さらば特殊警察

 商売が暇になったので、ずっと寝ていた。ウィルスのせいだ。寝てばかりでもシャクだ。だが仕方がない。古女房の面なんぞ見たくもない。けどヤツのパートはむしろ忙しいようで、子供が巣立ったお陰で大活躍しているようだ。お陰で、朝から酒を呑んでいても、誰にも怒られない。それでも暇にも飽きてきた。それで、散歩をしてみた。

 自粛するご時勢に逆らう奴等が、いる。マスクもしねえでマラソンしてみたり、べったりくっついて遊んでいたり。だめだ。こんなことじゃだめだ。お前らなんなんだ、お天道さまに恥ずかしくないのか。よし、ここは、前は商店街の顔役だった俺の出番だろう。ちょっとばかり自警団みたいなことでもしてみるか。


「おい、マスクもしないで何やってんだ?」

 一声かければ、大体のヤツは謝る。そして走っていく。逃げるみたいだ。なんだか俺が悪いことをしているみたいじゃないか。ふざけるな。だが、悪党を何匹か成敗できた。気持ちのいい話だ。


 暗くなりかけてきたので、帰って、いつもの焼酎を飲んでいると、女房が帰ってきた。

「おい、飯も作らねえで何やってんだ?」

「はいはいすみません。」

 こいつの謝り方には誠意がない。俺は一発ぶん殴って、外に出た。けったくそ悪いからだ。


 不要不急のくせに開いている店がけっこうあった。気分が悪い。許せない。かと言って、一々注意していてもキリがない。俺はコンビニで道具を買って、貼紙をすることにした。この店極悪感染源。だいたいそんなことを書いて、貼っておいた。善良な庶民が気付いてくれるはずだ。真似をしてくれたら、なおよい。まともな人間なら、そんな店には入らないだろう。


 いいことをしたので、いい気分で寝た。目が覚めたらもう昼だった。女房はもういない。さて、世界を守りに行こう。

 公園には親子連れがいた。幼児は勝手に遊んでいる。あと、笑いながら話している親たちがいる。どれ、やるか。

「いけませんよ奥さん。」

 最初は丁寧に声をかけてみたら、女は、わけのわからない顔をしている。

「説明しないとわからないんですか。三密です。」

 返事はない。女は、こちらを見ずに隣の女と話している。

「危険です。帰りなさい。」

 顔を見合わせてひそひそ話をして、女たちは立った。どうやら俺の正義を理解してくれたようだ。いや…別の椅子に移っただけか。

「おいお前ら!」

 一喝してやった。今度こそこいつらは、子供の手を引いて帰って行った。よし。俺はとりあえず、長年吸っているセブンスターを一服した。うまい。いいことをした後は、特にうまい。

 この程度の作業でも、けっこう時間が要った。これはいけない。もっと手短に済ませられるよう心がけながら、次の公園にも行くことにしよう。幸い、近所の公園くらいならよく知っているので、迷うこともない。この際、大きめのところを目指してみよう。


 その道中、居酒屋が店を開けて何かしていた。おい、お前ら不要不急だろ、何やってんだよ。俺はおっさんを問い詰めた。

「掃除してるだけですよ。」

「しらばっくれてんじゃねーよ、掃除して開けるんだろ店を!」

 おっさんは土下座した。

「勘弁してください…」

「知るか、おい、いい加減にしろよ。」

 俺はおっさんを蹴飛ばした。おっさんにぶつかって、引き戸が外れた。

「おっさん、誠意を見せてねえな。」

 おっさんは震えている。自分がやっているのがどれだけ悪いことか、気付いたのだろう。よい。これでよい。俺は許しを請うばかりのおっさんを適当になじり、先へ進んだ。


 公園には、大勢の客がいた。面倒だが、手近なところから手をつけよう。まずガキからか。

「おい坊主、なんでマスクしてないんだ?」

 ガキは震え上がっている。悪いことをしているんだから、仕方がないだろう。当然だ。いいざまだ。そこに早足で誰かが寄ってくる。それを、誰かが、止めた。

「あなたもマスクをはずして、何してるの?」

 母親の足が止まった。反論もできずうなだれる母親を見れば、子供も考えを改めるだろう。親子は立ち去った。そして、中年の女が笑顔で俺に寄ってきた。

「本当に困りますね、マスクもしない人たちには。」


 椅子に座って話を聞くと、この女も自警団活動をやっているそうだ。マスクもせずにマラソンをする奴等の息の荒さとか、近くに看護婦が住んでいて恐ろしいとか、悩みは尽きないようだ。

「まだやることがありますので、これで。」

 女は去ろうとする。俺は夕方にここで待つと伝えた。なに、例の居酒屋が開いているだろう。作戦を練るべきだ。こいつは俺に惚れている。


 戦いは続く。次の公園でも、恐るべき集団に出会った。子供ばかりだが、取り囲んで一々言いがかりをつけてくるのだ。俺が正しいとわかっていてそんなことをするのだから、たいしたものだ。仕方がないので、リーダーっぽいガキをぶん殴ってやった。ガキどもは蜘蛛の子を散らすように消えた。そんな調子で、悪党どもをどんどん退治した。

 ベンチで一服していると、時計が目に入った。空はまだ明るいが、もう5時になっていた。どれ、あの公園で待つか。


 夕焼けを見ていて、思いついた。冬になると町内会が火の用心を訴えて回る。あの容量で、自粛を呼びかけるのはどうだろう。やってみる価値はありそうだ。そんなことを考えるくらいでヒマなので、椅子の下には吸殻の山ができた。そこに、あの女が見えた。

「あいつです!」

 その声が聞こえるや否や、制服警官が四方からやって来た。俺はすぐ取り囲まれた。

「柾芳糺匡、暴行犯人として緊急逮捕する。」

 ポリどもがそんなことを言って、俺に手錠をはめた。

「被害届けがたくさん出てね、お陰で仕事が増えちゃったよ。ああ、言い訳は署でしてね。あんた今マスクつけてないし。」

 そういえばマスクを顎にずらしたままだ。しまった。そしてあの女。約束を守れなかったのは気がかりだ。だが、女は笑っている。

「ご協力ありがとうございました。」

 何があったのかはわからないが、あの女も警察に協力していたのか。つまり俺はハメられたのか。ハメるはずだったのに、ちくしょう。


「あんた色々手広くやったねえ。」

 取調室では、警官が俺に敬意を見せている。

「示談すればなんとかなる程度の話も多いんだけどね、奥さんが協力しないって言うのよ。離婚を前提に、って。」

 そんなバカな。俺を尊敬してやまない女房がなぜ、そんなことを。

「だから、あんた、当分出られないから。」

 俺は理解できなかった。だが嘘をついても仕方ない。だから、その後最初に聞かれた居酒屋の件について、俺は覚えているありのままを答えた。最後に待たされてから、紙に拇印を捺した。

「うん。それでね、店主が重症でね。しかもあんた、今言ったね、金を出させたって。」

 ちょっと盛ってそんなことを言ったかも知れない。許しを懇願するおっさんが札束でも持っていたら面白いよな、って。そう、警官が例えばそんなことはなかったのと訊ねてきたからだ。

「それね、強盗傷害っていうの。かなり重い罪なの。」

 罪だと?俺は正しいのに。だいたい金なんか受け取ってもいないのに。ふざけてんのかマッポのくせに。


 ありがとう、僕たちは忘れない。君たちの正義を、君たちの戦いを。そんなねぎらいの言葉は、警官たちにのみ向けられていた。だが、犯人は、自分がそう讃えられていると今も信じていた。

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こんなにアレなはずがないなんて妄想してもいられない アレ @oretokaare

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