第12話*ファイヤーボールと怪しい気配

「それはまことか?」


 そう問いかけたのは歳の頃は14、5歳くらいのその年齢にしては長身の少女。

 問われたのは頭頂部が少々寂しくなってきている、ひょろ長い体形をした初老を過ぎた強面の男性である。少女は淡い青の豪奢なドレスを身にまとい、かたわらには侍女が寄り添い、いかにも裕福で高い地位の親を持つ子女であることがうかがわれる。

 対する男性はと言えば、その少女より頭二つ分は背が高く、貫頭衣トゥニカに左腕を露出させた上着トガを着装している。その衣装は世間一般的にはすでに古風なものなのだが、これこそローマ帝国の公職についている者のあかしとなる。トガと呼ばれる一枚布の上着は、衣の色や縁飾りによってその者の地位をある程度判断することも可能だ。この男性のトガは白地に赤紫の縁取りがされていることから少なくとも貴族パトリキの一員であることは間違いないところだろう。


「はい、メサリアに放っております配下の者のげんなれば、間違いはございませぬ」


「そうか! そうであるのならぜひこの目で見てみたいものだ。…………ねぇ、じい。なんとかならないの? 私、すっごく退屈なの。その話がほんとうなら私の退屈な時間が随分解消されるとは思わない?」


 自信たっぷりにそう告げた男の言葉に、嬉々とした反応を見せる少女。


「ラヴィーニア様。お言葉がくずれております。そのようなことでは御父上の顔に泥を塗りますぞ。お気をつけくださいますよう」


「えー、ここにはじいとイオアナしかいないわ。だからお父様にはばれない、問題ない! で、どうなの実際のところ?」


 今いるのは少女の住まう邸宅にある、大きな庭園内に配された東屋である。

 じいと呼ばれた初老の男性はやれやれといった表情を見せ、軽くため息をついてから述べた。


「仕方ありませんな。属州総督バルブラ様の側近コミテスたるこのコッスス。コルネリウス氏族の名に懸けてラヴィ―ニア様の願い、しかと聞き届けて見せましょうぞ」


 少女に苦言を連ねるかと思いきや、あっさりとその願いを聞き届けるようである。なんという甘やかし。どうやらこの強面の初老の男は、幼いころから成長を見てきた、この愛くるしく美しい娘には相当甘いようである。


「ほんと? うれしい! さすが、じい。お父様が一番頼りにしているだけあるのだわ! ああ、楽しみ。12の歳でいくつもの魔法を使い、何よりこのアトランティスで最高の治癒術士、エクストレーマたるデリア様のお弟子でもあるのでしょう? 一体どんな子なのかしら? 置き引き犯を懲らしめたとも聞いたわ? じい、なるべく早く連れてきてね? お願いよ」


 その少女、ラヴィ―ニアがコッススと名乗った男性の手を取り、碧眼の目を輝かせ、体を弾ませながら嬉しそうにそう伝えれば、ヘアーバンドと三つ編みの組み合わせで、ハーフアップに整えられたプラチナブロンドの豊かな髪が日の光を受け、煌びやかな輝きを見せる。


 ラヴィーニア・アエミリウス・バルブラ。


 この少女はローマ帝国属州であるアトランティス群島の『属州総督』ラヴィニウス・アエミリウス・バルブラの一人娘である。


 側近コミテスたる初老の男、コッススは、そんな少女の瑞々しさと大人の女性の色香を併せ持つ、移ろいゆく中ゆえの美しさを持つ少女を見て、いかつい顔の目を細め、その目尻を下げるしかないのだった。






「出でよ炎、纏まって……滞空!――、エカペーロ^フラーモ=クンメーツ^フルーゴッ!」


 もらったばかりのワンドを自分の眼前に勢いよく突き出し、詠唱を唱えたファナ。詠唱にも無駄に力が入り、やる気がみなぎっているようで、ファナの中の厨二病、亨もテンションアゲアゲである。


 ワンドの先端のピオニーが鈍い輝きを帯び、何もなかった空間に一瞬で炎の球体ともいうべきものが現れた。

 掛け値なし。本当に一瞬の出来事である。

 大きさはファナの頭くらい。高さはワンドで指し示した辺りだ。温度の高い炎は赤というよりは白っぽい黄色。相当な高温であることがうかがえる。

 ファナが出す魔力に誘われたのか、周囲には精霊の気配が溢れ、妖精たちが嬉しそうに飛び交いだしていた。人の多い町と違い、キャンプ地は大自然の恩恵たる霊気にあふれていて、そのような存在もそれこそ数知れずある。


「おおっ! こりゃすげえな。今までとは比べ物にならないくらい早いな! ふらつきもないし、何よりすごく安定してるように見えるな」

「本当ね。これ、周りで見てるほうも安心感あるよ。……その、こう言ってはなんだけど、今まではちょっと、時々大丈夫かなーって思う時あったからね」


 ファナの起こした炎の魔法を見てそう評するのは、クリストバルとアレクシア。

 手に入れたばかりのワンドを使いたくてうずうずしていたファナが、河原に試し撃ちに行こうとしたところ、クリストバルとアレクシアが目ざとく見つけ、当然のように付いてきた二人である。


「やばいこれー! すっごく使いやすい。なにより楽! 体から魔力が『ぐわっ』と抜き出される感覚がほとんどなくなった感じ!」


 両手でワンドを握りしめ、その場で飛び跳ねながら興奮気味に二人に伝えるファナ。


「そうかそうか、わかったから落ち着けファナ。俺にはよくわからんが『ぐわっ』と抜かれてたのか? 今までは。お前それ、魔力運用が下手くそだったのと違うのか?」


 にやけながらそう言って、興奮するファナをからかうクリストバル。


「クリス、そんな意地悪な言い方しないの! ファナはまだ12歳なんだから、そんな細かい扱いより、まずは魔気力マギアエーブラの強度上げと魔気容量マギアカパシートの拡大が優先なのよ。ほんと意地悪なお兄さんで困っちゃうよねー、ファナちゃん」


 そう言いながらファナを引き寄せ抱きしめるアレクシア。ファナの頬にアレクシアの大きくて柔らかい、男の夢が詰まったものが惜しげもなく押し付けられ、ファナの中の亨的には大変喜ばしいものであろうが、最終的にはやはりちょっと暑苦しいと思うファナ。その心は複雑である。


「レクシー、く、くるしー」

「あ、ごめんねー」


 ちょっと残念な表情を浮かべつつファナを解放するアレクシア。そのふくよかな胸はキャンプの男たちの夢を乗せ、今日もファナだけに解放されている。

 そんな馬鹿をやっている最中、先ほどの炎の球体は今だ現れた場所に存在し続けていた。


「魔気容量拡大って言うけどさ、ファナはピオニー赤紫の色持ちなんだし。今でも馬鹿みたいにでかい魔気容量もってるだろうによ……。つうかこれ、マジすごくないか? 今までだったらこうやって維持するには、追加の詠唱いれてたよな?」


「そういえばそうかしら? ファナ、これはどういうこと?」


 二人の問いにファナの可愛らしい鼻が伸びたように見える。――まぁ、そんな訳はないのであるが。


「ふっふーん、もち、ろん、私の魔気力マギアエーブラが十分その炎に満ちてるからに決まってる! デリア様からいただいたワンド……、ほんとすごい。私と相性もばっちり。これ使えば一瞬で魔力を引き出せるし、強度も調整楽ちんだし……、もう最高!」


 ファナは色違いの目ヘテロクロミアをキラキラさせ、ワンドと炎の球体を交互に見つめる。そしてふと思った。これ、亨知識的には飛ばせばファイヤーボールそのものじゃない? と。


 ということで、ファイヤーボールを試してみようと考えたファナ。それにもデリア様からいただいたこのワンドが大変役に立ちそうで思わずにやけてしまう。


「えーっと、まずはこれ消しとこうっ」

「解呪――、ソールヴォ」


 詠唱と共に浮かんでいた炎の球体が空間に滲むように消えていった。

 それすらも魔法が使えないクリストバルとアレクシアには新鮮なのか、楽しそうである。


「それで、ファイヤーボールの魔法になる詠唱をワンドに覚えてもらう……っと。む~~」


「なんだなんだ? 何をやらかすつもりなんだ?」

「ちょっとファナ? 危ないことはしちゃだめなんだからね?」


 何やらごそごそしだしたファナに、興味津々な面持ちのクリストバルと、微妙に不安気な様子のアレクシア。何をやらかすかわからないファナは基本的に信用度が低いのである。


「…………、…………、…………、…………」


 何とも適当に思える詠唱をワンドに向かい、周りにも聞こえないほどの小声でブツブツと唱えているファナ。もうクリストバル達には何を言っているかさっぱりわからない。

 

 今更であるが、詠唱の言葉は詠唱者の気分でいくらでも変えられる。大事なのは自分がどうしたいのかをしっかり認識し、魔力をそれに沿うように運用することである。ただし、当然、何でも良いというわけでもなく、選んだ言葉によって発現する魔法のクオリティが左右されるのは当然のことである。そのあたりのノウハウを得ることがこの世界の魔法術士には重要なことなのである。


「…………、…………、ファイヤーボール」


 最後の一言をワンドに唱え終われば、ファナが満面の笑顔でクリストバル達を見て言う。


「出来ちゃった! 私の最初の攻撃用魔法? 二人ともちょっと見ててー」


 この世界にも当然攻撃を主にした魔法はあるのだろうけれど、子供であるファナは当然そんなものは教わっていない。ないなら作ってみたくなるのも亨の心が成せるわざか。


 少し離れた川面かわもに向かい、左手のワンドを差し向けるファナ。右手は腰にあて、カッコを付けている。そんな様子も可愛らしく、見ている二人はクスリと笑うがファナ本人は至って真面目にかっこいいと思っている。


「ファイヤーボール!」


 可愛い声でそんな言葉をいきなり発したファナ。あまり聞きなれない言葉に戸惑う二人。ファナは、思いっきり亨知識のカタカナ英語を使っているのだが全く気付いていない。こんなことからも詠唱の言葉としての在り方は重要でないことが見て取れる。


 ともあれ、先ほどと炎の球体よりも小さい、オレンジほどのサイズの球体がワンドの先に現出したかと思えば、で川に向かって動き出した。


「あっるぇ~?」


 遅い。まったくもって遅い。ファナのイメージは『しゅびーん』っとすごい勢いで飛んでいく感じである。これでは対象に向けて撃ったとしても余裕で避けられてしまうことだろう。


「くくっ、なんだそれ? やってることはすごいと思うけど、随分かわいらしいな、おい」

「ちょっとクリス、笑っちゃだめよ。ファナちゃん、頑張って魔法を放ったんだからね」

「くぅ~」


 そんなやりとりをしていたら離れた水面からいきなりすさまじく騒々しい音が鳴り響いた。例えるなら灼熱の鉄板に水がかかった音。それが一斉にいくつも鳴り渡った感じであろうか?


 要は炎の球体が水面と接触し、その高熱で球体周りの水が一瞬にして大量に蒸発した音だ。


「うおっ! な、なんだ?」

「……か、川に落ちちゃったみたい……ね? 驚いた……」

「落ちたんじゃないし、水面に向けて放ったんだし~!」


 ファナの顔はそれはもう、これ以上は無いというほどのふくれっ面である。

 川面を見れば、今はもう何事もなかったかのようにさらさらと水が流れゆき、何事もなかったかの様相を見せている。


「くぅ~、最初だし、一応成功したしっ! 今度はもっとちゃんとやるもんねっ」

「ハイハイ、わかったわかった。いや実際すごいだろ今の。いつもの長ったらしい詠唱も無かったし、ちょっとぶつくさ言ってただけだよな? やるなファナ」


 これ以上拗ねられたらまずいと感じた、クリストバル。ファナの頭をぽんぽん叩きながら今度は褒めたおしにかかった。


「ほんと、すごいわ、ファナちゃん。それもやっぱり、いただいたワンドによるものなのかな? でも早速使いこなせてるファナちゃん、すごいわ」


 アレクシアはいつも通りの甘やかしで平常運転である。


「ふふん、そう、私はすごい!」


 一気にご機嫌になるファナ。中の人は一体いくつなのであろうか?

 そんなこんなもありつつも、三人は和気あいあいとした雰囲気でキャンプ地に戻ることとなったが、ファナはしっかり改良して、リベンジしてやると心に誓ってから、その場を後にした。




「おい、あれなんだ?」


 クリストバルが指さすのはファナたちエレーラ採掘団のメインテント。日々の採掘団の事務や雑事をこなすための仕事場であり、ファナの家でもある、大きなテントだ。

 今そこに、亨の記憶ですら感心するような、見たこともない2頭立ての派手な馬車クーペが止まっており、周囲にはそれを守るように数頭の騎馬もいた。


 ファナはそれを見て、良きにしろ、悪きにしろ……、心がざわつくことが抑えられないでいるのだった。

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