第8話*メサリアの町へ

「おい、ファナ、前見てみろ」


 クリストバルがファナの頭にポンと手を乗せ、そう告げた。

 その言葉に、彼の胸に背中を預けうなだれていたファナが、顔をゆるりとあげる。


 とたん、ファナの目に飛び込んでくる鮮烈な青。

 果てなどないかのように広がる水平線と、どこまでも高く突き抜けていく限りない空。


 ファナの眼前に、日の光を受けキラキラときらめく、青く澄み渡る海が広がっていた――。


 それは空の青と海の青が境界などないかのように交わり、まるで自分が青の世界に包まれたのではないかと錯覚を覚えるほど……の、強烈な印象をファナに与えてくる。


 荷馬車が進んでいた山間やまあいの道は、いつしか大きくカーブした高く切り立った崖沿いの道に差し掛かっていた。山にさえぎられ閉ざされた視界から、大きく開けた視界を妨げるものが何もない場所への変化。加えて眼下の景色を見下ろせるその高さもあり、そこは少しの間だけ、その絶景を眺めることが出来るアトランティス島でも有数のビューポイントなのだった。


「……、きれぃ……」


 その圧倒的な美しさを前に、そう言葉を絞り出すのが精いっぱいのファナ。


 綺麗なものの単調に続く山の景色と、馬のたてがみばかりを見ていたファナには、それはもう感動的で魅力的に映った。ファナの中のとおるにしてもそうだ。ずっと都会の中で生活し、休みの日もほぼ外に出ることもなくネットゲームをするだけの生活だったのだから。


「ふふ~ん、すっごいだろ! けど、すぐ見えなくなるからな。そのでっかい目に、よーく焼き付けとけよ」


 まるで自分のことのように自慢するクリストバル。


「うんっ! ねぇ、あれってどこなの?」


 そんなことを気にすることすら時間がもったいないファナは、一心に眼前の景色を見つめ続けていて、目線を逸らすことなくその景色の正体をクリスに尋ねる。


「あ、あれか。……あれはだな、青く見えてるでっけぇ湖が海ってやつだ。知ってるか? 海の水はしょっぱいんだぞ。それになっ、海で泳ぐとな、体が浮くんだ! すげえだろ」


 自慢気な表情で、偉そうに話しているが、クリストバルとてこの景色を見るのは片手で足りる数でしかなく、海に行ったのは一度っきりだ。内心ワクワクもしていたが、ファナの手前、カッコつけているのである。……片やファナは、亨の知識として海は知ってるし、海水が塩分を含んでることも知っていたので全く気にも留めない。


「っと、ほら、遠くでちょっと霞んでるけど、煙が立ち上ってる島、見えるか? あれがコリオス島だな」


 ファナの頭を掴み、視線を誘導しながらそう言うクリストバル。


「ふあぁ~、あれがコリオス島……かぁ。まだ随分遠そうだけど、けっこう大きそうだね」


 思っていたより早く目にすることができ、拍子抜けのファナ。

 あの火山の活動がアトランティス大陸が沈んだ要因の一つなんだよな? ドラゴンやワイバーンが居るってホントなのかね? 亨としての好奇心がうなぎ上りだ。


「…………。ああ、そうだな。どれくらいの大きさだったかなぁ……。あそこに渡るには州都の政務官様の許可が居るって話だ。くぅ、幻獣トレーダーを目指す俺としては一度行ってみたいんだけどな」


 海の話をスルーされ、何気に残念なクリストバル。そのうち放り込んでやると心に決めた。

 そして、コリオス島へはそう簡単には渡れない。これを聞かされた時にはクリストバルも残念だったものだ。


「お嬢、あそこには幻獣の頂点にして王、『ミレニウムドラゴン=レークス』が住んでるらしいよ。その名の通り、千年を生きると言われてる。ま、どこまでホントかわからないけどねぇ。でもドラゴンが恐ろしいのは事実だから俺は行きたいとは思わないね」


 警護団員の一人、ディーノがいつの間にか横に付いてそう語る。ディーノは一言でいえば金髪碧眼の優男。二十代中ごろの、クリストバルよりも更に背の高い美男子で、団一番の女好きである。見事な金髪を後ろで一本結びにして垂らしていて、いつも副長のシルヴァクリスの父親にぶつくさ言われているが、それが聞き届けられたためしは……、見たところないようである。

 幸いなことにファナはまだ彼の射程外のようで、彼女にとっては普通に優しいだけの無害な男である。


「ディーノさん、ちゃんと後ろ見ててもらわなきゃ困る。町が近いんだし、警戒をおろそかにしないでよ」


 クリストバルがそんなディーノに苦言を伝える。しかしまぁ、10歳以上の年齢差。彼の言葉は素直には聞き届けられない。


「さすが副長の息子。言うことがお堅い。クリス、お前もまだ成人してない子供なんだし、もうちょっと気楽にすれば? あ、でもお嬢を前に乗せて楽しくやってるみたいだし? こりゃ余計なこと言っちゃったかなぁ」


「俺もあと半年もすれば成人なんだ。やることだってちゃんとやれるし、警戒もちゃんとしてる。あんたには迷惑かけるつもりはないよ」


「お、言うねぇ、クリスちゃ~ん。うんうん、嬢ちゃんにいいとこも見せないといけないし、ボクちゃんは大変だねぇ。まぁ、せいぜい頑張ってね~」


 その言葉と軽い笑いを置き土産に、手を振って馬車の後ろに戻るディーノ。この世界、成人は16歳であり、15歳のクリストバルは成人をずっと心待ちにしていた。


「くっそ、いちいち余計なこと言うなってんだよ……。ふんっ、今に見ていろよ……」


 そんな二人のやり取りに、男の子も色々大変だな……などとちょっとだけ思いつつ、段々視界から消え去りつつある景色に気をとられるばかりのファナである。

 


――誰かさんの影響で少し遅れぎみではあるものの、長かった山道を抜け、馬車はいよいよ町へと差し掛かる。近づくにつれ、あれほど荒れていた道も整備された石畳へと変っていく。もちろん日本の舗装路とはくらぶべくもないが、それでもその恩恵はファナにとって計り知れないものとなる。

 海の景色を見たことで気分転換が出来、心にゆとりができたファナは、そこに至り、ようやく治癒魔法を使えば良かったこと気付き、愕然としたのだが、いつしか気持ち悪さも収まっていて、今更意味も無くなっていた。


 ファナたちが訪れたのは、小さな港をもつ漁業中心の町、メサリアである。

 海に向かい、小さく突き出した切り立った岬。所々にある猫の額のような真っ白い砂浜。その岬から内陸に向かい段々畑や棚田を思わせる、階段状に複雑に入り組んで建ち並ぶ、白い壁に色とりどりの彩色が施された屋根を持つ家々。

 ファナの中の亨はこれはまさしく地中海あたりを彷彿ほうふつとさせる風景だなぁ、と思う。アトランティス島は、イベリア半島の西、北大西洋の外れに存在していて、場所的にも十分近いはず。

 ところでエレーラ採掘団は遠路遥々はるばる、イスパニアから魔畜クリスタルピオニーを掘りに来ているのだそうだ。イスパニアには両親とも祖父と祖母が健在らしいがファナは会ったことはない。ちらっと聞いた話だと結婚後、一度も帰ったことはないそうで、理由を聞くのがちょっと怖いと思う、ファナである。もちろんイスパニアもローマ帝国の属州であるのは同様だ。


※イベリア半島:ヨーロッパ大陸の南の端、アフリカ大陸の上あたり。ポルトガル、スペインがある。東に地中海、西に大西洋。そこを繋いでいるのがジブラルタル海峡。



「じゃ、俺はちょっと野暮用あるから別行動ってことで。荷馬車の警護は、お前たちで頼まぁ」


 ディーノは満面の笑顔を浮かべながら一緒に来た警護の団員二人に声をかけ、返事も聞かずに迷路のような町の中に消え去った。託された二人は特に文句を言うこともなく、それどころか笑顔でディーノを見送っていた。


 怪しい。あのニヤケタ顔がとてつもなく怪しい。亨の男として30年生きた、オタクの勘がそう言っていた。


「ほら、ファナ。ぼーっとしてないで俺たちも行こうぜ。ディーノ……さん、は、いつものことだ。気にしないでいい」

「うん!」


 クリストバルの呼びかけにファナは元気よくうなずき、トマスとマリサの待つ場所に駆け寄った。トマスがにこやかにそんなファナの頭をグリグリ撫でるが、その口からでる言葉は裏腹にきびしい。


「ファナ、俺たちの言うことちゃんと聞いて、大人しくついて来るんだぞ。目立つ行動はくれぐれも控えるんだ。守れなかったらエリカに言うぞー! きっと次は来れないだろうな。……それとクリス、お前は周りを十分警戒しておいてくれ。ファナのこともあるが、特にスリや置き引き。要注意だからな!」

「ああ、わかってるって。魔力の扱いは十分鍛錬してる。そんな奴らの気配を探るのは、お手のもんだって。任せておいてくれ!」


 トマスに注意されたファナは内心ウルサイなぁと思いつつも、ママにチクられてはたまらないと素直に聞く。ようやく町に来れるようになったのだ、すぐ許可が却下されるような事態は避けなければならない! それにしてもどうやら町の治安はあまり良くないらしいと、ファナの中の亨は思った。


――というか亨のいたを基準にすればどこでも悪くなるというものだが。スリや置き引き程度なら亨の世界でも普通にあり得る話ではある――。


「ほれ、ファナ。これかぶっとけ、エリカさんからだ。ついでに、くれぐれも勝手な行動させるなって釘も刺されてる。くくっ、お前に自由は無いと思っとけよ~」


 ママの嫌な言葉とともに、ツバ広の麦わら帽を渡されたファナ。その頬はもうぷっくり、フグのごとく膨れ上がっていた。


「もうみんなひどい~! 私、子供じゃない。そんなに言われなくたって、ちゃんと言いつけ守れるんだから~!」 


 渡された麦わら帽をかぶりながら、しっかり文句を言うファナであるが、その声はいかにも弾んでいて、これからの買い出しへのワクワクが抑えきれない様子である。

 ちなみに言えば、帽子はファナの髪を目立たなくさせるためで、ファナも心得ているため、赤紫の色が目立たないよう、いつもは垂らしているおくれ毛をしっかり帽子に収めるのだった。


「ふ~ん、なるほどなぁ」


 そんなファナをじろじろ見ていたクリストバルがしたり顔でそうつぶやく。


「ん、なに?」

「いや、お前もそんなカッコしてるといっちょ前の女の子に見えるなと思ってさ。可愛いぞ」


 ファナのカッコは、キャミソールにショートパンツ。そこに丈の短いベストを羽織り、足元はショートブーツである。ブーツを除けばどれも真新しい、可愛いらしい色合いとデザインの服である。風にそよそよなびく銀髪に麦わら帽をかぶった、小柄なファナは、普段より一段と可愛いらしい少女の姿に見えた。


「ああ、あっそ……」


 まさかのクリストバルの言葉に対処に困るファナ。というかその中の亨。


 真っ白な肌が朱に染まったファナを、三人が優しい笑顔で眺めつつ、一行はそのまま買い出しの場へとその足を向けるのだった。



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