かつて魔王だった彼とかわいそうな少女のはなし

朝霧

あるところにかわいそうな女の子がいた

 昔々のお話。

 あるところにかわいそうな魔王がいた。

 立派だった両親を勇者に殺された、まだ幼い魔王がいた。

 魔王は物事をよく知らなかった、為政などほとんど知らない。

 何故ならそういった教育を受け始めた頃に、偉大だった前代の魔王が殺されてしまったからだ。

 幼い魔王はよくわからないまま贅を尽くし、享楽に耽った。

 偉大なる王を失い不安定となっていた国の民達は幼い王に怒りの矛先を向け、幼い王を殺した。

 これが私の知っている話。

 私の王様が殺された――遠い昔のおとぎばなし。


 暗い路地裏で1人歌う。

 多分もうすぐこの幼い身体は生命活動を停止する。

 前回に比べると、随分と短い一生だった。

 いや、前回が長すぎたのだろう。

 主人が死んで、たった1人で生きた前世は、とんでもなく長かった。

 どうして一緒に生きてくれなかったのかと、どうして一緒に死なせてくれなかったのかと、何度そんな問いを繰り返しただろうか?

 声は静かに路地裏に響く、声が少しずつかすれていく。

 ああ、こんな歌では到底褒めてはくれないだろう。

 だから残り少ない命を絞り出して、極力綺麗な声を出した。

 ――褒めて、褒めてよ王様。

 いもしない前世の主人に懇願する。

 幼い身体に引っ張られた精神は、単純で欲深い。

 頭を撫でてほしい、綺麗な声だっていってほしい。

 会いたい、王様、私の王様。

 でももう会えない、二度と会いたくないと言われてしまった。

 嘘つき、大嫌い、何が私が不幸になるだ、何が傷付けてしまうだ、怖がりめ、臆病者め。

 私は、あなたがそばにいてくれればそれだけでよかったのに。

 生きていてほしい、幸せになってほしい、だって?

 ああ生きてやったさあんたがいなくなってから50年も。

 幸せになんかなれやしなかったけどね。

 ああ、もう糞食らえ。

 声が大きく、苛烈なものへと変化していく。

 こんな声、きっと笑われる。

 だけど、それでもよかったのに。

 いつかの現実が遠い日のおとぎばなしになった遠い未来で再び生まれた。

 何か理由があるのではないかと期待していた人生も、今途切れる。

 たった7年で幕を下ろす。

 次はありませんようにと祈ったその時、歌い終わった。

 声を途絶えさせてしまえば、そこに待っていたのは冷たく厳しい現実だった。

 ――寒い、痛い、苦しい。

 気を紛らわせようともう一曲、そう思ったところでもう声も出ない。

「……ぁ」

 惨めだった、辛かった、痛かった。

 そして、何もなかった。

 生きていた意味などはじめから終わりまで一つも存在しなくて、生まれた価値もなかった。

 前の時は違った、あの人のために生きられた、あの人の願いのために生きられた。

 だけど今は何もない、生きている理由が一つもない。

 たったそれだけで、ここまで惨めになるのか。

 ああ、人生なんて、私なんて糞食らえ。

 そんな念を最後に意識を手放そうとした直前にその声は聞こえてきた。

「いい歌だね」

 閉じていた目を開く、まさかと震える体を抑えて、声が聞こえた方に首を傾けた。

 そこに、自分とたいして変わらない歳の子供が立っていた。

 ――確かに、面影があった。

 今際の際の幻覚を疑ったけど、それでもいいと思えた。

 ――現れた子供は、私の王様によく似ていた。

 ああ、そうか。

 ここでこういう形で報われるのか。

「……おほめくださり、きょうえつしごく…………いまのそのひとことで……わたしのじんせいは、かちのあるものに、なりまし、た……」

 声を絞り出す、思いの外まともな声が出てきたから、案外自分もやれるのだなと思った。

 自然と笑みが溢れていた。

 この7年には確かに意味があったのだと、そう思えた。

 うん、十分。

 十分すぎる。

 十分報われた、十分救われた。

 痛かった、寒かった、苦しかった。

 だけど、それ以上に穏やかで、うれしかった。

 ゆっくりと目を閉じる、もう時間は残っていない。

「……ありがとう、ございます」

 最期にそれだけで言って、私の7年は前世とは比べ物にならないくらい、幸福に終わった。




 あるところに、かわいそうな子供がいた。

 その子供はかつて魔王として生き、殺された記憶を持っていた。

 その子供は前世と同じくらい問題のある家族の元に生まれた。

 ある日彼は、家族から一時的に逃避するために出かけたその先で、たった1人の少女を見つける。

 少女はかつての自分の従者だった。

 現在の少女はあまりいい暮らしをしていない、見るからに不幸な子供だった。

 彼の現在の地位ならば、少女を救うことができた。

 問題は多いが彼を溺愛している彼の両親なら、少女を救いたいという彼の我儘も聞いてくれるだろう。

 だが、彼は少女に関わりたくなかった、傷付けてしまうのが明白だったからだ。

 だって彼女はかわいくて、きれいで、やさしくて生意気で普通の人間だ。

 壊れた親から生まれた壊れた子供である自分は、いつか彼女をひどい目に合わせてしまうだろう。

 それは前世で彼女を自分から引き離した原因の一つでもあった。

 もう二度と会いませんように、自分がいない場所で彼女が幸福に生きられますように。

 そう祈って、死んだのが前世の彼だった。

 だから、彼は彼女に関わらないようにした。

 それでもまるきりの無関心は装えず、遠くから気付かれないように様子を見るようになった。

 彼女は日に日に不幸になっていった。

 そして、とうとう今、暗い路地裏でその命の灯火を途絶えさせようとしている。

 だから思わず声をかけた。

 死にかけの少女は彼の姿を見て、彼の言葉に満足そうに笑って目を閉じた。

 彼は冷えた彼女の身体にそっと触れる。

 ――まだ生きていた、今ならまだ助かる。

 温もりの消えかけた身体を抱き上げようとして、彼の脳を甘美な痺れと衝動が貫いた。

 それとともに、彼の本能が理性を焼き切った。

 彼女の幸福を願った化けの皮が完全に剥がれ落ち、そこにあったのはただ醜いだけの独占欲と執着心だった。

 幼すぎた彼は、かつて必死に抑えていたそれを抑え切ることができなかった。

 ――僕の従者、僕だけの可愛くて生意気な従者。

 ――世界で一番きれいに歌う、僕の金糸雀。

 だから、次は逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない、逃さない――絶対に、手放してなどやるものか。

 お前は僕のだ、その身体もその心もその魂もそのきれいな声も――余すところなく全て僕のものだ。

 だから次は絶対に逃がしてなんかあげないし、絶対に誰にも渡さない。

 ああ、かわいそうに、こうなるからもう二度と出会いませんようにと祈っていたのに。

 彼は無防備な少女の身体を強く抱きしめ、開かせた小さな口の中に何かあった時のためにと持っていた霊薬を口移しで流し込む。

 飲ませた薬はよく効く薬であった、未だに目覚めることはないが、それでも少女の身体に温もりが戻った。

 その身体を彼は満足そうに抱きしめて、ひどく歪んだ笑みを浮かべていた。

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