備えがなければ殺せない
殺人トリックにまず必要なのはアイデア、そしてそれを実行するための道具、もしくは共犯者(※使い捨て)だ。
「あっ、沙上先輩! お疲れ様でーす!!」
放課後を待って、僕は部室に向かった。部員は僕を除けば一人しかいない、小さなミステリ研究会の部屋だ。ドアを開けると、もう一人の部員は、元気よく立ち上がってこちらへ近付いてきた。ミステリ研究会メンバー1年、彼は名を
そんな橘が、僕の腕をがっしりと掴み、満面の笑顔で言う。
「さあ、先輩! 今日こそオレと病院に行きましょう!」
「気安く触れるなこのモブが!」
掴まれた腕を利用して、橘を勢いよく投げ飛ばす。橘はとっさにだが器用に受身を取って床に倒れる。ここはもうミステリ研究会ではなく柔道部かもしれない。とにかくこの橘は、ここが架空の世界であることを知っている、僕以外の唯一の人間。故に、共犯者になり得る唯一の
「往生際が悪いよ、橘。説明は散々したよね。いい加減認めてくれない? 狂っているのは僕じゃなく世界だって」
むくり……とおもむろに起き上がったかと思えば、橘はバッと勢いよく顔を上げる。
「いや、この話の流れで『往生』際とか言わないでください!!!! それに百歩譲ってこの世界が架空の世界だとしても、殺人はやっぱダメですから!!!!」
僕はため息をつく。この世界の住人は、基本的に皆善良すぎる。復讐など何も生まない。その概念がデフォルトとして設定されているCPUのようなものだ。峯山夫婦のように陰湿な極悪人もいるにはいるのだろうが、いても全く目立たないし、本性に気づくとすれば被害にあった人間だけなのだろう。
「殺人とは心外だなぁ。僕のはそれとは少し違う。なんの面白みもない他殺体を、自殺か事故死か自然死に見せかける素晴らしいトリックを、実際の人間で再現したいだけだよ。人が死んでも、そこに謎やトリックがなければ意味がない。殺せればそれで満足するそこらの下劣な人殺しなんかと一緒にはしないでほしいな」
「いや、だからそういうのを全部殺人っていうんですけど……」
とはいえ橘も、僕があれこれ説明する前からすでに世界に違和感を持っていて、常々「何かがおかしいような気がする」とこぼしていたものだ。だが、ある日橘から「自分下の名前がないんすよね~、だからテストでは毎回適当に名前変えてます!」とへらへら笑いながら言われたときにはさすがに「は?」と答える以外のリアクションができなかった。意味深な顔で『何かおかしい気がする……』とか言ってる場合じゃないと思った。灯台下暗しにしても下が暗すぎる。そう、橘は末恐ろしいほどのアホの子なのだ。
「しょうがないな……」
僕は部屋の隅に荷物を置くと、戸棚に近寄り、鍵を使ってそこを開けた。この戸棚には、
毒薬、
ワイヤー、
マッチ、
針、
テーブルクロス、
ガムテープ、
クリップ、
糸、
マネキン、
製氷機、
風船
などなど、トリックに使えそうなありとあらゆるものを集めてある。毒薬は入手に手こずったが、理科の知識で精製したり植物から採取したりすることで少しだが手に入れることができた。
そのアイテムのうちの一つを手に取ると、腕時計を確認する。秒針は正常に1秒1秒を刻んでいる。
「じゃ、これから僕、死ぬから」
「え」
「それもこれも、橘が僕の話を信じてくれなかったせいだからね」
言って、僕はペーパーナイフを首に当て勢いよく横に引いた。
ぐらり、と世界が揺らぐ。
ほとばしる血飛沫の赤を見て、僕は真後ろに倒れこむ。
「せ……先輩……」
「どう? これでもまだ、信じない?」
首を切り裂いた数秒後。
僕は何事もなかったような無傷の体で、元の場所に立っていた。手にはペーパーナイフ。しかし血や体液はどこにも付いていない。橘はへなへなとその場に座り込んだ。
「や、やめてくださいよ……いくらなんでも、笑えないです」
「笑う必要なんてあるの?」
そう言いつつも、僕は無意識に笑顔を浮かべていた。
「あのね、橘。僕は母親を殺されているんだよ。実際殺すという手段に訴えなかったとしても、復讐する権利はある。あるいは峯山夫婦を殺して警察に捕まったって、別にそれはそれで仕方ないとも思ってる」
橘は真っ青な顔で聞いている。僕はナイフを回しながら続けた。
「でもね。問題はそもそも『殺しができないようになってる』ってことだ。僕の敵討ちの方法に殺人を選ぶか合法手段を選ぶか、そんなことを決める権利が僕以外の誰にある? バカにするのも大概にしてほしいね。だからこの世界を僕は認められないし、結局のところ僕も、殺す方をしたいんだ。……どうしてかはわからないけど」
橘はそれを言うと、ハッとした顔になり、頭を下げた。
「すいませんでした、先輩。先輩の気持ちも知らないで、オレ……先輩だって、オレのこと信頼してるからこそ、秘密打ち明けてくれたんですもんね。そこまで本気なら、オレも協力します!」
「うん。わかってくれればいいんだ」
そして共犯としての役目を果たしてくれればね。
鼻歌交じりにペーパーナイフを戸棚にしまっていると、橘は弱々しい声で尋ねてきた。
「でも、沙上先輩。本当にオレらにできるんですかね、殺人なんて」
「大丈夫。トリックはもうほぼ準備してあるよ」
「え? ほんとですか?」
「ああ。あとは最後の決め手さえ決まれば、完全犯罪は完成する。ただその最後のピースだけが、なかなか見つからないんだけどね」
「最後のピース、っすか……」
ちょうどその時、部活終了を告げるチャイムが鳴った。ここからの時間の流れは、まさに電光石火——安藤ゆりえが鑑定士の父とミステリー作家の母との団欒にいそしむ時間まで一気に進んでしまう。僕はチャイムの鳴っているうちに、「じゃあまた明日」と橘に言う。橘の方も慣れたもので、「はい。お疲れ様した」と笑ってみせた。そしてチャイムが鳴り終わり、気づけば僕は、すでに家の風呂の中にいる。
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