植物汚染対策と仕打ちの意味
先週と同じファミレスへ向かい、先週と同じ窓際の席についてドリンクバーだけ注文する。田舎のファミレスなんてお盆と正月と大型連休以外は閑古鳥が鳴いているから、席は選びたい放題なのだ。黒変した大根とただれた柿が脳裏に住み着いていて、どうにも気分が悪い。帰りの車中で色々考えてみたが、俺には納得できるような原因は考えつかなかった。ウイルスのような病原微生物の仕業かと思ったが、あんな症状を引き起こす微生物の存在など聞いたことがない。それにあの黒い靄はなんだったのか。俺の見間違いなのか。アイスコーヒーを飲みながら黙ってそんなことを考えていると、向かいでノートパソコンをいじっていたSが言ってきた。
「あの変質したり枯れたりした植物から、病原性のウイルスや微生物は検出されませんでした。ちなみに我々はあの現象を植物汚染と呼んでいます」
勝手に思考を読まれたようでなんとなく腹が立った俺は、あてつけるようにこう言った。
「その検査結果は信用できるのか?」
「この国で最も技術レベルが高い研究機関が出した答えですけどね」
パソコンから顔を上げずに答えるS。それがどこの研究機関をさすのかわからないが、それ以上にわからないことがある。なぜこいつがこの件に関わっているのか。これがお前の仕事なのかと問いただすと、Sはつまらなそうに言った。
「これでも公僕ですからね」
そこにはなんの矜持も感じ取れなかった。そもそも俺はこいつが公務員だということを初めて知ったし、驚くほどに不似合いであった。Sが言うには、こいつは普通の公務員ではなく特殊な部署に属しているらしい。
「お前に似合わず随分と真面目に仕事をしているんだな」
嫌味たっぷりに言ってやったが、Sにあっさりと無視された。俺はそろそろ本題に入ることにした。
「それで、なぜ俺にあんなものを見せた。俺があの村の出身だからか」
Sは鼻で笑いながら答える。
「あんな偏屈でなんの取り柄もない廃村がどうなろうと、私には興味ありません。しかしあの植物汚染を放置しておくと、私やあなたの生活圏まで被害が広がる恐れがありましてね。それはあなたも困るでしょう」
俺の質問に対する回答になっていない。もっともこいつに、まともに質問に答えるということを期待しても仕方がないのだが。そういえば、こいつは三カ月くらい前にあの現象が発見されたと言っていた。もう結構広がっているのかもしれない。
「現在その汚染はどれくらい拡散しているんだ?」
「今のところ、幸いなことにあの村の外で報告はありません。しかし今日見てもらった畑の他にも、あの村でそのような事象は多数確認されています」
Sは人工的な緑色のメロンソーダを美味そうに飲みながら話を続ける。
「この植物汚染の原因はわかっていません。先ほども言った通り、病原性微生物の類は検出されませんでした。またおかしな化学物質なども検出されていません。採取した汚染植物を用いた実験では、この汚染は他の植物に伝染しないことが確認されています。しかしあの村では、植物を枯らしたり変質させるこの現象が確かに伝染しているのです」
Sはようやく本題といった風情で楽しそうに話す。こいつの言っていることが確かであれば、この異常現象は試験管の中では伝染しないが、あの村では伝染して拡散していくということになる。普通に考えればそんなことは起こりえないはずだ。しかしさっきあの畑で見たものを、奇形した大根からあの女の子に伝わっていった黒い靄のようなものを、普通の範囲で考えてはいけないような気がする。俺は黙って話の続きを待った。Sはそんな俺の様子を面白そうに眺めながら話を続ける。
「この汚染は大きく二つに分けることができます。一つは大根や柿のように変質してしまうこと。もう一つはキャベツや雑草のように枯れてしまうこと。変質が先に発生して、それから周囲の植物が枯れていくようですね。変質がどこからやってくるのかわかりませんけど」
「変質した植物が周囲から養分を奪っているような構図だな。だったらその変質した植物を集めて焼却すればいいんじゃないのか」
「それはすでに実行しました。しかし変質した植物を回収すると、その植物が生息していた場所に新たな変質が生じます。しかも変質の量が増えてしまう。変質した植物を回収しようとするとその変質の原因が土壌に移ってしまい、新たな植物を変質させているようです」
俺はさっきあの村の畑でこいつと大根を見たときのことを思い出した。黒変が確認できる程度に少しだけ大根を掘り起こし、それからすぐに地中に戻していたのはそのためだったのか。
「つまり変質した植物たちが根を下ろしているそのままの状況で駆逐しなければならないということか。化学薬品で駆除すればいいじゃないか」
俺は思いつくままに口にしてみる。
「一般的な薬剤では歯が立たないのです。研究者の話では、変質した植物が薬剤を分解してしまうようですね。一応兵糧攻めも考えましたが、奴らは苦しくなると変質を拡散させる傾向があるので、これは避けたいところです」
何が楽しいのか嬉々として話し続けるS。こいつはあの村の困難を至上の喜びのように感じているらしい。しかし薬剤耐性まで持ち合わせているとは厄介な変質だ。兵糧攻めが拡散につながるとなると、もはや打つ手はないのではないか。
「それで研究を進めるうちに、ある化合物が特効薬の候補に上がりました。ISSK192と呼ばれるこの薬剤であれば、変質した植物を機能不全に陥れて枯らすことができます」
それならさっさとその薬剤を使用すればいい。こんな回りくどいことを俺に話している時点で、そのISSK192という化合物には何か問題があるのだろう。俺はSに話の先を促す。
「ISSK192の難点はいくつかあります。まずは分解されにくいこと。数年は土壌に残るでしょう。当然ですが変質した植物だけを枯らすわけではなく、この薬剤は極めて広範の植物に作用します」
「つまりその薬剤を散布したエリアは植物が枯れて、しばらくは再生されなくなるわけだな。でもその化合物が雨水や地下水に混ざって、周辺地域へ分散していくんじゃないのか?」
「薬剤による土壌汚染についてはシミュレーションしてあります。難しい計算結果は割愛しますが、現在予定している範囲で散布する分には問題ないでしょう。最先端のナノテクノロジーを導入しましたので。ただしあの村の薬剤散布エリアとその周辺では、しばらく植物が育たなくなりますね」
こいつはISSK192を使用することにより、あの村の植物を変性の有無にかかわらず枯らして、しばらくは植物が育たない状況を作ることを想定しているようだ。さっきこいつは変質が多数確認されていると言っていたから、対象エリアは広範になるのだろう。こいつはあの村をよく思っていない。こいつの性格からすればなんの躊躇もなく実行に移すだろう。
「あなたにこの話をしたのは、僕があの村へ行う仕打ちの意味を知ってほしい、そう思ったからです。あの腐った廃村に裁きを加えるわけですから、面白くないはずがないでしょう。そういえばまた来週あの村へ行く予定ですが、あなたも同行しますか。珍しいものを見ることができますよ」
含みを持たせるような言い方をしてくれる。俺は気になっていることを確認することにした。
「あの女の子、奇形した大根の菜のところを触っていたけど大丈夫なのか?」
さすがに黒い靄のことは聞けなかった。俺の見間違いかもしれないから。
「それに関することですよ、珍しいものというのは」
Sは含みのある笑みを浮かべたまま、うまそうにメロンソーダを飲んでいる。こいつは今ここでこれ以上話すつもりはないようだ。俺は大きくため息をついた。
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