第1話 魔物少女、学院に降り立つ
「わあ……すっごい迫力! これが“学院”なんだあ。やっぱ都会って感じ!」
王立ディナス武技学術院――そびえ立つようなその壮麗な建物を見上げ、若き
巨大な門扉の全貌を目に焼きつけようと、小麦色の三つ編み頭が左右に揺れる。
「あらまあ、見て。かわいらしい院生さんだこと」
「珍しい時期じゃなあ。地方から呼んだ、編入生かのう」
背後を通りかかった身なりの良い老夫婦が、くすくすと微笑む。
その向こうから響いてきたのは、雑踏に呑まれてもおかしくはない静かな声だ。
「……そこの田舎娘。こちらへ来なさい、往来の邪魔ですよ」
「あ、はーい!」
周りの視線など気にせず、ブーツの踵を鳴らしてアレイアは声の主の元へと駆ける。
門番に書簡を見せていた闇術の師は、いつもの呆れ顔で迎えてくれた。
「まったく……。この天を突くような要塞学院など、王都へ来るたび目にしているでしょう」
柱の影に溶けてしまいそうなほど真っ黒な
かつてアレイアの命を救った恩人であり、魔術の師であり――今や“それ以上”の関係で結ばれていると言って良いはずの人物である。
「こんなに近くに来たの、はじめてだもん。あんた、学院への道は避けたがるし」
「何の用もなく、この無駄に長い坂を登るのは御免です」
影の中にいた長身の師に気づいた老夫婦はぎょっとし、足早にその場を離れていく。何かを思い出したかのように一度ふり向いたが、二人でひそひそと言葉を交わしながら遠ざかっていった。
「お待たせしました! 確認しましたので、ご案内しますね」
どこか緊張した面持ちの門番に導かれ、アレイアは王城かと見間違うほどの豪奢な門扉を抜ける。
「広っ!」
「まだ前庭ですよ」
刈り込まれた芝が美しい広大な敷地には、いくつもの院舎がずらりと並んでいる。それぞれの舎に向かう若き学院生たちで、どこもかしこも溢れかえっていた。
「えーと。次はどの舎だっけ?」
「まだ見えないよ。七つも向こうだもん。競争するかい?」
「ああ、また弓の手入れ係だ! 一晩かかるぞ」
「私よりマシじゃないの。“借り杖”をぜんぶ磨くなんて、狂気の沙汰だわ」
所属する課程ごとに色分けされた制服を着た学院生たちはまるで、好き好きにさえずる華やかな小鳥のようだ。
「た、たくさんいるね……!」
「当然でしょう。教師や寮の使用人も含めると、総人口は小さな町をも越えます」
この学院に通うのは、もちろん魔術師だけではない。
ディナス大陸中から、我こそはと情熱を燃やす若者たちが集まっているのだ。
目立つのはやはり精霊を連れた“魔法術師”や、分厚い剣を背負った剣士たちである。
「おい、またお前の精霊だろ! オレの剣の鞘にイタズラしたのは!」
「視えないくせに、なんでわかるんだよ」
「誰が好きで鞘にくさい“オークベリー”の実なんか詰めるんだよ!? おかげで中がグシャグシャだ」
「ジャムでも作りたかったんだろ。彼女の好物なのさ」
なんだかよくわからない自作の“魔具”を抱えてふらつく、技術課程の生徒たちもいる。こちらは上下がつながった作業着姿だ。
「慎重に! そーっとだぞ。ぼくと同じ速度で、東に進んでくれ」
「これ、傾けたらどうなるんだ?」
「足の付け根はまだ固定が弱いから、中の酸が漏れ……って、そっちは西だろ!」
「え? あっ、わああ!」
神への信仰を持たず、自然の癒しの力を引き出すタイプの
「はーい、どいてどいて! また“魔具”の生徒がやらかしたみたいですからねー!」
「リーバニ先生がお怒りになるわ。“癒術室”のベッド、もう満床だもの」
「一番苦い薬は、先生のお説教二時間コースですけどねえ」
ふざけあい、お喋りを絶やさずに行き交う院生たち。
王都の大通りとはまた違った瑞々しい喧騒に、アレイアの胸は一段と高鳴った。
「ねえ、見て。あれ……」
「闇術師? 誰だろ」
門番について前を往くログレスは、その長身と真っ黒な胴衣で早くも注目を集めている。
「正規の黒胴衣ってことは、
「魔術管理協会の腕章も巻いてない……てことは、個人?」
陽の下に顔を晒したくない師は、今日もしっかりとフードを目深に引き下ろしている。にもかかわらず、華やかな雰囲気の女生徒たちが早くもささやきはじめた。
「ね、ちょっとかっこよくない?」
「えー、そう? 顔は良いけど、すごい無愛想じゃん」
「……」
黄色い声に一抹の不安を感じつつも、アレイアは深呼吸してふたたび高い院舎を見上げる。
門出にふさわしい、抜けるような青空。
それを背景に数々の歴史を刻んできた美しい建物が、静かに微笑みかけてくるかのようだった。
「……ふふっ」
誰ひとりとして自分を見ていないことに、アレイアは密かに微笑む。
むしろ、それが心地よかった。
「誰が見ても、“
とても珍しい魔物の血を引く少女は、蜂蜜色の双眸を陽に輝かせた。故郷の大陸とは違い、じろじろと品定めするような視線が飛んでこないのが嬉しい。
「それに、この制服だもん! ふふふ……!」
ほかの課程に比べるとやや地味だが、灰色を基調とした“闇術課程”の制服は洗練されていて自分好みである。
服作りが得意な村人に仕立ててもらった短いスカートを翻し、アレイアは遠慮なく憧れの地を見回した。
背筋を伸ばした門番がようやく、延々と続く石造りの通路の脇で足を止める。
「この奥の部屋で、学院長がお待ちです――ようこそ、王立ディナス武技学術院へ! 貴女の未来と可能性の芽が、目映く萌えますよう」
律儀に送られた祝福の言葉に、アレイアは健康的な褐色の頬を緩ませる。
「……行きますよ。件の部屋までは、まだ村の外周よりも距離があるのですから」
「ま、待ってよ! もうちょっとゆっくり見たいんだけど」
「貴女は、観光に来たわけではないでしょう」
ぼそりと言い残し、足早に通路を進む師。
その黒い背を追いながら、アレイアは笑顔を引き締めて堂々と答える。
「もちろんだよ。あたしは今日から――ここの“学院生”だもんね!」
***
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