狂おしいほどに殺せない





「オレ考えたんすけど、やっぱおかしくないですか?」



 やれやれまたか、と顔を上げると、橘が腕組みをして首を傾げていた。

「この世界のこと、まだ信じられないの? また死んで見せようか?」

「いや、そのことじゃないんすよ」

 ミス研の部室で、作戦会議をしていた。机を二つ向かい合わせにして、僕はノートにトリックのアイデアをメモし、橘は、それらのトリックを実際に行えるように、練習をしていたところだった。

「じゃあ、何が?」

「だって、この世界では絶対に殺人事件が起こらないようになっているんでしょ? それなのに、先輩のお母さんは、明らかに他殺ですよね」

 僕はペンを顎に当て、少し考えた。

「他殺っていうか……でもまあ直接の死因は、自殺であって」

「でも、それは嫌がらせをされたせいですよね? だったら、広い意味で、これは殺人っすよ。もしオレがほんわかしたミステリーを書いていて、その途中で、キャラをどうしても死なせなきゃいけないってなったとしても、わざわざそんな酷い目になんか遭わせません。『全てのキャラクターは作者の分身だ』とも言うし、ふつーに無意味っていうか、それじゃ遺された人たちがあまりに辛すぎじゃないですか。人が殺されない優しい世界なんて、その時点で嘘っぱちになっちゃいますよ」

「なるほど、確かにそうだ」

 僕は椅子から立ち上がった。

「え? 急にどうしたんすか、先輩」

「いいことを思いついた。急いで帰り支度をするんだ」

「え、どっか行くんですか?」

「ああ。話を聞きににね」

「話って、誰に……ちょ、ちょっと! 首痛い!」

 机を元に戻し、帰り支度を済ませた僕は、橘の襟首を掴んで引きずるようにして部室から連れ出した。時間がない。部活の終わるチャイムが鳴る時間になる前に、行かなくては。


「ここって、先輩……まさかもう殺る気なんですか⁉︎」


 目的の家の前にたどり着くや否や、アホな後輩が天下の往来でそんなことを大声で言うので、口を両手で覆ってやった。

「ふが!」

「バカ。声が大きい」

「ふがが……」

 玄関のインターホンを押し、返答を待つ。返事はすぐ返ってきた。

「どなた?」

「近所の沙上です。ちょっとお話しさせてくれませんか、


「沙上? ……ああ、結城くんね」

 インターホン越しの女の声は、どこか疲れていた。

「ごめんなさいね。ちょっと風邪をひいてしまって、直接会うことはできないわ。でも、ここで少しおしゃべりするくらいなら、いいわ」

「ありがとうございます」

 不安げに橘がこちらを見る。大丈夫、と目配せをする。

「風邪とおっしゃいますけど、なんだかとてもお疲れのようですから、手短に済ませますね。あなたはどうして、僕の母をあんなにいじめたんですか?」

 永遠とも思えるような沈黙が、しばらく続いた。そろりと腕時計に目を落とす。あと数分で、部活終了のチャイムが鳴る。その時だった。インターホンから、初めのよりもさらに感情を失った声が、開き直ったように喋り始めた。

「……あなたに言っても、別にいいわよね。あなたはきっと知っているんでしょ、何もかも」

「はい」

「私ね。初めは、本当に殺意だけだったの。純粋に、私の心にあったのは、人としての醜さだけ。狂気でもなんでもない、ただのつまらない、普通の醜い感情だけだった。でも近頃は本当に狂ってしまった。でも狂ったといっても、マクベス夫人とは全然違うのよ? 私はまだ殺したいの。いえ、殺さないと、落ち着かない。誰でもない、あなたのお母さんを、ね。マクベス夫人は自身を清めるべく何度も何度も手を洗っていたけど、私は逆に、何度も何度も殺したいの。でも、彼女はもう死んでる。だから殺せない。でも、気が急いて、夜も眠れないの。もうあの人は死んでるのに。ああ、どうして? どうしてなの? 彼女が恨めしげに夢に出てくるなんてことはない。後悔もない。今が最高に幸せなはず。それなのに、どうして……」

 その時いきなり僕の前に、顔を怒りで真っ赤に染めた橘が飛び出してきて、インターホンに向かって大きな声で叫んだ。

「ふ……ふざけるのもいい加減にしろ! 自分が何言ってるのかわかってるのか!? 事もあろうに、自分が殺した女の人の子供に向かって、よくも、よくもそんな……‼︎」

 橘の言葉が、壊れたテレビのように突然途切れる。僕は自宅のリビングにいた。もう一度、一人で峯山家に行くことも考えた。でももう夜も遅く、父に行き先を告げるわけにもいかないので、結局そうはしなかった。

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