イトラ教戦記

神崎 ひなた

「見ろ。白いローブに光の紋章だ」


「あの子まさか噂のイトラ教皇?」


 悪事千里を走る、とはよく言ったものだ。まさかこんな辺境の街にも噂が広がっているとは。信仰なんてとっくに消えたと思っていたのに、恐れ入る。


 つい数百年前までイトラ教の信仰は世界中に浸透していたのに、今となってはこの有様だ。教皇に後ろ指を指し、臆面もなく悪評を囁く。悲しいかな、一万年も続いた平穏は、人々から信仰を忘れさせるのに十分すぎる時間だったようだ。


 もっとも、当の本人は一切気にしていないようだけど。


「この街もまだ平和みたいだね。よかった」


 白いローブの下で、少女はにこりと安堵の表情を浮かべた。金雀枝えにしだ色の髪の毛がさらりと、優しく風に吹かれた。幼い表情とは裏腹に落ち着いている。その美しさたるや、人ならざる私の眼すら奪ってしまうほどだ。


 アークライト・イデアル。

 弱冠十五歳にして、第百四十六代イトラ教皇を務める少女である。


「相変わらず呑気だねアルは。……見てごらん、あの像を」


 私は広場の中央を指さした。人ならざる機械の腕を、ガシャンと上げて。


「台座に刻まれた光の紋章、両腕を広げた女性の姿――まぁ今となっては腕も取れて、風化して、シルエットで判断するしかないけれど、間違いなくイトラ教像だ」


 かつて世界は、イトラ教を信仰していた。一万年前に襲来した魔族を退けた勇者の功績を称え、光に満ちた世界を祝福するための教えだったから。

 だが今となってはその信仰心も見る影はない。それはこの像の有様や、人々の反応からも伺える。


 人は魔族の脅威を忘れてしまった。

 こうしている間にも、彼らは復活の機会を虎視眈々と狙っているのに。


「でも、それだけみんなが平和でいられてた、ってことですよね」


 アルの微笑みに、それ以上の言葉を失う。


「アル、君はもうちょっと危機感を持った方がいい。イトラ教の信仰が薄れているということは、いつ魔族が復活してもおかしくないということだぞ?」


「その脅威を止めるために私たちがいるのでしょう?」


 口ではそう言うが、本当に分かっているのだろうか? 


「大丈夫だよ。わたし、頑張るから。それに――」


 アルは私の手をぎゅうっと握りしめて、真っすぐな瞳でこちらを見た。


「なにかあっても、マギが守ってくれるでしょう?」


 そのとおりだ。

 そのために、私は数百年ぶりに起動した。



 

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