☆1点☆

父が倒れた。

本当はこのタイミングで選挙の後半戦の話をする予定でいた。しかし、父が倒れたこの事実を記載せず、過去の話を進めるは如何なものかと思った訳である。


実は父が最初に倒れたのは数年前のことである。その時私は上海に後輩2人と旅行中であった。私が空港から両親に日本を今から離れることを伝えた時、すでに父は体調が良くなかったようだが、両親ともに通常の体調不良と認識していた上に、「これから旅行に行く娘に心配をかけるのは悪い、旅行を楽しめなかったら悪い。」という母なりの幾ばくかの配慮により、私は父の体調が悪いことを知らずに日本を発ったのである。その日の夜、父が救急車で運ばれ、意識不明の重体になったようだが、母なりの配慮?により、私のもとに連絡は来ず、主治医の先生に「娘が上海に行っていて数日後に戻ってくるので、そこまではなんとか持たせてください。」と言ったらしい。(娘は私だけではないし、私への配慮より病院に迷惑かけずに配慮してもらいたいのだが・・・。)

帰国の日、私は飛行機の遅延により夜中に日本に戻った。携帯の電池を入れると大量の着信履歴が残っており、折り返すと父が倒れた事実を知ることになる。私が戻った際にはそれなりに持ちこたえ、回復の傾向にあった。私はその週の土日にお見舞いに行ったが、姉2人はお見舞いになかなか来ず、母はそのことに対し「冷たい。」と文句言っていた。(こんな時だけ優しくしろとはなかなか都合の良い話だ・・。)


今回は少し前に一度救急車で病院に運ばれており、手術までしている。そのまま入院をして次の手術に備える予定だったが、父は病院で大暴れをした。詳細は恥ずかしすぎて記載できないのだが、子供の贔屓目に見てもなかなかひどい。大暴れの結果、父は次の手術まで一度実家に帰ることとなった。(周りに迷惑をかけないでほしい。)

さらには、次の手術に関して、何度も手術を重ねている父の身体では麻酔が耐えられないかもしれないリスクがあるという話だった。リスクを軽減するために、病院側から大学病院を勧められたが、「遠いところで1人なんて耐えられない!」という父の我儘からリスクをとって近くの病院で手術をすることとなった。父はもう人生に満足しているのか、命よりも寂しいことの優先度が高いようで、自分の出した決断に満足していた。母もその決断に関して「何かあっても、私を責めないでほしい。」と自分のことばかりだった。


そんな我儘な決断をした結果が今回の救急車騒ぎである。大人しく病院にお世話になっていれば、再度救急車を呼ぶことはなかったし、命をさらに危険に晒すことはなかった。好き勝手やりすぎている。


次女が以前倒れた時に「あの人(父)は図太いから長生きするよ。」と言っていたが、本当に神経が図太い。図太い分には結構だが、周りに迷惑をかけることなく、また私たちの人生の邪魔をすることなく、決断を1つ1つして欲しいものだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る