落城と事後処理 5

 岡賀波県の羽賀井安吾知事は、連休中の岡賀波県要塞化宣言を発した。知事は吠えた。

「世界は動く!わが県を真似てください。いえ、そうするしかありません。全都道府県が同じようにすれば、ウィルスなど恐るるに足りません!私の企画は完璧です!」

 高速道路での検問と、一定の地域や業種への休業要請。ウィルス対策室長は、二つの主力政策を実現した。その結果は、芳しいものではなかった。そんな中、知事は記者会見を開催し、質問にろくに答えず逃げ出した。仕方なく壇上に上がったのは、室長だった。


 質疑は続く。

「検問関係はとりあえず以上でよろしいですね?次に行きましょう。次のお尋ねと関連事項を優先することにしましょうか。」

 このとき室長は、司会に頼らなかった。あの調子では、夜が明けても何も決められそうにないと見たからである。

「ゴルフの件は事実ですか。事実だとして、県は把握していたんですか。」

「どのような報道等がされているか存じておりませんので、おっしゃるところの内容が事実かどうかには、今お答えすることができません。」

 ここで記者は席を立ち、演壇に駆け寄ってPCを室長に見せた。そこには、関係する書き込みが並んでいた。

「詳しくは知事部局に確認します。」

 そう言った室長は、部下を走らせ、報道の詳細を確認させた。

「別の者が確かめて参りますので、この点のお答えはお待ちください。」

 そんな答えが終わるやいなや、素早く手を上げる記者がいた。

「知事がゴルフに行っていたとなれば、相当な問題ではないのですか。」

「仮定のお話にお答えしても意味がありません。その件は後ほどということで、次の方。」

「駐車場規制について、先程お答えをいただけないままです。まず確認したいのは、救急活動への支障です。あったのか、なかったのか。あったならどんな対応をするのか。このあたりを…」

 室長は、どうでもいい言葉を遮って言い切った。

「事例はあったと承知しています。私どもの部署だけの管轄ではございませんので、この場ですぐさま善後策についてお答えすることはできません。ただ、県としては、弊害を解消するために全力を尽くすとお約束します。」

 この頃になると、記者たちにも様々な連絡が届くようになっていた。それらには、あれを聞いてくれというようなものも、含まれている。いずれも、知事の作戦の被害者からのものか、それがどこかを通ってきたものである。それは質問に反映された。質疑は続いた。


 その頃、副知事室のドアを叩く人影があった。返答はないが、その者は入った。入ったのは、知事である。知事は、机の前に歩み寄った。椅子に座っている副知事は、顔を上げた。

「簡潔に言う。以後、君は余計なことをしなくていい。」

 知事は既に混乱していた。だから、身振りや表情で反応を示すこともなかった。

「そうですか。」

 淡々と答えた知事は、相変わらず、何を考えているのか伝わらない、あるいは何も考えていなさそうな雰囲気である。

「君をかばうことはできない。もう終わりだ。まあ、今からはハンコだけ捺しててくれ。」

 副知事の態度は大きい。それも道理である。彼は内務省から派遣されたお目付け役である。いかに頭が足りない知事でも、中央の大物に抗えないことは知っている。知事は、動かなかった。小さい算盤で百桁の計算でもしているかのように、脳の処理能力を超えてしまったからだ。

「どうした、用は済んだ。帰れ。仕事の邪魔だ。」

 そう促され、知事は無言で部屋を出た。

「どうしようもねえな…」

 副知事の独り言が、会見のネット中継を見せる画面に向けられた。


 廊下を歩く知事の前に、議長が立っていた。

「おう坊主、話は聞いてる。後のことは任せろ。お前は座ってるだけでいい。」

 議長は、満面の笑みを隠し切れずにいた。無理もない。様々な裏の話を、知事の方を気にせずに仕切れるのだから。ところで副知事は、議長らにも、自分が呼び出したことを伝えていた。格上相手に盾突く者はいない。いわんや、それで得をしないならば。だから議長は、副知事の入れ知恵あるいは導きに沿ってここで待ち伏せしていたのだ。

「どうした?」

 知事は、返答すらせず、とぼとぼと歩いた。無理もない。客観的には生まれ以外のすべてが失敗だというのに。主観的には挫折を知らないのだから。知事が裏口で入ったような底辺の大学に行くのは、失態に他ならない。人間の知能があるなら避けるだろう。そしてそんなところを卒業したという烙印を背負って生きるのは、苦行だろう。だが、知事にとって、それは失策でも何でもなかった。そんなハードルの低い主観においてさえ、知事は敗北を認識していた。初めての体験が、知事の足りないおつむを空白にしていた。

 議長は、初めて見る知事の異様な振る舞いに反応し切れなかった。固定観念に絡め取られた老人には対応できなかったのだ。

 もう日付が変わろうとしていた。記者会見は、終わるに終われないままだった。質問をしたり聞いたりメモしたりしながら原稿を作ってきた記者たちも疲れている。会社によっては朝刊の締切を過ぎてもいる。

「夜も更けて参りました。別途機会を設けるに吝かではございませんが、それとは別に、質問を書面でご提出いただければ、追ってお答えするということで如何でしょうか。」

 記者たちも、納得するしかなかった。今更多少追加の話があっても、早くて夕刊になる。だから、人数が多い新聞記者が室長の案に同意することになる。しかし、事態が変わった。

「それと、先ほど話題になった知事のゴルフに関する報道ですが…ネットの記事が一部差し変わっているようなので、厳密なお答えはし難いようです。ただ、報道されている事実は、大筋において、現在県が把握している限りの事実に合致するようです。」

 場がざわついた。ここで記者たちは考えた。質問を重ねたいと。ただ、どうせ時間はある。質問を練る時間がある方が、よい。後回しもありだ。だが県は答えてくれるのだろうか、と。だが、答えてくれないのなら、このまま会見を続けるべきかも知れない。空手形に満足できるのか、記者たちは自問した。

「ネット中継が入っていますね?繰り返します。一旦質疑を終えて、書面でいただいたご質問に県として必ずお答えするということで、よろしいですね?」

 記者たちの最大の懸念を、室長は先取りした。


 夜が明けた。執務室で仮眠していた室長も起き出した。今日も、検問と自粛が手筈通りに続いている。その意味では、何も変わっていない。しかし、一つ違うことがある。朝刊が知事の記者会見を伝えていることだ。室長がネットの掲示板を見ると、逃げた知事はぼろくそに書かれている。案の定といったところか。エクストリーム擁護もなくはないが、国会絡みのように徹底してはいない。その筋のプロの多くは休みなのだろう。誤字脱字も目立つ。

「ははは…」

 室長から、乾いた笑いが出た。

「どうなさいました?」

 出勤している若手が、珈琲を入れて持ってきて、置きながら訊ねた。

「ああ。見ろよこれ。」

 そこには、「知事はちゃんと貢献しているじゃないか!無能な知事がいると仕事が滞るから、あえて遠くに離れてくれたんだよ。その気持ちをわかってやれよ!」

「ここまで言われるんだ…」

 若手も、笑いを堪え切れない様子だった。


 そんな時間帯でも、滞りなく業務が動いているのを確認する仕事がある。今は、検問関係の大過がないことが確認されていた。一部の人繰りで予備要員が動いているようだが、いつものことである。日雇い労働者は、しばしば無責任に欠勤するからである。


 9時を過ぎ、電話対応が対策室の主な仕事になりかけた頃、副知事が現れた。

「室長、相談なんだがね。」

「はあ。ここでいいんですか?」

「構わん。むしろここがいい。」

「はい。」

「検問は中止、自粛要請は広範囲にする代わりゆるくする。これでどうかね。」

「決まったことなら、私が異議を申すこともありませんが。」

 副知事は笑った。

「ほぼ決まりだ。知事の一任と与党の内諾は得ている。」

「それなら指示をいただければ。」

「いや、それがだね。我々には、得失を把握し切れんのだよ。」

「違約金の類ですかね。」

「そうだ。そこだ。」

「ああ、そういうことで。でしたら、予定通りにやるよりは安くつきますよ。」

「そうか…それなら問題はない。」

 この会話は、奇妙なものだった。計画を途中で変えるとなれば、利害関係が及ぶ各方面の物言いがつく。それをここまで矮小化するには、関わる筋が多過ぎる。しかし、野党が叩き易いわかりやすいところがなんとかなるのは、確認された。もうそこまでしか気に出来ない段階に来ていることが、言外に示されたという次第である。それでも、矢面に立つ現場には不安がある。それを室長は代弁した。そのつもりだからこそ、人に聞かれるところで喋ったのだろう。

「ただ、バカにはなりませんが。」

「構わん。支出を削れたら十分だ。」

 室長は念を押した。口約束だけとあっては、周りにもわかりやすい話をして、証人を揃えたかったからだ。

「…で、いつ決まりそうですか?」

 余計な話は無用であった。危機感は十分に共有されていた。だから室長は、話を急いだ。

「自粛要請をどうするか、詰め終わっていない。場合によっては、検問中止が先行することになる。ちょっと待っていてくれんか。」

「はい。しかしなんでまた。」

「ゆるくして、場合によっては人員も減らす。ただ、代わりに地域を広げるとか、除外事由を明記するとか、意見が色々あって、抑え切れていない。」

「うちの意見は要りますか?」

「いや、追加はいらない。参考にはしている。」

「そうですか。」

「たしか、報道からの質問のとりまとめもここでやっていたな。そっちの面倒はできるだけ見る。準備をしておくよう頼みたい。」

 面倒を見る。つまり、いざとなったら権力で睨んで黙らせるということだ。対策室にとっては、根回しや交渉を相当省ける。事が面倒なだけに、悪い話ではない。

「承りました。」


 ここまで、誰の言葉にもなっていないが、はっきりと共有されたものがあった。すべては思いつきで動いた知事の尻拭いだという事実がそれである。


 その1時間後、検問中止の方針が対策室に降りてきた。ただし、混乱なくという条件つきである。

「また丸投げか…」

 室長の愚痴は、聞こえるように投げかけられた。室長は、時計を見た。あまり連絡が遅いと、早出組が終業し遅出組が出勤してしまう。中途半端な時間に突然終了を告げても、移動の手配がつかないばかりか、自宅に帰れない派遣の宿泊先が問題になりかねない。そこで室長は、今日の遅番を現場に入れず集合地点で待機させることを思いついた。今日についてはそのまま待機扱いにして派遣会社との契約を原案のまま果たし、明日からの契約を取り消す。これなら宿泊施設の確保も派遣会社がやってくれるだろう。そんな考えで室長は、事業を中断するので遅出組に県内集合地点または宿泊施設での待機を命ずるよう依頼した。派遣会社は訊ね返した。

「この先はもう、検問の人員がご不要ということですね?」

「はいそうです。」

「でしたら帰らせても問題ありませんか?」

「ええ。」

「宿泊施設へのキャンセル料が、とりあえず今日の分は100%になるので、皆さんに居ていただいても経費は変わりません。念のため残っていただく必要は、ございませんね?」

「はい。」

「承りました。後の細かいことはこちらでさせていただきます。ところで…」

 送迎の手配に変更が出るなどの理由で、詳細を即決することはできない、一部の出勤者については帰し切れないかも知れない、それらの経費も契約の変更に伴うものとして支払え、そんな条件への同意が求められた。室長は、自分に与えられた権限の範囲と考えて、それを受け容れた。

 室長は同時に、応援を出している市町村への電話を、手分けしてかけるよう部下たちに命じていた。こちらの準備は、予めできていた。中止が織り込み済みだったからだ。


 追って、飲食店へ押しかけての営業自粛の強要も、翌日からさりげなく中止することとされた。しかし、防災無線等を利用した自粛の呼びかけは続けられた。また、対象地域は県内全域に広げられた。とはいえ、「配慮」から複雑な例外までもが設定され、そのわかりにくさのお陰で強要されない自粛が一部で続くことになるのだが、これは別のお話である。

 公営駐車場は、閉鎖を続行した。象徴的な対策の一つくらいは残しておこうという発想が、一部にあったようだ。もっとも、そもそもこの時期は役所側の需要が少ない、つまり身内への影響が僅少なればこそ可能だったことでもある。

 このあたりの都合もあって、コールセンターは残った。その具合は、相変わらずであった。増員も検討されたが、それはあくまで形としてのものに過ぎなかった。そこまでする必要がないと確認した旨を言い張るためにのみ、記録が残った。


 与党議員たちは、もう次の知事を選ぶ話を始めていた。御輿は軽くてパーがいい。だが軽過ぎても、吹けば飛ぶ。だから妥協はする。そして、あまりに軽い知事の後釜とあっては、それなりに力量がないと話もまとまりそうにない。

「議長、副知事で決まりかね。」

「そういうことなら俺がやるって県議もいてな、決まったとは言えんな。」

「出たがりにやらせるとまたこんなことになるだろ。」

「しかし副知事はキツいぞ。」

「わしらにとっちゃそうだがな…」

「ああ、そういえば、対策室長を推す向きもあってね。」

「若いのがそんなことを言ってましたな。」

 長老議員たちは、当人の意向も聞かずに、そんな話をしているのであった。


 そして数日後。

「おう、久しぶりだな。」

 室長は、どこかに電話をかけていた。

「ああお前か。やっとヒマができたか。」

「お陰でうまく行ったよ…ありがとう。」

「ああ、知ってるよ。やったな。」

「いや、これからだ。いろいろ頭が痛い。」

「まあいいだろ。そのうち寿司でもおごれよ。」

「そうするよ。」


 電話の相手は、記者会見の日の昼間に室長が連絡していた相手である。その相手は、知事のゴルフの件をネットで煽っていた。室長と、その背後の幹部たちの意向に沿って。そんな室長たちにも、細かい展望があったわけではない。間違いのない総意は、無能な知事に一撃与えるところまでであった。


 ところで、急に仕事がなくなった日雇い派遣たちは、困っていた。悪ければ当日に仕事が消えたというのに、長距離の交通費以外は何の補償もなかったからだ。だが、知恵が回る者はそうそういないようで、派遣会社は違約金を丸儲けする運びであった。派遣会社は、既に終わった分も含めれば数千の延べ人数から、毎日1万円弱を吸い上げる。自らが支払う違約金も、叩けるだけ叩く。そんな連中にとって、僅かの休業補償など屁でもないはずである。だが、そういう話を一切しないことで、奴等はより多くの利益を確保する。


 そして連休は明けた。何気ない日常が戻り、誰も過ぎたことなど気にしていない。だが、潜伏期間は明けていない。

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