第4話 静かな門出、仲良しの秘策
そして――現在。
年季の入った木材の香りが漂う、品の良い学院長室。
「いやはや! これはこれは、レザーフォルト殿! 遠い地――本当に、どこなのかまったく見当がつきませんが――から、よくぞおいで下さいました!」
「……堅苦しい挨拶は止してください。ダリアン先生」
「!」
分厚い肘掛け椅子におさまったアレイアは、聞き慣れない単語に目を見開いた。
師が他者に対し“先生”と呼ぶのを、はじめて耳にしたからである。
「君にそう呼ばれるのは、なんと懐かしい――いや、新鮮なことか。とにかく、おかえりなさい。ログレス君」
「……帰る家は、ひとつで構いません」
「はっはっは! 相変わらずだなあ。まあ……こちらがお願いせずとも、
豊かな顎と髭が、明るい笑い声に合わせて揺れる。
歴史ある学院の長ともなれば相当な老人だろうというアレイアの予想を裏切り、その椅子に座すは気さくな壮年の男だった。どこか、かの村の陽気な村長を思い出させる。
学院長と向かい合って座っているログレスは、黒い胴衣の肩をすくめた。
「そちらの毒舌も変わっていませんね……“ダリアン”。変わったのは、その腹回りだけです。ヒトを食したばかりの“
「うん、やはり君はそうこなくちゃだ」
師の容赦ない言いぶりにアレイアは青くなったが、学院の長は底抜けに明るい声で満足そうに笑った。
「そしてようこそ、お弟子さん! 学院長のダリアン・モガフィットだ。君の編入を、心から歓迎するよ」
「あ、ありがとうございますっ!」
学院長の真っ直ぐなまなざしを受けたアレイアは、慌てて小麦色の頭を下げる。
知的で小難しい挨拶もたくさん考えてきたのだが、見事に一言も思い出せなかった。
「うむうむ! 闇術師とはいえ、若者は元気が一番だね」
「あ……あの。あたし、見た目よりも割と大人なんですけど……」
アレイアは心配そうに小さく手を挙げた。編入規定の冊子には何度も目を通したが、年齢制限に関する部分が見つからなかったのである。
「んん? なに、気にすることはないとも。我が学びの園に、受け入れ制限はない。数は少ないが、二百歳を越える
その茶目っ気のある表情に、アレイアはほっと息をついた。
「短い間だが、楽しい学院生活を送ってくれると信じているよ」
「は、はいっ! がんばります!」
「はっはっは。なんて素直なお弟子さんなんだ。近くに“反面術師”でもいるのかな」
「……」
学院の長に遠慮なく不服そうな視線を投げつけたあと、師は咳払いを落とす。
「では、アレイア。貴女の所属課程――“高等闇術”のクラスへと向かうと良いでしょう。僕の記憶違いでなければ、通路の中程にある樫の扉が近道のはずです」
「え……」
「さすが、よく覚えているなあ。君はほとんど、その部屋に赴いたことはないと記憶しているけど」
「それこそ記憶違いではないですか? 老いましたね、“先生”」
お互いに小さな棘を送りつつも、男二人は和やかに話し込んでいる。
積もる昔話もあるのだろうと察したアレイアは、慌てて荷物を手に立ち上がった。
「じゃあ――失礼しますっ!」
「うん。よき学びをね、アレイアさん」
「はい。……あの、ログレス」
どこか心細い思いで師を見ると、彼は紅い目を意外そうに瞬いた。
「どうしたのです? まさかここへきて、村に忘れ物がなどと言わないでしょうね」
「そうじゃないけど。えと……もう、帰っちゃうの?」
今日から三ヶ月も離れ離れになるというのに、彼はなんの感傷もないのだろうか。
これでも村では、同じ屋根の下に暮らす恋人同士――絵に描いたような甘い甘い暮らしでなくとも――なのだ。
せめて普段は耳にすることのない、優しい言葉のひとつやふたつは――
「貴女の引率は済みました。僕はこれから、自身の仕事に精を出すのみです」
「……あっそ」
無表情でこうもきっぱり言い切られると、いっそ清々しい。
アレイアは丈夫な革鞄を豪快に肩に引っ掛け、大股で学院長室を後にした。
「――もうっ、見てなよ! すっごくたくさん勉強して三ヶ月後、絶対にビックリさせてやるんだから……!」
制服の胸に決意を燃え上がらせ、若き編入生はずんずんと廊下を進軍した。
*
広大な建物の端にある“高等闇術クラス”は、講義の合間に設けてある休憩時間のようだった。
「し……失礼しまーす……」
その書庫のような静けさに、アレイアは一瞬部屋を間違えたのではないかと驚く。しかし室内の若者たちが身につけている灰色の制服を確認し、胸を撫でおろした。
「えっと……」
控えめそうな院生たちが多いが、何人かは書物から目をあげてこちらを注視している。アレイアは深く息を吸い、明るい笑顔を浮かべて声を響かせた。
「あたし、今日から編入してきたアレイアです! よろしく、おねが」
「静かにしてもらえるかい?」
心底迷惑そうな、冷たい声。
アレイアはびくりと縮こまり、室内を見回した。
声の主――髪をきっちりとまとめた、細面の男の子だ――はみずから本を置いて注目を集め、てきぱきと言い放った。
「編入生が来るのはみんな知っている。席は、個人の本が置いていない場所ならどこでも構わない。早く掛けて、静かにしてくれたまえ……もう、次の講義がはじまるんだ」
「う、うん。ごめんなさい」
その高慢な物言いは、どこか曰くつきの憎き“御坊ちゃま”を彷彿とさせる。
彼は苦手な子かもしれない――
「……あ」
暗い気持ちに呑まれかけていたアレイアは、村にいる友人からの激励をふと思い出した。
“いいか、アレイア。学院には、いろんな奴がいる。特に、術師クラスはな……。難しい奴とか、気に食わない奴にもごまんと出会うだろう”
“う、うん”
“そんな時、どうするか知ってるか?”
長期滞在の荷物を選別していた手を止め、アレイアは兄のように親切な“亡者”を見つめた。となりには、心配そうに銀の眉を下げている親友メリエールの姿もある。
“とりあえず、笑っておくんだ。もう友達だろって顔でな”
“えっ? でも”
“むこうの心がどう動くかは、わからない。でも、こちらに敵意がないってことは示しておけるだろ? 先手必勝ってやつだ”
“そ、そういうもんかなあ……”
自信満々でうなずく亡者に苦笑しながら、聖なる友はアレイアに果実の瓶詰めを渡す。
“わあ、メル! ありがとう。あたし、これ大好き”
“少し早いけど、漬けてみたの。重いけど、持っていけるかしら?”
“これなら何個だって担いで行くよ!”
いつもはひとつ先の季節から仕込むというのに、長く村を空ける自分のためにわざわざこしらえてくれたのだろう。
メリエールは聖母のような笑顔で微笑むと、となりの亡者を見る。その愛情に満ちた瞳は、アレイアでもドキリとしてしまうほどに深く輝いていた。
“この亡者さんは、これでも人望厚い勇者さまだったのよ。助言をとり入れてみても、いいんじゃないかしら?”
“うん……。わかったよ”
“それに、これは私がごく『最近』学んだことですが……どんな人とも辛抱強く付き合ってみれば、見えてくる側面というものがあるのよ。頑張ってね”
時間の失われた空間の中で何十人もの説得をこなしてきた彼女の言葉には、紛れもない重みがあった。
「……っ」
頼りになる友人たちの言葉をしまったのは、あの荷の中ではないはずだ。
胸の前でぎゅっと拳を作り、アレイアは観察するようにこちらを見ていた男子に顔を向ける。引きつらないようにと願いながら、渾身の笑顔を浮かべて言った。
「あのっ――教えてくれて、ありがとう!」
「!?」
静かな室内にその声は予想以上に響いたが、気にしないことにする。
後方の空席を見つけたアレイアは、そそくさと鞄を抱えて逃げ込んだ。
さきほどの男の子が呆然とこちらを見ている気がしたが、指定の教術書を探している振りをして乗り切る。
そんな中、新たな人物の冷然とした低い声が響いた。
「……騒がしいぞ」
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