変質した植物と女の子
一週間ほど前に突然Sが俺の自宅にやってきた。Sとは高校卒業以来ほとんど会っていなかった。高校卒業後に別々の大学へ進学して、それ以来疎遠になっていたのだ。広く言えば悪友となるのだろうが、特別な武勇伝などない。俺は凡庸な学校生活を送っていたし、Sはその内面に反して紙面上は優等生であった。
Sは、あの村でとんでもない事態が起きているの知ってますか、と何が嬉しいのかわからないが、ともかく嬉しそうに聞いてきた。俺はこいつが何を言っているのか即座に理解できなかったが、詳しく聞くとどうやら俺たちが小中学校の時間を過ごしたあの村で異常現象が起きているらしい。このままでは全ての植物が死滅するとか。そもそも全ての植物が死滅するなんてありえないだろう。むしろこいつが毒薬を撒き散らしていると言われた方が納得できる。こいつ特有の誇張表現だろうと思って適当に流して話を聞いていたが、あまりにもしつこいのでファミレスへ場所を移して要件を聞くことにした。
Sが言うところによると、俺たちが育ったあの田舎村で三ヶ月ほど前から突然植物が枯れたり奇形が生じたりし始めたらしい。中学卒業と同時に引っ越して以来あの村には関わっていないし、当時の同級生とはそれほど仲も良くないので、俺はあの村のことなんて完全に忘れてしまっていた。
「百聞は一見にしかず。来週の土曜日に現地視察しましょう。迎えにきますよ」
そういって俺の意向も聞かずに勝手に予定を決めて、Sはさっさと帰っていった。土曜日なら仕事は休みだし、こいつの戯言に付き合ってやるか。あの村に積極的に赴きたいとは思わないが、本当に全ての植物が死滅するなんてことがあるなら、それは見てみたい気もした。
目の前に広がる光景は確かに異様なものだった。実りの秋、暖かい日差しと乾いた秋風に包まれた芳醇の大地であるはずの場所は、一言で言えば寂れていた。手入れがされていないわけではない。きっときちんと世話をしていたのだろうと思わせる畑である。しかしキャベツと思われるものは、異常なまでに枯れ果てていた。こんなキャベツは見たことがない。痛んでいるとか変色しているのではなく、枯れきって大きな枯葉の集積体のようなものを形成している。Sはその辺に放置してあった真新しいスコップで、菜の部分に奇形が生じている大根らしきものを少しだけ掘り起こした。Sのそばに寄って覗き込むと、土の中から顔を出した大根の形をした何かは、腐ったように黒変していた。異臭が漂ってこないことが不思議なくらいだった。その異様な光景に俺は思わず後ずさってしまう。地上に出ていた菜の部分は膨張して腫れ上がっていて、樹液のようなものがところどころにこびりついている。気持ち悪くなって周囲に目を移すと、辺りに生えている雑草は不自然に枯れていた。すでに枯れきっているものから、今まさに枯れている最中のものまで多種多様である。Sは黒変した大根の頭部に土をかぶせて埋めなおしてから、スコップを放り投げてこう言った。
「どうやら植物が枯れてしまうこの現象は、まるでシミが広がるみたいにじわじわと変質の中心部から周囲へ広がっていくようですね。一度侵されると死滅するしかないようです」
「その前に、その黒変した大根はどう説明するんだ」
あの大根の変わり果てた姿は、枯れるとか枯れないという次元の問題ではない。そんな俺の問いかけにSはニヤニヤしながら答えた。
「驚くのはまだ早いですよ。後ろの柿の木をみてください」
言われて俺は後ろに振り向いた。そこには確かに柿の木があった。その柿の木は実をつけていた。その実の表面は、嚢胞のようなもので覆われていた。それは皮膚が腐ってただれ落ちる病を連想させる。こんなものが木にぶら下がっていてよいはずがない。この場所は植物の地獄だった。そんな地獄のような畑の中で、みずみずしい本来の姿の大根とキャベツがいくつかあった。周りを変質と枯燥が支配しているせいで、これらの正常な大根とキャベツは神々しくもあった。これらの作物は偶然汚染を逃れたのだろうか。
「あれ、お兄ちゃんまたきてたの?」
この場にそぐわない幼い声に驚くと、家の小道の方から小さな女の子がやってきた。この家の子だろうか。その子はSの方を見ているので、お兄ちゃんとはSのことだろう。Sは苦虫を噛み潰したような顔をして無視を決め込んでいる。その女の子はSの側までやってきて、
「またこれを見てるの?」
と言ってしゃがみこみ、腐ったように黒変した大根の葉の部分をやさしく撫でた。その時、俺は信じられないものを見てしまった。奇形した大根から女の子へ何かが流れ込んだように見えたのだ。黒い靄のような霧のようなものが。あえて表現すれば、それは汚れのようでもあり怨念のようでもあった。
「触るなと言っただろう、くそガキがっ。さっさと家に戻ってろ」
突然Sが癇癪を起こしたかのように怒鳴り散した。その女の子は思いっきり歯を食いしばりSに反抗するような表情を見せて、それから俺に対して丁寧にお辞儀をして家の方へ戻っていった。なんだ、今のSの反応は。何がこいつの逆鱗に触れたんだ。
「そんなに怒らなくてもいいだろう。あの子はお前の知り合いなのか?」
事の顛末についていけずにSに尋ねる。
「あんなクソガキは知りませんよ」
Sは素っ気ない感じで言った。それにしても、あの大根から女の子へ流れ込んだものは一体なんだったのだろう。それにあの時のSの反応はなんだ。あいつがあんなに感情を表に出すことなど、俺は今まで見たことがなかった。
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