要塞と落とし穴 3

「わが県にウィルスを入れることはない!」

 岡賀波県の羽賀井安吾知事はそう高らかにのたまい、一週間後に迫った連休中の岡賀波県要塞化宣言を発した。そして知事は吠えた。

「世界は動く!わが県を真似てください。いえ、そうするしかありません。全都道府県が同じようにすれば、ウィルスなど恐るるに足りません!私の企画は完璧です!」


 そして計画は発動した。高速道路での検問と、一定の地域や業種への休業要請が、その内容である。様々な困難と関係者が闘った夜、情報を整理しているウィルス対策室長の電話が鳴った。知事からである。知事は、計画の失敗を認めず、もっとやれと言ってきた。

「でしたら私に全権を。」

 知事の話はいつもなら無駄に長い。だが、先手を打った室長に、知事は珍しく折れた。

「わかった、きっちりやってくれたまえ!」

 電話は切れた。室長は、薄笑いを浮かべ、改めてパソコンに向かった。


 ここで、話を日中に戻そう。

 県職員は、営業自粛を強制するために、対象飲食店を回っていた。物分りのよい店は、既に閉まっている。だから、効率は上がっていた。地区によっては、まつろわぬ店にその気になれば1時間も空けずに再訪できるといった塩梅である。自粛班は、担当地域の調整に追われた。


 県都の郊外の燦柳温泉でも、休業強制部隊が動いていた。

「みんなお休みですねえ。」

 まだまだ新人といった風情の女が言うと、好々爺然としたベテランがうなづく。後ろを、中年が着いて行く。高級店は、客がいなくともそれなりの動きを見せるものだ。女将が門前を掃除しつつ、近所への挨拶と情報収集をする図などが見られるのは、日頃と変わらない。そんな街の一角で、数人の経営者たちが県職員を取り囲んだ。どうやら、歩いているのを見つかり、待ち伏せされたようだ。

「なんだアレは!俺らばっかり痛い目に遭わせやがって!」

「いい加減にしろよ!」

「話が違うだろうがあああ!!」

 県職員たちも、さすがに驚いている。実際、最初に落ち着きを取り戻した長老格が口を開くまで、数秒を要した。話を聞くと、温泉街が真面目に休業しているのに近くのスーパー銭湯が営業しているというのである。職員が地図を確認すると、そこは自粛強制区域を外れている。それ故、どうにもならない。だが、使っている湯はほとんど同じである。だから、温泉街側から見れば、不公平には違いない。職員たちは、理解と協力を強制する旨を語ることしかできなかった。


 コールセンターはというと、相変わらず機能不全のままであった。最も多いのは、店が開いていなかったどうしてくれるという怒りの声である。通報マニアもいなくはないが、営業せずに掃除をしている店まで通報されたりもする精度なので、現場の仕事はむしろ無駄に増えていた。だからといって業務を停止するというわけにも行かず、電話を受ける派遣たちのストレスと派遣会社の中抜きだけが積み上がるといった塩梅であった。


 さて、夜の対策室に話を戻そう。室長の向こうでは、TVが今日の騒ぎを報道している。県職員だけを集めた検問地点での、つつがなく進む作業が映し出されている。

 室長は、明日からの対策についてまとめていた。

 まずは、人員配備の再確認である。県外へ出る地点の検問をやめた分を予備に回し、後から運びようのある場所での待機や非常時の交代要員とする。TVの撮影に配慮する必要がなくなったので、自由度は上がった。印刷した配置表は、行先を明記した箱に入れてバスに渡すことになる。それまでは、寝ることもできない。なんとか調達できたフェイスガードと改定した検問マニュアルも、バスで運ぶよう依頼はできている。ただ、何より、現物を渡す必要がある。職員の安全を守るためには、ここも手を抜けない。営業休止要請は、そろそろ人手を減らせるかも知れない。何せ、残りは3%に満たない。だが、浮いた人手を即他に回せるというものでもないので、パトロール的なノリで巡回を続けるという建前で、変更はなしとされた。

 この際にと、検問場所に駅と空港を加える案も出た。この案は、合議と熟慮の末、排された。ただし、実施原案を作成することと、掲示を出して県外者に注意を促すことが決まった。主要駅の検問にはそれなりの人員を要するばかりか、場所の確保も難しいからである。そこで、実施するならこんな感じになるという原案だけは作っておくという中間的落とし所が採られたわけである。鉄道会社や空港とのすり合わせは、日中にできていた。後は、文書を完成させるだけである。

 そして、追加対策である。県と外郭団体が運営する駐車場を閉鎖する。同時に、近隣の駐車禁止取締りの強化を警察に依頼する。時間を考えると、ファックスを夜のうちに送り、朝になってから電話で念押しすることになる。県直営の箇所については、閉鎖の可能性を早めに伝えてあるので、後は電話一本で済む。職員が出てきてから手分けをすれば、処理にかかる時間は知れている。初日は抜き打ちになるが、致し方ない。


 大量の事務処理を片付けた室長は、連絡を終えた途端に眠りに落ちた。その頃TVは、ある怪奇現象を伝えていた。それは、県境の向こう側で、飲食店が大繁盛しているというお話である。なるほど、用があって移動すれば腹も減る。ところが岡賀波県の道路沿いでの食事は難しい。細道に入れない大型の貨物車にとっては、それは最早死活問題である。だから、そういうことになった。


 そして朝が来た。雑用のために何度か起こされた室長は、まだ寝ている。そんな早朝のとあるパーキングエリアに、バスが着いていた。今日のこの場所には、数台の車が停まっている。それ自体は、何ら奇妙なことではない。

 バスは、出鱈目に停まった。そして、例のごとくマスクを外した人夫たちがぞろぞろと降りてきた。車内は、どう見ても三密の極みである。彼らは整列すらせず、適当によろよろと動いた。指示を出す側が着いていなかったからである。そこに県職員たちが集まり、業者にしつらえさせたテントへの集結が申し渡された。勤務時間はまだ始まっていないが、なしくずしに仕事が始まるのである。役人たちはそれを何とも思っていない。なるほど、公務員試験の科目に労働法はない。

 駐車場の車が微妙に増えた頃、最初の検問を始める時刻が来た。昨日いなかった新人を分散させることで、5チームすべてが同時に動ける手筈となっていた。この采配は、担当者が無能ではないことを示している。マスクの付け方も厳しく指導され、フェイスガードも貸与された。もっともこれは、後で同じものを別の人間が使うことになるのだが。万端の準備を経て、検問は形どおりに進められた。応答がなければ放置し、主張は言わせておくというルールが徹底された。それでも、様々な事情から、昨日と同じく細かい突っ込み所が提供されまくりはした。だがそれは、事業の大枠にとって瑣末な問題であった。


 ちょうどその頃、一つの動きがあった。青年会議所時代から知事と親しい商工会議所の理事が主導したキャンペーンに、である。決め手を欠いたままのキャンペーンであったが、県外からの来客を止めるべきだとの意見がそれなりに集まったのを踏まえ、勝手に印刷できる貼紙用のデータが公開されていたのだ。ただ、ご多分に漏れず、そういう筋の能力は低い。だから、なじみの自称デザイナーにデータの作成を委ね、ウェブはといえば下請けの業者に作業を丸投げしていた。そんなわけで、公開は今頃になった。それでも下請けは、時間外に必死に働いてはいたのだが。そんなデータの話が電話で広まり、一部の店舗が貼り出し始めていた。早くから仕込みを始める商店にとっては、夜明けを過ぎた時間帯は、既に夜ではなかった。なお、知事はというと、このキャンペーンと重なる話を意図して避けていた。事前に話を聞いていたからである。


 通常なら店が開き始めて観光地も動き始める遅めの朝になると、昨日と違う現象が始まった。市街地や観光地周辺で、渋滞が起きたのだ。県絡みの駐車場に車は入れないため、運転者は入れる先を探すことになる。探すのは、不案内なよそ者ばかりなので、効率が悪い。たとえ総ての駐車場が満車にならずとも、その空きが発見されるとは限らない。結果として、道は混雑した。いつもなら3分も走らず終わることを1時間経っても片付けられないのだから、そうなるに決まっている。その影響は、貨物の配送に及んでいた。コンビニの棚は、しばしば隙間だらけになっていた。


 そして室長は、世間の話題に気付いた。検問が、娯楽を提供しているのだ。例えば、あのパーキングエリアに朝停まっていた車は、にわかも含むユーチューバーの類ばかりだった。しかも、初日に足りなかった情報を集めるつもり満々であった。バスから降りてくる派遣人夫たちの図までもが、動画で公開されていた。ご丁寧に、点呼の図まである。そこからは、幾つかの派遣会社名が聞き取れた。会社別に名簿が管理されていたが故に、それはおかしなことではない。だが、どんな層が派遣されてきているかを知らしめるという副次的効果が生じてしまった。

 日が高くなると、検問対象もそれなりに増えていた。彼らの大半は、避けられるものを敢えて避けない客である。それらと同様に、怖いもの見たさ的な欲求を満たすことが、県外からの来訪者の目的となっていた。だから、いつもの客筋と違い、金を使わない。このことに気付くものはまだ少ない。だが、実際に、観光地の近くの開いている店は、ただでさえ少ない客が更に削られていた。


 昼前後のTVは、県内の声を伝えていた。そこで消費されるのは、能天気な観光客ばかりではない。商店主を典型とした地元の声も、拾われていた。あるコンビニの店主は言った。

「県外のお客さんが来ない。多分、県内で食事できないって話が拡大解釈されてる。」

 実際に、そういう傾向はあった。特にトラックにその傾向が強かったようだ。細かい話が伝わるうちに簡略にされたからというだけではない。飲食店が閉まればその需要が他に向かうので、品切れでものを買えないリスクが生じる。その懸念が、運転者たちに県外で片をつけるよう判断させていた。


 コールセンターは、相変わらず怒号に包まれていた。通報や質問を受けるという本来想定された業務は、最早ほとんどなされていなかった。意図せざる煽りの効果である。商議所が作った貼紙は、勝手に県のコールセンターを紹介していた。それが、無用の連絡を後押ししていた。


 昼飯時を過ぎると、消防や救急からの悲鳴も対策室に届いた。事態は局地的なものでしかないにしても、不慣れな車の多さは想定外の事故にも繋がりかねず、二次被害が生じかねない。だから、消防や救急の立場からは、自粛政策に何らかの変更を求めねばならなかった。警察も、交通整理に振り向ける人手を他の部署からまで出していた。この状態を何日も続けるには無理があるとの考えは、県にも伝えられた。


「次のニュースです。壅塞化を宣言した岡賀波県で、ガソリンスタンドの店員が逮捕されました。」

対策室の情報班には、報道をチェックする担当者も置かれていた。ラジオの一声を聞いて、その表情は、はっきりと変化していた。それは驚きの表現にも見えるが、強力なものではない。それっぽい出来事がある程度予測されていたからだろう。

「逮捕されたのは、岡賀波市川下の……容疑者は、給油に訪れた県外ナンバーの車のタンクに隠し持っていた砂糖を入れ、エンジンを焼きつかせて走行できないようにして、器物損壊の容疑で逮捕されました。被害は数十台に及び、警察では、往来妨害罪の適用を視野に捜査を続けています。」

 担当者の机上では、あくまで冷静に報告の準備が進む。

「もう一件、岡賀波県のニュースです。」

 その担当者の指が、止まった。その口は、マスクの下で半開きになった。まだあるのかよという呆れが職務への忠実ぶりに勝ったようだ。

「沼川市の人気があるうどん店の店頭で、近くに住む容疑者が傷害の容疑で逮捕されました。60歳無職の容疑者は、行列の客を問い詰めていたところ、様子を見に来た店主に激昴して暴行を加え、全治2週間のけがを負わせました。」


 報道を知った室長は、すぐさま新聞社等のサイトを開けた。まだ記事にはなっていないようだ。室長は、記者クラブに連絡し、これらを記事にするなら対策室のコメントを載せるよう依頼した。素直にその通りになるかどうかはともかく、一方的な攻撃を受けてもたまらないからである。室長は、ウィッターも検索した。すると、目撃証言が見つかった。なまりがひどく何を言っているのかわからなかったという県外人の意見が目を引いた。後は、近隣紛争系が背後にあるかどうかを人伝に洗えば、背景もだいたいわかるだろうと推測された。


 室長も室員もどうしたものかと考えていた。そこに、突然知事が現れた。ポロシャツの上にジャケットを羽織った知事からは、汗の匂いがした。相当に急いで来たのだろう。

「おや知事、まだお休みでは。」

 のんきな風を装った室長の言葉が、知事の逆鱗に触れた。

「何をやっているんだ君たちは。19時に記者会見をやる、17時になったら君たちに指示する。全員帰らず待ってろ。」

 知事は、激しい口調で指示を下し、すぐ去った。あたかもここにはいたくないと身体で語るかのように。


 知事は、ゴルフ三昧の連休を過ごす予定だった。いつものことである。だから、幹部職員は諦めていた。おそらく知事の予定は、ウィルス禍の下でも変わっていなかった。その知事が突然戻って来た理由は、想像に難くない。県の作戦が笑いものにされたり被害を起こしたりしているのを知ったからだろう。こんなとき知事がどうするかも、既に知られていた。彼は、計画は成功していると言い張らないと気が済まないのだ。


 室員たちは、何事もなかったかのように仕事の続きにかかった。ただ、室長だけは違った。一瞬考えて少し手を動かしてあら、全員に聞こえる声を張ったのである。

「ちょっと飯を食ってくる。着替えも取りに帰りたい、2時間ほど空ける。」

 まだ14時過ぎであった。室長は部下に伝え、対策室を出た。なるほど、今を逃せば機会は当分なさそうである。部下たちには、室長を止められなかった。


 ところで、例のサイト「岡賀波県攻略ガイド」には、土産の調達についても書かれていた。駅前の越中屋デパートが営業していて、地下に行けばそれなりに色々なものが揃うというのである。それが書き加えられたのは今朝だというのに、岡賀波県を見て笑う人々は、既にこの点にも注目していた。越中屋が、知事一族の持ち物だからである。ネットに広まった様々な話に尾鰭が付き、越中屋へ行くと答えれば検問をスルーされるというデマがまことしやかに語られていた。容易にお土産を選べる唯一と言ってよいような店を知事がやっているのだから、無理もない話である。この「心無い根も葉もない噂」も、TVのネタとして消費されていた。


つづく

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