脚下照顧

十 九十九(つなし つくも)

脚下照顧

都会の街は暑苦しくて冷たいものだった。

大学は田舎暮らしを抜け出してエンジョイな毎日を過ごすと決めていた。大して頭は良くないけど、僕なりに必死に勉強してやっと掴み取った合格だった。だけど現実はどこまでも現実だった。エンジョイという言葉の定義を考えてしまうほどに、僕の生活は平凡だった。バイトから上がって僕は今、12月の寒さを噛み締めながら人の波に飲まれている。寒いとか、痛いとか感じるのは生きているからだ。命があるから、僕たちはこの寒さに、痛みに必死に耐えるのだ。何故生きるのか、それは考えてはいけない。答えは出ないと頭だけで理解している。そう言い聞かせて、無駄な思考は全て断ち切るようにしてきた。気づけば、僕の生活は目の前のタスクを片付けるような作業になっていた。


足の霜焼けが歩くたびに、痛んだり痒かったりして鬱陶しかった。気を紛らわす為に、ヘッドホンで耳を塞ぎ、興味もないJ-POPを流す。僕は今の生活に不満がない、とは言わない。ただ、自分で何かしようという時期は僕の気づかないうちに終わってしまったのだろう。学費と生活費を捻出する為にバイトを掛け持ちして、余ったなけなしのお金を趣味に当てる。貯金は将来働き始めてからでいいと思っている。いまは目の前のことさえ片付ければそれでいい。


歩いて小腹が空いてきたので、コンビニ寄ることにした。店内に入って、おにぎり2つと清涼飲料を持ってレジに行く。定員との事務的なやり取りは、学友との会話みたいに気を使わなくていい。だから変な安心感があった。その安心感を胸の内で噛み締めながら、おにぎりを食べた。別になにがしたいわけでもない。ただ時間が潰したかった。お金をほどよく使って、現実を忘れられればそれで良いのだ。


ゲームセンターに来た。初めて来る店だった。店内に入った瞬間、タバコの匂いが鼻をついた。受動喫煙は能動喫煙に比べて害が高く、将来ガンになるリスクを高めるとかなんとか。いつか保健体育で習った知識は、こんな所に来てしまえば何も役に立たない。店内は奥行きだけ無駄に長く、狭くて天井も低かった。手前からクレーンゲーム、リズムゲーム、格闘ゲームといった形で配列がなされている。僕は最初にクレーンゲームをした。得体の知れない怪物のキーホルダーが商品の台に100円を投入する。僕はあまりクレーンゲームが得意な方ではないが、この店の設定が甘いのか一回で取れた。取れた景品を眺める。どうせゴミだなと思って、すぐに鞄にしまった。更に奥に進もうと思って数歩歩いた。が、僕は止まってしまった。リズムゲームをしている人たちは邪魔をするな、といった雰囲気をありありと滲ませており、格闘ゲームをしている人に至っては筐体を殴って錯乱している人まで見られた。別の世界だと思った。僕はそそくさと店内を立ち去り、やはり人混みの中に紛れ込んだ。


急に前方から来る人と肩がぶつかった。まずい、謝らないといけない。都会のいざこざは面倒だと聞いていた。


「スミマセ……」


だけど、僕が謝罪の台詞を言い終わる前に、相手は何事も無かったという風に通り過ぎ去っていった。僕は肩透かしを食らった感覚になった。そして、霜焼けの痒みが急に意識の表層にのぼってきた。僕はより速く歩いた。痒みはだんだんと痛みに変わっていく。


次は喫茶店にきた。『脚下照顧』という名前の店らしい。大通りから路地に入って、ひっそりと佇む個人経営の店だった。もちろん、初めて来る店だった。店内は先のゲームセンターより狭く、席はカウンターしかない。喫茶店というよりバーと言った方がしっくりくる気がする。客は僕以外誰もいないようだった。店員は若そうな女性が1人だけ。店主なのだろうか。


「いらっしゃい」


女性が発した言葉は、定員が客に対して最初に掛けなければいけない、形式礼儀のように聞こえた(実際、そうなのだけれど)。

だから僕はその、"いらっしゃい"の意味を理解するのにたっぷり10秒もかかった。


「どうしたの。座らないの?」

「あ、いえ、」


自分で言っておきながら、なにが「いえ」なのか分からなかった。そうだ、まず座るのだ。僕はカウンターの手前から3番目の席に腰を下ろした。


「あなた、20歳は超えてるの?」

「いえ、19です」

「そう、ならお酒はだめね」


女性は残念そうな顔をした。


「ここってバーなんですか?」

「さぁ?人の助けになるかもしれない店、かしらね?」


女性は曖昧な返答をした。


「失礼ですが、店主はいまどちらに?」

「不躾な質問をするのね、私よ」


女性は不満そうに口を尖らせた。


「お金、寄越しなさいな」

「はい?」


僕はいま、恐喝にあっているのだろうか?

急なお金の請求に理解が追いつかない。

女性は深いため息をついた。


「ここは、先払いなの。いくらあるの?」

「2000円しか」

「貧乏学生さんね、まぁいいわ」

「嫌味ですか?」

「事実でしょう」


それを世間では嫌味というのだろう。僕は鞄を漁ってあるものを取り出した。


「こんなのならあります」


女性がそれを見つめる。さっき、ゲームセンターでとったキーホルダーだった。


「なに、これ?私をからかってるのかしら?」

「要らないですか?」


女性はキーホルダーを取り上げて、マジマジと見つめた。


「ふーん、もらっておく」


いうや否や、女性はキーホルダーをポケットにしまい、背後の棚からグラスを取り出した。


「あなた、好き嫌いは?」

「世の中が嫌いですね」

「ふふっ、なにそれ。あなた、面白いこと言うのね。サービスしとく」


そう言って、女性はグラスにポッ○ーを入れて、こちらへ寄越してきた。


「あの、からかってます?」

「サービスよ?人の善意は素直に受け取りなさいな」

「面白いことを言うんですね……」


僕はポッ○ーを一本取って食べた。普通に美味しい。女性は頬杖をついてぼんやりと僕を見つめてくる。


「ねぇ、あなた、なんで世の中が嫌いなのかしら?」

「そ、そんなの……」


言われてみれば、何故なのかいまいち判然としない質問だった。


「世の中が面白くないから、ですかね。現実の辛さに直面してるんです」

「でも、まだあなたは若いでしょう。世界はあなたが考えている以上に面白いものだと思うけど」

「それは、世の中の楽しみ方が分かってる人だけです」


女性は背後の棚から別のグラスを取り出して、それにウイスキーを注いだ。さらに冷凍庫から砕けた氷を取り出して入れる。


「あなた、さっきから卑屈なことばかり、自分をもっと見つめなさいな。そして肯定的に捉えなさい」


女性はグラスを揺らしてカラカラと音を立て、それから一口だけ飲んだ。


「考え一つで世界は変わるものよ」


そう言われても、考えなんてそんなに簡単に変わるものだろうか?


「なら、どうすればもっとポジティブに、世界を楽しく捉えられるようになるんですか?」

「そうね……、なら一つゲームでもしましょうか」

「ゲームですか」

「そう、自分が楽しいと思うことできるだけあげる、ただそれだけ。単純でしょ」

「それはもはやゲームですらない気が……」

「少しだけ、考える時間をあげる」


こちらの話は届いてないようだった。

楽しいこと。

ソシャゲとネットサーフィンと、ほかには寝ることとか?


「ふふっ」


女性が不意に笑った。


「あの、なにがおかしいんですか?」

「できてるじゃない、それがポジティブな考え方よ。楽しいことは自分じゃなきゃ見つけられないの」

「あ、」


はめられた、と思った。


「結局は、人間そんなものなのよ。大抵の悩みは心の持ち方で解決するの。ただ、その心のあり方を改善するのは難しいわ。人間は弱い生き物だから。それで私は、こうやってお酒で全部忘れてるってわけ」


そう言って女性はグラスに残っていたウイスキーを一気に飲み干した。


「世界の面白いを見つけなさい。あなたがこれからすべきことよ」


僕のすべきこと。


「あの、なんていうか、少し見えた気がします。ありがとうございました」

「礼はいらないから、金を寄越しなさいな」

「その、お金はさっきも言ったように2000円しか……」

「冗談よ、それに代金はもう貰ってるわ」


女性はポケットから僕のあげたキーホルダーを取り出し、左右に振ってみせた。


「そんなものでいいんですか?」

「あなたの卑屈な考え方が直るならいいんじゃない?まぁ、多分近いうちにまたここに来ることになるわ。人の心は簡単に変わらないものね」

「結構厳しいんですね」

「当たり前よ、世の中が厳しいんだから」

「はぁ、そうですね」

「分かったならさっさと行った行った」

「はい、近いうちにまた来ます」


僕はそう言い残して、店を出た。

大通りの人並みに混ざっていく。

なんだかむず痒い思いがしたが、きっと霜焼けのせいだろうと思った。

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