第2話*亨は自分を認識した

「ファナ……、ファナ……」


 誰かが誰かを呼びかけている声がする。しかも自身はなぜか必死に体を揺すられてる。

 亨はそんな感覚にとらわれ、まどろみの中から再度目を覚ました。


「ファナ! 良かった、目を覚ました。まったく、心配させてくれたなぁ……」


 ファナ? ファナ……って、亨はまだ朦朧もうろうとした意識の中、漠然ばくぜんとそう思った。しかもまだ頭痛が微妙に残っていて集中しきれない。


「ファナ! おい、大丈夫か? お前、採掘抗の足場から落ちてたんだぞ! まだぼんやりとしてるようだが……、意識あるよな? これは何本だ? 言ってみろ」


 偉丈夫いじょうぶな男が亨に問いかけた。歳の頃は三十前半と言ったところか。刈り込んだ銀髪に深い青色をした目が印象的で、日に焼けた掘りの深い顔が精悍せいかんで、野性味あふれた男である。でも亨はこの男を知っている。なぜか知っているのだ。


「に、二本……」


 亨は問われるがままに答えた。なんて傷だらけで無骨な手なんだろう。そう思いつつ、自分の変わってしまった声で先ほどの衝撃的出来事を思い出した。


 小さな女の子の姿になっていた自分。

 訳がわからない。


 そう考えていたらグイっと体ごと持ち上げられた。一気に高いところまで視線が上がる。肩抱きから、そのままおんぶに移行させられた。そんなことでも小さくなった自分を嫌でも感じてしまう。


「よっし、取りあえずは大丈夫そうだな。だがお前の様子はまだちょっと……その、なんだ、し、心配だ。このままおぶって帰ることとする。しっかり捕まっておけよ!」


「わ、わかった……」


 怖い面持ちだが、亨を見る目はひどく優しい。心から安心できた。それにしても……、一体自分はどうしてこんなことになってしまっているのか? 思い出してきた記憶と現状とのすり合わせに、頭がショートしそうな亨である。


「おい、てめえら! 俺はファナを連れて先にベースキャンプに戻る。悪いが後始末は任せる!」

「おうっ、ウーゴ、嬢ちゃんキッチリ、エリカまで届けてやんな! 殺されないこと祈ってるぜ!」

「や、やかましい! 余計なお世話だ。じゃ頼んだ!」

「「「まかせとけっ! ファナ大事にな~」」」


 おんぶされてしまった亨。男はずんずんとすごい勢いで走り出している。知らないはずの男におんぶされ、どことも知れないはずの森の中を移動している。

 しばらく無言での行軍が続く。亨は悩みながらも振り落とされてはたまらないと、必死に男の背中にしがみついていた。背負ってくれている男の背中が暖かい。――そうこうしているうちに、亨の頭の中でも混乱していた記憶が、次第に糸がほどけていくかのように整っていき、気持ちも落ち着きを取り戻しつつあるようだ。


 自分を大事そうにおんぶして、リズミカルに苦も無く走っている男。今ならわかる。亨は急に愛おしさが湧いてきて、顔を背中に押し付け、ぎゅっと全身で背中にしがみついた。今までの亨なら考えられない行動である。


「おっ、どうしたファナ。急に元気になったな? 調子戻ってきたかっ」


 振り向きながら嬉しそうな顔を見せる男。今はっきりとわかった。……この男は、この男は自分の父親なのだ! と……。


「うん、ぱ……、パパ! もう大丈夫。心配かけちゃって、そのぉ、ごめんなさい!」

「そうか! よしよし、わかってるならいいんだ。じゃあママのとこにさっさと戻るとすっか、しっかり捕まってろよ? 飛ばすぞ~」


 亨だったら言うはずのない言葉が可愛らしい声でスラスラと出る。なんとも不思議な感覚になるのは仕方ないことだろう。


 獣やそれに類するものが跋扈ばっこする森の中。小さな子供をおんぶした大男が、『ピオニーディガー』や『ワイルドキャッター』くらいしか通ることのない山道を、それはもうすさまじい勢いで走り抜けていく。そんなことも今の亨なら少しはわかってきた。

 男、……父親ぱぱの背中にいるうちに亨はいやでも理解した。自分はファナだと。どういう理由なのかわからないが自分はファナとして今ここにいるのだと……。


 ただ結局のところ、ファナとしての記憶では父親とその家族、後はこの周辺のちょっとしたことまでしかわからない。ここが日本……ということはないにしても、さっきから移り変わる普通じゃ考えられない景色や、変わった文化というかなんというか……現代日本とは相当の乖離かいりがあるように感じるし、見える。



 亨=ファナは、自分のこれからの行く末に不安を感じざるを得なかった。




 それにしても……、こいつぱぱの体力、底なしだな。

 いつわざる気持ちだった。




 ベースキャンプに着いて早々、いくつか立ち並ぶテントの内、奥まったところにある一番大きなテントの中から飛び出してきた女性に亨……、いや、ファナは奪い取られていた。奪われたぱぱ、ウーゴは今にも泣き出しそうな顔になっている。精悍で野生的だった表情は見る影もない。この男、変わりすぎである。


「言い訳を聞いいてもいいですけど?」


 ファナを大事そうに抱きかかえながらそういう女性。鮮やかなブロンドの髪、綺麗なエメラルドグリーンの目は少々たれ目がちではあるものの、鼻筋もくっきり通った色白の美女である。歳の頃はウーゴとそう変わらなさそうではあるが、より若いとみておくことが無難である。


「あ~~~、その、えっとだな。……すまん、ママ。いや、エリカ! この通り! 俺が悪かった。ファナに怪我させちまって、ほんと面目次第もねぇ」


 二人歩きながらの会話なわけだが、ウーゴは器用に後ろを向いての平謝りである。


「森妖精から伝えてもらった時はこの世の終わりかと思いました! パパはもっとしっかりファナのことを見ていてあげてください!」


 言いながらファナの頭を撫でるエリカ。ファナは気持ちよさげに目をつむりながら人ごとのように聞いている。ファナとなった亨には、これがいつものことだと理解できているから不安はない。が、少し引っかかった。森妖精……って? 聞き間違い? 何かの比喩? 混乱要素が増えるばかりの亨である。


「……っ? ファナ、あなたその髪と目……。そ、それは後ね。ああ、かわいそうに、おでこの上ぶつけちゃったのですね。血は止まってるようだけど。他にも痛いところとかないです? ……デリア様に治してもらいましょうね。でもね、あまり勝手に採掘場をうろうろしちゃだめです。言うこと聞かない子はもう連れて行ってもらえないんですからね!」


「う、うん、わかった……。ごめんなさい……。体はだいじょうぶ……だよ」


 自分とおるが何かやらかした覚えはないが、なぜか謝る羽目になる亨である。


「そっか、良かった……」


 そんな会話を交わしつつ、エリカが出てきたテントとは違うテントへと向かっている。


 それにしてもである。ウーゴの身長は190cmを超える上背がある。それに対し、エリカは女性としては高いとはいえ170cm程度である。その差20cm以上。ウーゴを上目使いに見上げながら愚痴るその姿はなんとも可愛げで、その姿を見るにつき、夫であるウーゴは改めて妻エリカの虜にならざえるを得ないと、感じているのだった。


 そんな二人を見て探鉱ベースキャンプで働く連中は口を揃えて言っているのだった。


「美女と野獣だよな」……と。


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