【1回裏】2球目

私が不二家に産声をあげた時、父がすでに政に精を出していたという話は以前したと思う。私が保育園年長の時、父は政を継続するため、彼の人生の中で何度目かの出馬をした。家の隣に事務所を構え、選挙期間は人の出入りが絶えなかった。姉2人も応援に駆けつけるために帰省をしていたし、父方の長女である伯母も手伝いに来ていた。母は極力私の面倒を見ようとしていたが、遊説で選挙カーに乗るのが日常だったので、私の保育園の送り迎えは菜子もしくは伯母がしていた。菜子が迎えに来た時、菜子が私の名前を名乗らなくても、保育園の先生は私のお迎えだとわかるくらい顔がそっくりだった。実際に顔が似ていたのも事実だが、当時の私は菜子のモノマネばかりしていた。例えば、菜子がパーマをかけた美容院で私もパーマをかけたいとわがままを言い、父のヨーロッパ出張で菜子がバーバリーのマフラーをお土産にお願いしたと知った私は勝手に国際電話をかけてバーバリーのマフラーを自分の分も買ってくるように父に依頼をかけるような幼稚園児だった。結果として、パーマをかけ、バーバリーのマフラーをして登園するかなりズレた園児だった。


選挙期間の話に戻ろう。選挙期間、私は家にいると邪魔だったこともあり、家の目の前のアパートの一室を借りて、その部屋に帰っていた。母が迎えにくるまで伯母が面倒をみているか、もしくは菜子がいる時は家に帰って一緒にお風呂に入っていた。


その時期、私は一般的に親に関心を持って欲しい年齢だったこともあり、両親が選挙に夢中だったことに無意識にストレスが溜まっていた。結果として、アパートで面倒を見ていた伯母に対して自分に関心がくるようにわざと怒られることをやっていた記憶がある。また、演説中の両親を横目で見て大人しく待っていることができず、姉2人に駄菓子屋でお菓子を買うようにせがみ、2人から「普通の子供はお菓子なんかなくても大人しくできるのに、本当にダメだね。」と言われて腹が立ったと同時に落ち込んだ記憶がある。


とどめは、母が選挙のことに頭がいっぱいで私の保育園のお弁当に箸を忘れたことである。箸がないことに気づいた瞬間、保育園で泣き喚いたのである。当然家での出来事を知らない保母さんは私が箸がないことで泣いたと思ったので、箸がないことが何が悲しいのかわからないという顔をしていた。当時の私としても何が悲しいのかわからなかったが、両親の関心を向けられなかったことに対して非常に寂しさを覚え、我慢していたことが爆発したのであろう。


続きは、選挙の後半戦と不二家のその後の話でもしようか。

ただ最近の日常が非常に忙しいため、いつ盗塁されてもおかしくない状態である。

読者の皆様には、続きを気長に待って頂きたい次第である。

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