかよ」

「ああ。またそれだ」

 二郎は微笑みながら答えた。


 ***


「あっ、じっさん生きてたんだ!」

「良かったです!」


 未久が飛び跳ねて手を叩き、朱里が表情を崩した。


「めちゃ濡れてるけど大丈夫?」

「ああ。この気温だ。どうせすぐ乾く。俺の白衣は薄いしな」


 二郎はそう言うと、黄色く変色した部分をつまんで「洗濯にはならんかったようだが」と目を細めた。

 どことなくしんみりとした雰囲気の二郎に全員が口をつぐむ。

 那須平はそんな空気を吹き飛ばすように「注目!」と両手を打ち鳴らした。


「全員揃ったところで相談がある」

「突然ね」


 大げさに驚いた未久をしり目に、那須平は努めて軽く告げた。


「実は、食料がもうすぐ底を尽く」


 朱里の視線が真っ先に落ちた。


 二郎が事も無げに「そうか」と答えて苦笑する。那須平が続ける。


「もってあと二日ってところだ。砂サメの肉もすぐに臭くて食べられなくなる。けど幸いにも昨日は大雨が降っただろ?」

「あっ、そっか、クジラ市が開かれるかも! あれ、日持ちするもんね」


 曇っていた未久の表情が、ぱっと笑みにかわった。

 那須平がそのとおりと首を縦に振る。


「大雨のあとは砂クジラの子供が砂面に上がってくるし、他の魚や石アザラシも増える。いいチャンスだ」

「そういえば、そうだったな」


 二郎が腕組みをして思い出すように言った。


「最近収穫量がめっきり減ってるらしいけど、久々の雨だ。今日の昼にはいつもよりたくさんの魚があがっていると思う」

「でも、考えることはみんな一緒でしょ? ここは市から遠いし、今からだと間に合わないかも。いつもなら朝早くに出発してるじゃん」


 未久がゆっくりと頭上に昇っている太陽をまぶしげに見上げた。


「もちろん分かってる。そこで相談……というか、これ以外にないんだが、闇市に足を伸ばそうと思う」

「え?」


 聞きなれた砂の流れる音の中、未久が呆然と口をあけた。

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