県土要塞化計画 1

「わが県にウィルスを入れることはない!」

 羽賀井安吾知事はそう高らかにのたまい、一週間後に迫った連休中の岡賀波県要塞化宣言を発した。

「わが県に足を踏み入れていいんですか?後で後悔しますよ?」


 数週間前、知事は、それと全然違うことを口走っていた。ウィルス休業で暇なら観光に来い、わが県に感染者はいないので安全だと。そんな知事は、所謂御神輿である。日頃は国政与党の県議、そしてその上にいる国会議員の言う通りに動き、ほぼオール与党の体制で大過なく道路をひいていた。それが、まるで自分が意思のある生き物だと確認するかのように、突然そんな寝言を垂れ流したのである。その次の日に県内初の感染者が確認され、トーンダウンしたのは笑いどころかも知れない。そして、他県の具合を見て、あのような宣言をするに至った。頭の悪さは笑えるかも知れない。とはいえ、県民にとってはなかなかの災難だろう。それはまた別のお話なので、ここで深入りするのはやめておく。


 さて、そんな知事の下でも、宣言の数日前から、準備は進んでいた。知事のあまりの勢いが、さすがにいきなりでは対応できないと止められたからである。そこで困ったのは、職員たちである。知事の簡単な要求を元にした部長級の走り書きを、具体的な対策として形にするのは、職員の仕事であった。その過程で職員たちは、法令を洗い直し、時に他の部署に問い合わせ、押しかけて言質を取る。対策そのものにも人手がいる。職員たちの濃厚接触は、この頃頂点に達した。もっとも、それは臨時に作られたウィルス対策室を中心にした話である。部署によっては、通常の業務が止まり、むしろ暇であった。


 観光客が大都市圏から入り込むのを避ける。来なければよかったと後悔させる。この方針には、観光関係の部署が懸念を示した。事態が治まった後に悪影響があるようなことをするな、と。だが知事は聞き入れなかった。何せ、県内最大のデパートの長男である。生まれる前から、自力で成すべきことは何もない。何分にも、裏口で入った全入私大を出て、卒業すれば取締役にといった調子である。羽賀井安吾は、他人の意見を聞き入れる習慣を得ないまま、けっこうな年齢になっていたのだ。いかにバカボンにしても、これほどまでというのはなかなかいない。だからこそ、かつて色々あって誰もがしりごみした知事の座に色気を見せてしまったとも言えるのだが。


 対策室では、よそ者への嫌がらせについて真剣に考えざるを得なかった。誰もがあほらしいと感じているのが、表情に出ていた。だが、やらないわけにも行かない。それが役人の仕事である。結局、検問と営業停止の合わせ技で行くという大枠が決まった。企画担当班は、その大枠を具体化する作業を強いられていた。

 検問は、すべての道路で行うことも考えられた。だが、県の人員ではさすがに無理である。担当職員の疲労もたまっている。そこで、確実にできることに絞って、高速道路の一箇所か二箇所で実施することでまとまりかけた。もっとも、そんなことで実効が上がるのかと問われたらどうするのかは、避けて通れない問題である。また、インターチェンジの出口で検問をすると、不要不急でない車まで待たせることになるという問題も指摘された。結局、ICよりはまだ余裕のあるサービスエリアかパーキングエリア一つを検問地点とする方針が固まった。

「ところで検問って、どういうことをするんですか?」

 若手の素朴な疑問に、一同に冷や汗を垂らさせた。そこまで考えている者がいなかったからだ。

「下手なことをしたら無権限とか違憲とかになりますよね。」

 落ち着いたそぶりで指摘する中堅にも、妙案があるわけではなかった。

「任意での協力を依頼する枠組みで行く。県内に行くなら…体温を測れ、とか。細かい案文は、後で分担を決めてから作ろう。」

 そんな感じで室長が、なんとか話をまとめた。


 次の問題は、営業停止だ。現状では、そんなことを命令できはしない。だが、要請はできる。そこで、観光客が集まりがちな業種を選び、大々的な要請をすることになった。それは、あくまで要請である。国からの交付金頼みの財政に、余裕はない。だから、休業させても補償はほとんどできない。形ばかりの協力金を各店に5万円出すくらいで誤魔化すとしても、県債を出すことになりそうな按配であった。そこで、検討中の補償とは切り離して、あくまで要請にとどめることになった。この点だけは、満場一致で大過なく決まった。問題は、業種である。大都市圏で営業停止が相次ぎ報道もされているパチンコ店を休ませよう、いやそれは観光客対策とはいえないといった意見の対立もあった。それらの対立は、最終的には、要請の範囲を広げることでまだ「検討中」の給付金が増えるという難点によって解消された。何といっても、田舎の県には金がないのだ。結局、温泉地と寿司屋が対象となりかけた。

「ちょっと待ってください。知事、寿司大好きですよね。」

 若手の一人が、その案に疑義を挟んだ。

「再検討しろって言われたらどうします?」

 一同の顔色が変わった。ありそうな話だからだ。そこで改めて浮かび上がってきた自粛候補は、農林水産系直売店である。これらには農協や漁協が関わりがちなので、役所からの話もやりやすい。

「それならおみやげ屋さんも閉めてもらうと、来づらくなっていいんじゃ。」

 別の職員は、「ゆりこ」と名づけられた外装が厚い饅頭を食べながら指摘した。同僚の東京土産である。土産向けなので中身の質はどうでもよいのだが、日持ちはする。それが、残っていたのだ。なるほど、土産を配れないというのは、しばしば冷たい目で見られる原因になる。そこを抑えればよいというのは、慧眼かも知れない。

 そんなこんなで、営業停止の対象案は、高速道路を含む主要道路沿いかその近くの農林水産直売店と土産品店に決まった。これに、温泉地は県外の客の宿泊を拒否せよとの要請が加わった。知事を納得させる説明と法令上の根拠は、後付でひり出された。

 室長は、黙って職員たちの話を聞き続け、最後に整理だけをしていた。職員たちは、そんな室長のいつもの仕事ぶりを見ているので、それなりに安心してはいた。しかしそれは、話が内輪で終わるならばの話である。様々な問題点を片付けて案を実施に移すとなれば、話は違う。それを見越してか、室長は、先の話を急いだ。確定した事実を作ってしまえば、問題があるとは言えなくなるからである。


 まずは、実施される対策が案の通りに決まることを前提に、必要な人手が計算されることになった。

 検問は、反発されたときの対処や家族連れの相手をスムーズにやれるよう1チーム3人で組み、5チームが3交代で動くとされた。これだけでも、1日あたり45人を要する。これに監督者と本部要員が加わる。本庁の職員の休日出勤でまかなえるかどうかは微妙である。現場が回らなくなってはいけないと考えた室長は、県職員の枠を25人とした。市町村からの応援には、あまり期待できない。内々の打診への回答には温度差がありすぎたのだ。高速道路の恩恵の多寡が、その直接の理由である。そこで、基本的には5人程度を見込むことにした。残りは派遣会社が頼りである。

 営業停止は、大した事業ではないとされた。休業の依頼は手分けして電話で行い、反応が悪い相手にのみ訪問するとし、管轄外の部署にも協力を仰げば、本部要員数人の他は十人程度の確保で足りるとされた。ただ、問い合わせや通報を受け付ける部門をどうするかは、決まらなかった。


 これらの検討が進んでいる間、知事は何も言わなかった。幸か不幸か、知事は己にとっての懸案だった青少年スマホ禁止条例にかかり切りだったからだ。だが、一部の反対を押し切った強行採決で片が付くと、知事は再び対策室に目を向けた。そして、わざわざ自分で乗り込んで来た。

「なんだこれは!俺に恥をかかせるのか?」

 案の骨子を一瞥した知事は、どなりつけた。

「インパクトがない。これじゃよそより目立たん。もういい自分でやる。ちょっと待ってろ。」

 知事は、対策室から踝を返して足早に去った。こうなると、知事部局の職員がなんとかすることだけが頼みである。対策室側は、無理な企画の調整をやらされる未来を既に見ているのだ。


 この頃、組合の幹部も対策室を尋ねた。既に噂が広がっていたからだ。急な動員で休日を潰すのはどういうことだと問い詰めるのは、確かに労働組合の仕事である。だが彼らも、室長の諦め顔を見ていろいろと察した。

「言いたいことはわかる。事が済んでからいろいろ追及するのは構わん。だが、その時のためにこそ公僕として非常事態に協力しておくといい、説得力が変わるんじゃないかね。」

 室長の提案には、幹部らも納得せざるを得なかった。

「まあ、うまくやれ。」

 室長は、辺りに聞こえるのも気にせず、はっきり言い放った。それは軽口かも知れない。その後の室長は、幹部たちを気にも留めず、部下に市町村との調整の具合を尋ねたりしていた。組合としても、とりあえず引き下がるより他なかった。一つの難敵が陥落した。


 数時間後に降りてきた知事案は、凄まじいものだった。検問地点は、高速道路の全PA・SAとする。休業要請は、直販店と土産品店の他に飲食店すべてに及ぶものとする。温泉地も、完全な営業休止の対象とする。人員の不足は、市町村からの応援と派遣で賄う。いずれも、とりあえず1週間だが、延長が前提である。

 対策室は、案を前提にして行動せざるを得なかった。室長は、知事から回ってきた紙切れを見て数秒考え、選びながら言葉を発した。やるべきことを確定させるためである。

「休業要請をやるからには通報も受け付けることになるな。」

「窓口はどうしましょう。委託でもしますか?」

「せざるを得んだろうな。予算をどうするかもある、知事に確認しておく。」

「市町村からどれだけ人を出してもらえるか…」

「手分けして電話だ。君、分担表を作ってくれ。5人で、だな。」

「室長、分担、だけですか?」

「それでいい。時間がない、早く手をつけたい。」

「どこまで話せますか?」

「守秘してもらうのを前提に大枠まで。その先が必要なら私が代わる。」

「それで足りますかね。その他の人手はどうします?」

「そこについては、あの派遣会社にも内々の話はしておく。市町村も大変な時期だ、そうしないと無理だ。」

「この規模だとまた二重派遣が出るんじゃ…」

「構わん、労働はうちの管轄じゃない。」

 こんな次第で、政府に食い込んでいるあの派遣会社は、労せずして荒稼ぎを重ねることになる。だが職員たちには、その是非を考える余裕もなかった。とりあえずの計画を確実なものにするだけでも、大仕事なのだから。そして室長も、気が進むからそうしているわけでもなかった。政府系の会社を通せば信用した者の責任が問われることがないからそうせざるを得ないというだけだったのだ。


 検問の5チーム構成は原案通りながら、2交代・12箇所ということになっていた。知事案で24時間体制を組むと必要な人手が多過ぎるので、知事が妥協したのである。それでも1日あたり360人である。県職員を増やし市町村を締め上げても、問題なく確保できそうな数は100人に届くかどうかである。休業要請の実施状況を調査する部隊を確保せねばならないことも、ここにばかり人手を割けない理由の一つである。室長は、未確定でも話をしておくべきだと判断し、派遣会社に電話していた。

「うーん……その条件では、弊社では難しいかと……」

 そう言われて渋い顔の室長が電話で話す相手は、担当者から支店長に代わった。

「弊社では短期集中の派遣に即応できる人材をあまり確保しておりません。都度募集するのが基本です。そういうのが得意な他社さんとは違います。ただ…人数だけなら集められる会社には、仕切る力がございません。」

 遠回しな言い方だが、室長はその意味を理解していた。

「どうしろと?」

「一部だけでも弊社の受託事業としていただければ。これなら二重派遣の問題も御座いません。通勤手段の問題も、弊社がまとめることでなんとかなりますし。」

 またあの会社が儲けるのかと、室長は苦虫を噛み潰した。だが、背に腹は代えられない。

「わかりました、その線で行きましょう。こちらの手続もありますので、そうですね…明後日にはきっちりお話できます、申し訳ありませんがお待ち下さい。」

 室長は内心を見せない空虚な表情で受話器を置いた。あの派遣会社は、営業停止関係のコールセンターとセットで、まとまった仕事を手に入れたのである。色々やるので中抜き額も増える。つくづく、焼け太りするのは悪党だけである。


 支店長はといえば、日雇い派遣に人員の確保を頼むことと、送迎バスの手配をすぐさま考えた。そして、あくまで内々の話として、懇意の取引先と話をした。丁度、ウィルスのお陰でどこも仕事が減っている。だから、相手先にとっても、この話は歓迎すべきものだった。集合時間を考えると、バスは前夜に出るしかなく、拘束時間が延びる。しかも、人員の調達は県外にも頼らざるを得ないので、距離の分の稼ぎも増える。バス会社にとっても、悪い話ではないのである。運転手さえ確保できればの話だが。


 とにかくやるというのが、この県土要塞化計画の基本方針である。だから、予算を心配する必要はなかった。対策室は、何度も問い合わせることで、知事権限を事後承諾で委ねる確約を得るに至っていた。知事は、細かい話をする能力を持っていなかったのだ。もっとも、わけのわからない筋で責任を問われかねない室長は、それなりに慎重だった。県民にとっては、この点だけが救いだったのかも知れない。

 そんなこんなで、知事の指示を実現するための対策室長の判断は肯認され、事業の詳細が固まった。市町村からの応援も強制できた。派遣会社は、大喜びで手筈を整えた。後は当日を待つだけの準備は、整った。


 さて、知事の記者会見の続きに話を戻そう。

「他県の皆さんがわが県に足を踏み入れる理由は、ありません。」

 羽賀井安吾知事は、そう言い切って、対策案を誇らしく示し、説明した。さすが商売人だけあって、作り笑顔は爽やかである。しかも、何分にも僻地の、それも記者クラブ相手のお話である。そもそも県紙からして、知事一族が大株主である。そんなところで、厳しい突っ込みなどあろうはずもない。

「知事、大胆なご決断ですが、効果はいかほど期待されるでしょうか。」

 提灯持ちは、知事にもう一声の宣伝をさせようと、質問のふりをして促した。

「世界は動く!わが県を真似てください。いえ、そうするしかありません。全都道府県が同じようにすれば、ウィルスなど恐るるに足りません!」

 知事は、吠えた。そんな会見は、批判的な指摘なしにどんどん報道された。


 ネットに出回ったのは、能天気な賛辞ばかりではない。皮肉めいたものもそれなりに見られた。だが、それらは、マスメディアに黙殺された。


つづく

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