第5話 素敵な先生、現る
「席につけ。歓談の暇など、この“高等闇術”課程には存在しない」
いつの間にか教壇に現れた人物が放った低い声に、室内にいる若者がひとり残らず飛び上がる。
自分の席に駆け込むやいなや本を開く音が響き、そして嘘のように静まった。
「我らがクラスは、術師課程の中でも特に秀でた者たちを集めた特進クラスである。このたび喜ばしいことに、君たちの功績をたたえ“特別修練課程”を組むこととなった」
「!」
院生たちは友人同士、興奮し期待に満ちた視線を交わしている。
まだその輪に加わることのできないアレイアは、後方の席から首を伸ばして教術師を観察した。
「ウォレン先生、だっけ……」
濃い茶色の長髪を後ろに流した、いかにも術師といった風貌の男である。その仏頂面のどこにも“喜ばしい”感情は現れていなかった。
院生たちよりも濃い灰色をした胴衣を着込み、年相応の密やかなお喋りに興じる院生たちを睨んでいる。
「そろそろ黙らんか。完璧な静けさが訪れんかぎり、お前たちの特別修練課程は永遠にはじまらんぞ……!」
その唸るような声に、若者たちは息まで止めてしまったようだ。
無言だったアレイアも思わず手で口を覆ったが、その行為はすぐに功を奏すことになる。
「――それは一大事ですね。仕事がなくなってしまいます」
「ッ!?」
耳に馴染んだ、静かな声。
アレイアを含めたすべての視線が、教室の入り口に現れた人物へと吸い寄せられる。
「……困りますな、レザーフォルト“先生”。紹介前に、勝手に入ってこられては」
「失礼。しかし相変わらず、この学び舎の廊下は冷え込むものですから」
「ロっ――!」
腰を浮かして名を呼びかけたアレイアの頭に、すばやく“思念”が舞い込む。許可した者同士の思考を伝え合う魔術だ。
(静かに。僕のとなりにいる教術師は、勝手な発言を許さないはずです)
「……っんぐ!」
喉元までせり上がっていた声をやっと呑み込み、アレイアは大きく息を吐いた。
奇妙な声が漏れてしまったが、ウォレンは音の出処を探ろうとじろじろと室内を見回している。たしかに耳ざといらしい。
「ねえ、今――レザーフォルトって言わなかった?」
「もしかして、ログレス・レザーフォルト? 大闇術師の!?」
さざ波のように大きくなりつつある院生たちの声を聞き、正規の教術師は重いため息をもらした。しかし仕事はきっちりと遂行する人物らしく、淡々と紹介の言葉を述べる。
「……君たちの“特別修練課程”を監修してくださる特別教術師、ログレス・レザーフォルト先生だ。皆もよく知っていると思うので、氏の輝かしい功績は割愛させていただく」
正式にその名が発表された途端、教室中が溢れんばかりの熱気に包まれる。
「本当にっ!? 本物なんですか!」
「勇者のパーティーに所属し、幾千もの魔獣を闇術で葬ったっていう、あの!?」
「弟子志願の手紙を自動的に燃え上がらせるっていう限定闇術を編み出したって噂の!?」
「魔術管理協会の総会への出席依頼を断って、王城の新作甘味披露会に審査員として出席したっていう、あの変人!?」
当惑と驚嘆が入り混じった歓声を聞きながら、当の大闇術師は黒い胴衣を翻して教壇へと向かった。
「……“あたたかい”歓迎、心より感謝しますよ」
「あの、レザーフォルト先生。発言してもよろしいでしょうか?」
時計の針のようにぴしっと手を真上に突き上げたのは、さきほどアレイアに声をかけてきた男子院生である。まだ状況を呑み込めていない少女は、のろのろとそちらを見た。
「ええ、ご自由に。セルジオ・リドーヴ君」
「! ボクを、ご存知なのですか?」
「個人の自己紹介を延々と聴かされるより、院生一覧を見て把握するほうが効率的でしょう?」
ざわ、とふたたび教室が色めき立つ。
近くで接している時間が長くて忘れがちだが、彼は間違いなく非常に有能な術師なのだ。アレイアは心中でひとり得意顔を作る。
「さて。それで……何の質問でしょうか? リドーヴ君」
「先生は、これまで公の場で師事をお授けになったことは無かったはずです。それがどうして、この学院に――ボクたちのクラスに、おいでくださったのですか?」
「ふむ。興味深い問いです」
師の紅い瞳がこちらに向きはしないかと、アレイアはそわそわしながら期待した。
しかしその視線は宙を彷徨い、結局どこか一点にたどり着くことはなかった。
「正直に白状いたしましょう――ただの、気まぐれです。暇つぶしともいいますね」
「なっ!」
相変わらず場の雰囲気を無視した回答に、アレイアは肝を冷やした。
しかし同時に、それが彼の紛れもない本音であることも理解してしまう。
「み、見てらんないよ……!」
額を押さえ、弟子である少女は恐々と呟いた。どうやらまた、新たな発言が投下されようとしているらしい。
「しかし皆さんにとっては、実りある機会となるやもしれません。“不可解”を“解”へと昇華させるのは、常に己自身なのですから」
「……。ありがとう、ございます……?」
疑問符を顔中に貼りつけたままだったが、セルジオは大人しく腰を下ろした。挙手した時には挑戦的だった薄青の瞳が、今は懐疑的な色を浮かべている。
「はー……」
一方アレイアは、予想していた発言よりもずっと“まとも”だったことに安堵していた。姿勢を正し、今度こそ落ち着いて師に思念を飛ばす。
(ちょっと。なんのつもり? お師匠さま)
(平穏な院生生活を送りたければ、“先生”と呼ぶべきでしょうね)
咎めているつもりなのだろうが、これくらいで怯むアレイアではない。小麦色の眉を寄せ、教壇に立つ師を睨んだ。
(色々言いたいのは山々だけど、とりあえず――初対面の生徒に言うことじゃないでしょ、さっきの! ヒヤヒヤさせないでよ、もう)
(左様ですか? これでも、“友”の助言どおりに行動したつもりなのですが……)
(……。あんたの灰色の親友は、なんて?)
さきほどの謎めいた発言について議論をささやき合っている院生たちを横目に、ログレスは小首を傾げて答える。
(“肩肘を張らず、自然体でいろ”……と)
(あのばか勇亡者! それが悲劇を生むってのに!)
天井を仰いでうめいたアレイアに、遠くから師は肩をすくめてみせた。
「……レザーフォルト先生。特に授けるべき叡智がないのであれば、その教壇をご返却いただけますかな」
「おや、これは失敬。小鳥たちとのお喋りに興じすぎましたね」
恨めしそうに脇に退いていた教術師ウォレンの声に、ログレスは小さく手を打つ。
「たしかに今日は、この教壇や教術書は必要ないでしょう」
「……?」
フードの暗がりでにやりと笑み、“特別教術師”は揃った若い顔を眺めて告げた。
「術師たる者、筆よりも杖を握らねばなりません。全員――演習場へ出てください」
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