第3話 灰色の郵便夫と謎の小包


 驚くべき出来事が起こったのは、その数日後だった。



「おーい、アレイア。いるかー?」


 澄み渡った青空が眩しい、冬の朝。


 くもったガラスの向こうに見慣れた赤毛が揺れているのを発見したアレイアは、躊躇なく台所の小窓を開け放った。


「あれ、エッド!」


 冬の清涼な空気が頬を打つと震えが走ったが、アレイアは嬉しそうに来訪者を迎える。


「おはよ! 朝の鍛錬帰り?」

「ああ、おはよう」


 友人のエッド・アーテルが、白い牙を覗かせて微笑んでいた。

 彼はかつてこの国に貢献した“勇者”だったが、奇妙な運命を経て今は立派な魔物――“亡者”として存在している。


 生気のない灰色の肌がのぞく軽装を見、アレイアは両腕をさすった。


「うう、相変わらず見ててこっちが寒くなる格好してるね」

「腹巻を編もうかってメルが言ってくれるんだが、どう思う?」

「糸の無駄なんじゃないかなあ……」


 彼の期待通りの答えだったらしく、エッドはくつくつと楽しげに喉を鳴らす。冗談好きで気楽なこの友人は、アレイアにとっては頼りになる兄のような存在だった。


「ほら。亡者の郵便夫が、お荷物を届けにきたぞ」


 剣士らしく引き締まった手から小包を受けとり、アレイアはにっこりした。


「わざわざありがと! 誰からかな」

「学術院から、君にだ」

「え?」


 驚いて小包を回し、宛名を確認する。

 交差した紐の上に堂々と押されているのは、見覚えのある厳かな封蝋。流れるような優美な字が、荷袋の表面を走っている。



『武と学びの園から、アレイア様へ――王立ディナス武技学術院、編入受付係』



 間違いなく自分の名前が記載されている。荷袋を見つめたまま、アレイアは寒風に晒されている友にぎこちなく進言した。


「あのさ……郵便夫さん。なにかの間違いじゃ……?」

「そうか? もし間違いだったら、呼びにきてくれ。学院製の包み紙はよく燃えるからな。メルがちょうど、薪の残りを気にして――」

「だからあんたら、なんですぐ燃やそうとすんの!?」


 既視感に悩まされながらも、アレイアはさっと小包を亡者から遠ざける。友人は途切れのない傷跡がぐるりと囲む腹をさすり、重々しく頭をふった。


「君の師匠は、まだ夢の中か? 悪いけど、事情は起きてから本人に訊いてくれ。俺は、もうダメだ……」

「ど、どうしたの!?」


 鍛錬中に、なにか事故でもあったのだろうか。驚いて小窓から身を乗り出したアレイアに、友は悩ましげな表情を浮かべて答える。


「家の方角から、すさまじくいい匂いがするんだ……。たぶん今朝は、俺の大好物の白雲イモグラタンに違いない」

「……。そりゃあ、よかったね……」


 たしかに友人たちの家に向かう小道から、魅力的な香りが漂ってくる。“犬鬼”の鋭敏な鼻が、胃の底をくすぐるような芳香をしっかりと捉えた。


「そういうわけで、急いで帰らなきゃならない。“詳細”が決まったら、また教えてくれ。じゃあな!」

「ちょっと!」


 まるで概要を知っているかのような言い方にアレイアは驚いたが、亡者はつむじ風のような早さで家路を駆けていく。

 あっという間に小さくなる背を呆然と見送っていると、背後でかすかな物音がした。


「……おはよう、ございま……」

「ログレスおはよ! あのね、これ! 今、亡者の郵便夫さんが来てね、これを――」


 うさぎのように跳ねてきたアレイアをぬるりと避け、ログレスは緩慢な動作でいつもの席に着いた。


「……」


 今にも閉じそうな紅い目でやっと小包を見上げるも、机にだらしなく頬をつけて呟いた。


「なんですか、それ……。というか……だれか、きていませんでしたか……?」


 毎朝のことだが、起きがけの想い人にはいつもの覇気がない。

 あの機敏さを得るには、まず甘味を胃に流し込まねばならないのだ。彼を尊敬してやまない村人たちには、いまだに見せられない光景である。


「ああもう! 待ってて。甘いものフルコースでその脳みそ、叩き起こしてあげるからっ!」

「……はい……?」



 半刻ほどかけて糖分を摂取し、師はやっと平素の明晰な頭脳をとり戻した。


「やっと届きましたか。まったく……あと少し遅ければ、真冬の雪の中を強行軍せねばならないところです」

「あたしはあんたの部屋に毎朝雪玉を投げ込んだほうが手間がないんじゃないかって、考えはじめたところだけどね……」


 遠い目をして呟いた弟子に小さく首を傾げ、ログレスは小包を見下ろした。


「開けないのですか? 貴女宛てなのでしょう」

「いや、うん……やっぱそうなの? 間違いじゃなくて?」

「そう思うなら、自身の名を念じながら封蝋に魔力を流してみてください」


 師に促され、アレイアは覚悟を決めて愛杖をとり出す。

 上等な一品ではないが、数々の苦難を乗り越えてみずから作り上げた思い出の品だ。


「アレイア……。アレイア・レザーフォルト……」

「口に出さなくても結構です。それから、名は“正確”に念じること」

「……ちぇ」


 小さく口を尖らせつつ、アレイアは言われたとおりに魔力を込める。

 すると、深い海のような青い封蝋はあっけなくその封印を解き放った。


「わ! 開いた――って、これ……!? うそ」


 鼻をついた香りの正体に、少女はすぐに気づいた。

 誰も袖を通していない生地の、ぱりっとした糊の匂いである。


「こ、これって――制服!? 学術院の」

「ご明察です。さすが服飾には目がありませんね。その記憶力を、詠唱の鍛錬にも活かしてほしいものですが……」


 師の小言も耳に入らず、アレイアはその服に見入った。


「すごい。綺麗……!」


 静かな灰色をした上着は、質素だが細部にまで手が込んでいるのがわかる。

 肌触りのよいしっかりとした生地の縁を、流れ星のように輝く銀糸が余すことなく駆けていた。封蝋と同じ紋章が胸部に縫いとめられ、知的で上品な光を放っている。


「ログレス……あの、これって……?」

「……たまには、修練の場を変えてみるのもいい刺激になるかと思いまして」


 戸惑うアレイアを横目に、師は同封されていた書簡を手にとる。こちらは普通の手紙らしい。手早く開きながら、ログレスは淡々と告げた。


「貴女の編入認めです。身分証ともなるので、失くさぬよう」

「編入……?」


 書簡の末尾に押された豪華な印を指で示し、師は妖しく笑んだ。



「来週から三ヶ月間、貴女には王立ディナス武技学術院の学院生となって頂きます。一般生に混じり、存分に勉学に励むと良いでしょう」


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