伏兵の城門突破 4

 岡賀波県の羽賀井安吾知事は、連休中の岡賀波県要塞化宣言を発した。知事は吠えた。

「世界は動く!わが県を真似てください。いえ、そうするしかありません。全都道府県が同じようにすれば、ウィルスなど恐るるに足りません!私の企画は完璧です!」

 高速道路での検問と、一定の地域や業種への休業要請。ウィルス対策室長は、二つの主力を実現した。その結果は、芳しいものではなかった。ある種のお客さんを集めることになった一方、自粛を気にしない向きと正義を守る県民の衝突も発生していた。そんな中、知事は突然記者会見をやると言い、対策室長は役所を出た。


 知事は、ゴルフをしに北海道に行っていた。誰もが薄々勘付いていたというだけではなく、一部の幹部職員は具体的に知っていた。その予定を切り上げた知事が県庁に出たのである。報道のされ具合が影響したことは、想像に難くない。なお、知事の判断にとって幸運だったのは、今朝訪ねたゴルフ場の最寄空港が千歳だったことである。もしこれが旭川や釧路だったら、便の都合で帰県が数時間遅れていた。


 知事室では、知事が一人でPCを見つめていた。いや、正確には、見つめようとしていた。鳴り止まない電話が、知事を離さないからだ。帰県を決断した理由も、そんな電話だった。それが一向に繋がらないのだから、相手は怒る。その内容は、作戦への苦情である。与党の支持基盤である各種業界団体が相手とあって、如何にこの知事でも無視することはできない。しかし、鳴り物入りの事業を止めるのは大変である。

「なんとかします。現在検討中です。申し訳ありません。発表をお待ちください。」

 軽い商売人らしい、言質を与えない空手形のような台詞だけが繰り返された。結局知事は、支持団体からの苦情以外にまで目を配る余裕をまだ得ていない。


「らっしゃい!」

 用足しついでに飯を食うつもりだった対策室長は、平だった頃からなじみの中華料理屋に入った。TVは、ワイドショーらしきものを流している。自粛警察の逮捕事案は、ちょうどいいエンターテイメントとして消費されているようだ。そして、自粛強制の対象になっていない山奥の蕎麦屋にできた行列が空撮までされている。なるほど、探せば行先が見つかるものだ。国道もない奥地なら、自粛要請の対象ではないのだから。

「おまち!」

 室長が注文した八宝菜定食が届いた。八宝菜と汁と飯、それにレタスを敷いた少量の唐揚と、沢庵と搾菜が並んだ漬物がその一式である。立ち上る湯気が、室長の視界を曇らせている。そして画面は駅からの生中継に移った。

「いやー楽しいところですね、また来たいです。」

 能天気な観光客は笑顔で語っている。

「やってない店が多くて不便でした。」

「腹ペコで駅に戻ってきました。開いている店が混み過ぎてて…」

 室長は、聞いているのかいないのかわからない風で、定食を掻き込んでいる。観光客の動線から外れたこの店については、影響もない。いつものこの時間帯と同じく、少ない客がちらほらと出入りするのみである。その格差もまた県の仕業だとするなら、苦情の元になるかも知れない。

「ごっそさん。」

 室長は、店を後にした。いつものように、店主との無駄な会話はない。それがこの店の流儀でもあるからだ。この店にもう客はいない。老いた店主は、何事もなかったかのように、空いた席で新聞を読み始めた。


 この頃までに、大規模なスーパーでは、騒動が起きがちであった。県外からの駐車場難民たちが、確実に車を停められそうなその種の場所を利用していて、県を去る波が頂点に達しつつあったのだ。買い物に来た近隣住民たちも、駐車場に困っていた。何分にも田舎の話なので、それらの駐車場に課金のための設備はなかった。その気になれば、停め放題だったのだ。ナンバーを見れば、よそ者が長時間車を放置していることが明白であった。こうなると自警団の出番である。釘にやられる車も出てきた。すると、その撤去に時間を要することになる。事態は悪化するばかりであった。


 室長が対策室に戻ると、室員たちはそれぞれに忙しく動いていた。

 まずは報告を受けるのが、室長の仕事である。スーパーの駐車場の件について各社から対策を求める声があったこと、不公平な自粛休業対象の選定への苦情が治まらないことが、その骨子であった。他方で、検問についての重大な問題はないとされた。ただし、動画が拡散されてネットの話題になっていることは、無視できなかった。そして、本務とは関係ない要注意事項として、自粛自警団の働きぶりについても報告が上がった。


 本気なのか、それとも形だけなのか、知事は対策室に意見を求めた。室長は、この期に及んではやむなしと考え、簡潔な処理を考えた。

「全員に訊く。これから出す案に全面的に反対ならば挙手してくれ。補足意見は後で聞く。一つ、検問の中止。二つ、追加分以外の休業要請の撤回。三つ、追加した駐車場の休業の取りやめ。」

 三点とも、全面反対はいなかった。

「次に、仮定の質問をする。同じく、全面的に反対なら挙手を。一つ、検問を続行する場合、駅と空港を多少とも加えること。二つ、休業要請を継続するならば対象を拡張すること。」

 この二つにも、全面的な反対はなかった。後はネット経由で話すことにし、室長は意見書案をまとめ始めた。


 この頃、駅もまた混雑していた。岡賀波駅に至っては、入場制限を始める有様であった。これも、知事による大宣伝の成果である。隣県から来た鉄尾田直三は、連れとともに他の駅の具合をネットで調べていた。

「余古河も濃居もだめじゃ…」

「いかんのう、改札にも入れんことにはのう…」

 二人は顔を見合わせていた。両隣の駅でも、制限が始まったらしい。高速バスは以前からほとんど運休中である。このままでは、当分帰れない。悪ければ、このあたりで夜明けを待つことになりそうである。

「えげつない県じゃのう。」

 鉄尾田は、憎憎しげに行列を見やりながら吐き捨てた。


 対策室の意見書は知事に届いた。程なくして、室長は呼び出された。

「キミは検問をやめろというのか?」

「いいえ、やめるのも合理的な選択たり得るとお伝えしたまでです。」

「やる。私はやると言ったからやる。」

「そこには書きませんでしたが、大評判ですよ。県が笑いものにされてます。」

「手緩いからだ!」

「じゃあもっとやりますか。ネットの連中は飽きるかも知れませんがね、人手が足りませんよ。とりあえず、明日からってのは無理です。」

「なら止めろということか?!」

「まあ、止めても、たんまり違約金を取られますけどね。」

「じゃあ、いったいどうしたらいいんだ!」

「それを判断するのが知事のお仕事でしょう。」


「混乱回避のために休業要請の中断を、ともあるが…」

「ええ、混乱の元です。知事もご存知でしょう。」

「広げてもよいというのはどういうことか?」

「続けるなら、広げるしかありません。不平等ってのは、苦情の種ですからね。」

「どうしろって言うんだ!」

「それを判断するのが知事のお仕事でしょう。我々は、ご判断を支え、決まったことに従う仕事です。」


 知事の息遣いは荒い。対して室長は平静である。無理もない。知事は、支持基盤を抑えながら業績を積み上げる方策など、思いつかないのだ。だから知事は、答を引き出せるかも知れない相手を前にして、ただ睨み続けた。対面する室長はというと、鼻くそでもほじくりながら夕食のおかずを何にするか考えているような雰囲気である。実際のところはともかく。そして勝負は、知事の根負けに終わった。

「もういい、わかった、帰れ。」

 知事の判断は、そうなった。


 それから知事は微動だにせずに数分を過ごした。善後策を思いつかず、直接の部下を呼んだところで同じことを繰り返しかねないと悟っていたからである。そこに、また電話が掛かってきた。知事の顔色が変わった。

「はい…」

「おう坊主、記者会見が終わったらすぐ来い。」

 電話の主は、県議会の議長である。地方議員一家に育った議長は、与党の支援者である知事一族と親しい。生まれる前から知事を知っている間柄は、先の選挙の演説でも繰り返し言及された。言ってみれば、知事の後見人のようなものである。それが、キレた。

「……できません。」

「なんじゃと?おい、お前の父ちゃん、泣くぞ。」

「できません。申し訳ありませんが予定が立ちません。」

「もうええ。好きにしろ。」

 電話は切られた。


 そうこうする内に、会見の時間が近付いてきた。会見場は、微妙に日頃と異なる雰囲気となっていた。理由は簡単である。記者クラブに加盟している会社が取材者を記者会見に送れるからである。異例の事態の取材には、支局員以外の記者も訪れていた。俺たちに不要不急の言葉はないとでも言いたげな振る舞いは、マスメディアらしい。だがとにかく、そんな記者たちも入場を断られていなかったのだ。そんな記者たちの中には、何気ない会話を聞いた地元採用の記者が居心地の悪さを感じる程度の力量差を既に滲み出させている者もいた。なぜそうなったのか。休憩がてら県庁を訪ねたある記者が確認したクラブの規約がそうなっていたので、知遇のある他紙の記者にも伝えたからである。妙な抜け駆けをしないというあたりからは、大企業らしい自己防衛ぶりも窺われる。


 計画の概略、そして実績の速報値。知事は、淀みなく自画自賛をやってのけた。そして、儀式としての質問時間が来た。そう、儀式である。いつもならば。だが、今日は前提が違っていた。誰もがそこに気付いたのは、最初の質問を全国紙の大阪本社から来た記者が発してからだった。

「検問の態勢に批判的な意見があります。担当者は三密状態で派遣されてきている等、問題があるようです。知事としては、それらについてどうお考えでしょうか。」

 知事の顔色は、一気に青くなった。聞かれたら困る話だからである。司会を務める広報の職員は、後でまとめて説明するので他の質問をと、地元の記者の方を見ながら言った。これで時間を稼ぐつもりなのだろう。だが、地元の記者は、顔を見合わせておろおろするばかりである。こうなっては上がった手を無視することもできない。二人目も、修羅場に鍛えられたゲストが質問者になってしまった。

「検問については置いておきます。お尋ねしたいのは、駐車場規制の影響です。私どもの取材では、救急車の活動にも影響が出て、あわや一大事ということにもなっていたようです。十分な広報のない規制には、問題があったのではないでしょうか。知事のお考えを伺いたく。」

 情勢は変らない。司会は、しまったという顔をしてはいるものの、今更どうにもできない。

「ええ、まずは、検問関係をまとめましょうか。その他は後ということで、検問についてのご質問をまとめていただきましょう。」

「それならということで私も。今回、実務担当者のかなりの割合が派遣労働者だと言われています。だとすると、関連する契約はどのようになっているのでしょう。随意か入札か、契約相手はどこか、価格は適切か。そして担当者を選定するプロセスと教育はどのようになっているか。ぜひとも教えていただきたいと。」

 要するに、すべてが出鱈目にしか見えないが説明できるならしろという記者の見方が、質問の形で噴出したのである。知事は、幾つかのメモを渡され、ついに立ち上がった。

「何も問題は御座いません。すべては適切に、適正に進められております。小さな齟齬は見受けられたかも知れませんが、責任者である私自身も真摯に反省して、もしそういうものが御座いましたら改善に務めて参ります。」

 そんな中身のない回答が終わりかけたころ、記者席のざわつきが級数的に増した。手順を守っている場合ではないと大声を出したのは、東京から来た記者だった。


「知事、そんな作戦をやっていて、なんで北海道でゴルフなんかしていた!!!」


 今初めてそれを知った記者も騒ぎ始めた。もう、収拾はつきそうにない。なぜそれが今知られたか。SNSで、空港にいる知事の画像が広まった。もっとも、えらそうなおっさん数人が他の客を待たせてまで自分たちを優先させようとしていたという、ありがちな図式である。そこに、ゴルフ場での写真が、同じ人ではないかと示された。横柄な一団はそこでも目立っていたのだ、と。そして、それはあの知事ではないかと指摘されたのだった。それは会見が始まる前後のことだった。一部の記者が常時繰り返している検索を通じて知り、それが広まったのだ。

 知事の顔色は、今度は赤く染まっていた。なぜバラした、誰がバラしたという、根拠も矛先もない怒りの故である。だが、この人物は、商売人らしく、言葉だけはそれっぽいものを選ぶ。


「お尋ねがよくわかりません。私はそろそろ次の予定がございますので、後は担当者からご説明を差し上げます。御機嫌よう。」


 知事は軽やかに退場した。

 同席しあるいは裏にいた役人たちは、自分以外の誰に汚れ役をなすりつけたものかとだけ考えている。埒が明かない。これでは益々県のイメージが下がる。仕方ないなと、対策室長が前に出た。誰も、それを止めなかった。


「対策室長です。ご説明の前に、前提を。私どもの事業は、県として決め、県として実行してきたものです。知事一人の功績でも、責任でも御座いません。この点をよくご理解ください。」

 役人たちは、胸を撫で下ろしている。室長はそれを見て、回答を続けることにした。

「検問についてこれまでのお尋ねにお答えします。派遣労働者が多数いるのは事実です。公務員だけで実行するとなると、休日を返上していただく対象が多数にのぼります。そういうこともできません。もしそうすれば、後で調整することになり、多方面に影響が出ます。ですから、民間の力をお借りしています。」

 無難といえば無難な回答に、場は鎮まっている。

「そして、契約は、入札なしの随意で実施しました。これは、時間がないためです。ただ、十分な実績のある事業者にお願いしています。ですから、しかるべき対応が各場面でなされていることを、県は期待しています。ただ、移動用のバスが三密そのものだったということ、これについては、既に報告を受け、改善をお願いしています。」

 室長は、嘘をついていない。しかし、県に都合が悪いところを語っていない。それはもしかすると、追加の質問あるいは取材を待っているかのようにも見える。


「派遣さんということでしたが、それは県への派遣ということでしょうか。」

「いいえ、委託先への派遣です。」

「あっ、業務を委託していたということですね。」

「はい、一部については、そのような契約です。」

「県職員と名乗る人もいたと証言がありますが。」

「はい。ただ、委託した業務の指揮をしていたわけではありません。受託先と県庁の連絡や調整のために、原則として職員を置いていました。」


 問答は続く。室長の回答から事業の全容を再構成すると、突っ込みどころがどんどん見えてくる。記者たちは、騒然とした状態に戻りつつあった。

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